<小説のお時間>伊藤くんのひとりごと

 さて、この時間ではなんと大胆にもこの僕が創作しちゃおうかななんて思っている創作のお時間なのであります。不幸にも小説のお時間というタイトルを見て、やってきたあなたには申し訳ないのですが、まっ来てしまったのだからもう少しお付き合い下さい(笑)

 ところで、この時間実は画期的ではないかと思っている。なぜなら僕は今まで長編小説というものを書き終えた事がないのだ(って長編になるかさえ不明)。だからこの小説は、行き当たりばったりで書いていこうと思う。勉強の息抜きにほんの少しずつ。

 つまり、舞台裏を見せながら進んでいくところが画期的というか素人ならではのブログのなせる技である(笑)

 しかし、いきなり無から有を作り出すのは難しい。そこでここは僕の大好きな森 博嗣さんの『工学部・水柿助教授の日常』を参考に(パクリではない!はず)書いてみようと思う。

 タイトルは『伊藤くんのひとりごと』である。どうか過小評価せずにしばらく付き合って頂ければ幸いだ。では、そういうことで(笑)


 1 
 伊藤くんは、怠け者である。のび太に負けるとも劣らない怠け者である。
 例えば、やっぱり英語は勉強しとかないとマズイかなと毎年四月になると一斉に並ぶ語学テキストを見て思うのである。
 一冊が安いせいもあって、つい買ってしまうのであるが、いつも折り目のついているのは始めの一週間分だけである。
 初日はまるで初めての遠足のように、ワクワクしながら朝早くに録音ボタンを押すのだが、日が経つにつれ、録音は予約となり、あっという間にすごい量になってラジカセの忠実さに恨みすら抱くのであった。
 一日分はわずかなフレーズしかないけれど、それが一週間、一ヶ月、一年ともなると膨大なものになる。継続は力なりと思って始めたものが、チリも積もれば山となるに変わるのは伊藤くんの怠け癖が成せる技なのである。
 そもそも、伊藤くんは何を始めるにも意志が弱いのである。しかし、ここが致命的なのであるが、彼はその点について全く気付いていないのである。
 大体、たとえ15分のプログラムでも毎日続けるというのは大変なことである。もしも、彼の専売特許である意志薄弱に特許申請が認められていたなら、今頃とっくに億万長者になっていてもおかしくないのだ。
 しかし、そんな伊藤くんにも取り柄がある。
 伊藤くんの長所を一言で述べるなら、好奇心旺盛である。
 とにかく目新しい物にはすぐに飛びつく。
 大人気のゲームソフトが発売されれば、前日の夜から最前列に並び、何が何でも手に入れてしまう伊藤くんである。
 そして何でも理屈から入ってしまう伊藤くんである。
 例えば、スポーツを始めようと思えばあらゆるハウツー本を読みあさるし、どんな電気製品のマニュアルも隅々まで読んでからでないと電源を入れない方である。
 それはまるで節約本を買いすぎて、全然節約になっていないとか、参考書を買い込むばかりで一向に勉強しない受験生に似ている。
 畳の上の水練、机上の空論。
 それも彼のトレードマークだ。
 さて彼はいくつなのだろうか?
 実はさっきから、その事が気にかかっているのは読み手のあなた以上に作者の僕なのである。これで、七十の爺さんなのでした等とすると叙述ミステリーになるのであるが、それではこの話を続ける自信が無い。
 実に弱気な私小説である。
 いや、そういう体裁をとったつぶやきみたいな文章の蓄積である。
 それはまるで、友達の話なんだけどと言いながら、自分の相談をしてしまう女性の長電話に似ている。実は、最初から答えが決まっているのだが、検察官もびっくりの巧みな誘導尋問の末、結局自分の納得する返答に持って行ってしまうアレである。
 だからと言って、ここに書かれている事が全て作者にあてはまると思われても困ってしまう。
 あくまでそういう体である。
 カラダと読まないで頂きたい。体裁のテイと読ませたいのだ。
 そこで(どこでだ!)、伊藤くんは最もベターでベタな大学二年生にしようと思うのである。
 ところで関西では、二回生と表現するのが慣わしである。奈良県吉野の山奥に生息する鷲の事ではむろん無い。
 偶然にも作者は奈良出身である。だから、この物語の舞台は当然(?)の事ながら関西が舞台となる事を始めに断っておかなければならないだろう(いつの間にか作者のつぶやきに変わっているのはたぶん目の錯覚だ)。
 思うに関西弁で書くと、なぜか三枚目になるのは気のせいだろうか。アニメのキャラのボケ役は関西人と決まっている。しかも関西人から見ればその極端なイントネーションは、あまりにおかしい。
 それは中国人が「○○アルヨ」と言うのに等しい。
 実際にはありえないところで、語尾を上げ下げする。
 おそらくどのようなドラマも現地の人が聞けば、ありえない方言のオンパレードなのだろう。
 そもそも関西人というのは、面白いと思われすぎている。黒人は歌がうまいとか、ラテン人は陽気だとか、世の中の固定観念はなかなか変わらない(だから、固定と言うのだが)。
 だから、東京ラブストーリーと言うと何だかロマンチックなストーリーを期待するが、関西ラブストーリーと言うとそれだけでお笑いとか人情を連想してしまうのである。
 関西あきんど物語とか。
 なにわ人情物語とか。
 この差は何なんでしょう?(つづく、かな)

 

工学部・水柿助教授の日常 (幻冬舎文庫)

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