<英語のお時間>立ち位置と矢印の向きって?
さて、今日は英語のお話しですね。
僕が英語を好きな理由はただ一つ、発想の違いが面白いからです。だから別に分かるのであれば外国語は英語に限らなくてもいいのです。
しかし、まぁ一番身近に町にあふれているのが英語なので英語が好きなのですね。
読み違えてはいけませんよ。ただ好きなだけです。好きこそ物の上手なれという言葉もありますが、下手の横好きというのもあります。僕の場合は後者ですからね、一向に上達しません(笑)
だから英語よりはましな日本語で書いているのです。
さて、英語の発想が面白いなと思うのは単語です。もちろん前回の英語のお時間でお話ししたようにそういう発想は英語特有の表現にも表れますが、表現に出会う機会より単語に出会う機会の方が多いわけです。だって単語がたくさん集まって文章表現になるわけですから、当たり前ですよね。そこで僕が昔から面白いなと思うのが、矢印の向きという事なのです。
もう少し言いますと、立ち位置の問題です。余計に「はてな?」ですね(笑)
もちろんこれは僕の個人言語ですから、分からなくていいのです。
では具体的に見ていきましょう。
みなさんはlastという単語を知っていますよね?
有名なワムの名曲で去年月9ドラマで話題になったのは「ラストクリスマス」でした。
部活で何周も走らされて「ラスト一周!」とか閉店間際のレストランで「ラストオーダーお伺いします」なんて時のラストですね。
さて、この場合の意味は?
そうですね、「最後の」という意味です。
ではlast yearとはどういう意味でしょうか?
中学生の教科書に出てくるくらい有名ですね。
そう、「去年」とか「昨年」という意味です。つまり、「最後の年=去年・昨年」ということになりますね。
でも何か変な気がしませんか?
なんで最後の年が去年なんでしょう。
僕は学生の頃、不思議に思いました。last weekも「先週」と訳します。
ではThe last heard〜はどうでしょう?
これは文字通りに訳すと「最後に聞いたんですが〜」ですね。つまり「最近聞くところによると〜」という意味です。
さらにThis is the last thing in shoes.となると「これは最新型の靴です」という意味になります。
あれれ?何かおかしくないですか?
だってlastが「最後の」から「最近の」になり、さらに「最新の」になっています。
「最後の」と「最新の」ではまるっきり違う気がしませんか?
実はこれが立ち位置と矢印の向きのお話しなのです。
僕が使っている辞書の一つに旺文社の英和辞典がありまして、ここにこの謎を解く興味深い解説がありますので引用します。
last Wednesdayは、たとえば今が月曜日なら「先週の水曜日」を指し、金曜日なら「今週の水曜日」を指す。これは「現在に最も近い過去の」とか「(時間的に)この前の」という意味である。
つまり、今自分の立ち位置が月曜だとすれば、最も近い水曜日は「先週の」水曜日であり、金曜日に立てば一番近い水曜日は「今週の」水曜日となるわけです。この時の矢印は立ち位置から見れば後ろ向き(←)ですね。
では、the last page of a bookにおけるlastの意味は何かと言えば、これは本の「最後の」ページですね。
この時の立ち位置はどこにあるかと言えば、本を前からめくっていって、最後のページに行くわけですから、最初にあるわけです。そして矢印の向きは前向き(→)ですね。
つまり、立ち位置の違いで矢印の向きが逆(← →)になるわけです。
だから前から見て後ろにあるlastは「最後」ですが、後ろからlastを見るとそれは「この前=最近」となるわけです。さらにその後にまだ誰もいなければ、それは現時点では「最新」になるわけですね。つまり、新しい靴が出てこない限り、その靴は最新なのです。屁理屈ですか?
もっとも「最新の」という場合は、late‐later‐latestで、latestという最上級を用いる事が多いようです。但し、これは「時間的に」遅い場合です。「順番的に」遅い場合は、late‐latter‐lastとなります。何か習った記憶ないですか?
ところで、言葉にはイメージが必ずあります。なぜなら、あるイメージを人に伝えたいというところから言葉ができたはずだからです。これは僕の楽天日記にも書いた事ですが、多義語というのは、何も始めから多義語だったわけではありません。
ある一つの単語をあるイメージの元で使っているうちに意味が派生しただけです。それをそれぞれの場面から見るとある時は○○という意味に、またある時は△△という意味に姿を変えているだけで、元々は同じイメージなわけです。
だから簡単な単語ほど、よく使われ、意味がたくさんあるのは当たり前だと言えます。よく英語は基本動詞を使いこなせばOKと言いますね。haveとかgetとかmakeとか、こんな簡単な単語が何かとくっついてケミストリィすると(日本語がおかしい) I have a fever. で「熱がある」とか I have no idea.で「分からない」とかよく分からない意味になったりするので、熱が出たりする人もいるかもしれません。
それは中学生の時に習った一語一訳主義が全ての諸悪の根源なわけで(但し、入り口としては仕方ないですが)、「have=持つ」と覚えているから応用が効かないのです。だから熟語は熟語として覚えてしまい、またさらに頭の引き出しを作らないといけなくなる。これではいくら覚えてもキリがありません。しかも同じ単語を別々に覚えているのでリンクしてない分、ムダです。
大体、英語を話す人の頭脳と僕らの頭脳がそんなに違うはずが無いのです。もしそうなら英語を話せる人はみんな天才という事になります。極端な話、アメリカ人(別にイギリス人でもカナダ人でもいいです)のおばあちゃんと日本人の若者だったらどちらが頭脳が活発でしょうか?
そう考えれば、決して英語を使える人が頭がいいわけではないし、逆に簡単だからこそこんなにも世界で通用しているのではないでしょうか?
これはNHKの面白語学講座『シニアのためのものしり英語塾』(月〜土・午前7:45〜8:00で絶賛放送中!)で大杉先生がおっしゃっていた事ですが、世界中には英語を第一言語として話す人が約3億7〜8千万人、次に同じく英語圏に住む人で移住の後、第二言語として英語を身につけた人が同数いると考えられ、これに、日本、中国、ドイツ、その他の国民で話せる人がおよそ7億5千万人いると推定されるそうです。
つまり、合計で15億人。現在の地球の総人口が約63億人ですから、何と4分の1の人間が英語を話していることになるそうです。何か簡単な気がしてきたでしょ?(笑)
で、そのような簡単な(はずの)英語を話す人がいちいち一つの単語をいくつにも分けて覚えているはずが無いのです。
実はその根っこには一つのイメージがあるはずだと僕は考えます。そしてそのイメージの元に話しているはずです。
先程のhaveの例で言えば、「have=持つ」と覚えるよりも、「ある状態を持っている」または「ある状態になる」と覚える方が応用が効きます。「熱の状態を持っている=熱がある」とか「アイデアが無い状態を持っている=考えが無い=分からない」とかね。
有名なキング牧師のI have a dream.も「夢という状態を持っている=夢がある」なわけです。
別にこれが正解ではなくて、あくまでイメージの話です。昔、竹村健一さんが『三語で話せる英会話』という本を出されていましたが、それはつまり基本動詞を徹底的に使えばいいという事でした。
さてさて、話がかなりそれてしまいましたが、矢印の話に戻しますとseeとlookの違いも有名です。日本語で訳すとどちらも「見る」ですが、seeは「目に映る状態」であるのに対し、lookは「見ようとして視線を向ける動作」を指します。だからlookingという進行形にできるわけです。
つまり、道を歩いていて自分の目に飛び込んでくる状態がseeであり、正面から見覚えのある人が近づいてきて「あれ?もしかして…」と見る動作がlookなわけですね。この場合、矢印は全く逆です。
またhearとlistenも同じです。今度は対象が目から耳に変わりますが、hearは「耳に聞こえてくる状態」であり、進行形にできません。しかし、listenは「聞こうとして耳を傾ける動作」なのでlisteningと言うことが可能なのです。
もう一つ!よく会話で間違ってしまうのがgoとcomeです。例えば名前を呼ばれて「今行きます!」と返事をするのに「I'm going!」と言うと間違いです。確かに僕たちは「行く=go」だと習いました。
Let's go!って言いますしね。でもこれは発言者と話し手の矢印の向きによって意味が異なるのです。先程のcomingはあくまで相手がこちらを呼んでいるわけで、こちらからすると矢印が向かってくる感じであり、向こうからすれば「来る」わけです。一方、通常の行くとは呼ばれていない状態なので自分から矢印が出ているわけで、「さぁ行こうぜ!」って時には目的地に相手がいないわけです。
自分を中心とするか、相手を中心とするか、つまりまたしても立ち位置によって矢印が変わり、日本語とは意味が異なるわけです。
長くなりましたが、このように立ち位置で変わる矢印の違いが英語って面白いな〜と思う理由の一つなのです。では、今日はこれでラストトークとしますね(笑)