<社会のお時間>〜歴史のお話

 さて歴史のお話である。

 今から400万年前、地球上に人類が出現した。

 そんなとこから始めるのか?

 そうですね、そんなとこから始めていたら僕の歴史も終わってしまいますね。

 歴史って何だろう?

 ここに今回の「はてな?」があります。

 歴史とは誰の歴史か。

 それはつまり勝者の歴史だと言われています。

 人間の歴史は勝った側から見た歴史ということです。

 時の権力者は自分に都合のいいことしか残しません。そりゃそうですよね。

 今のようにいろんなメディアが発達している時代ならともかく、昔は紙に書くことしか資料を残せないわけですから、いいことしか書かないわけです。もちろん、こっそり目を盗んで事実を書いた人もいるでしょうね。

 でも見つかれば一族郎党…。

 社会の時間ですが、少し国語の時間に切り替えます。

 みなさんが知っている『枕草子』ってありますよね?

 清少納言のエッセイって思っている人も多いと思いますが、見方を変えればこれもやはり勝者側の記録と見ることもできます。当時は藤原家の全盛期です。

 この世をば 我が世とぞ思ふ望月の かけたることのなしと思へば

 これは藤原道長の歌ですが、チャップリンの『独裁者』の有名な地球儀型の風船をもて遊ぶシーンに似た権力者の欲望が反映されています。

 このような時代において、藤原家の悪口を言えるはずはありません。

 清少納言は、道長の兄道隆の娘・中宮定子に仕えていたわけですが、道隆が亡くなった後、道長に権力は移ります。この道長の娘に中宮彰子がいるのです。

 同じ一条天皇の寵愛を受けた二人の女性。

 そして、この彰子に仕えていたのがあの『源氏物語』を書いた紫式部なのです。

 つまり清少納言紫式部は共にライバルだと言えます。

 中島みゆき松任谷由実みたいな感じと言えば分かるでしょうか。

 枕草子の中にも紫式部の悪口を書いた部分があります。

 紫式部は偉そうに知識をひけらかしているけれども品が無い女性だというような事が書いてあります。

 でも、それは藤原家への批判ではない。あくまでも個人攻撃です。そして、それが精一杯の抵抗だと見るのは言い過ぎでしょうか?

 清少納言が藤原家の権力騒動をどう見ていたのかは作品から伺うことはできません。

 『枕草子の謎』(徳間文庫・藤本泉著)によれば『枕草子』は清少納言一人によって書かれたものではないという説もあります。

 男性優位の世の中において当時の女性がいかに日陰の存在であったか(もっとも今も昔も奥さんの意見は時に傀儡政治?につながる可能性があるわけですが)、そういう目でもって歴史を見るとまた違った学び方があるかもしれませんね。
 
 

枕草子の謎 (徳間文庫)

枕草子の謎 (徳間文庫)