<小説のお時間>伊藤くんのひとりごと

12
 伊藤くん達は、下の階へと移動する。

 いきなり話が進むなんて素敵である。自画自賛である。分からない人は11を飛ばして10から読み進めるといい。

 ヒトシくんだけは今いち腑に落ちない顔をしている。もちろん伊藤くんだってホントのところはカズの真意が分からないのだけど、仕方無く彼の言葉に従っているのだ。

 洋子さんはと言えば、早く答えを確かめたくてたまらないというウキウキした表情である。テレパシー能力が無いとすれば、彼女にはカズの考えが通じているらしい。

 天竺を求めるご一行は、階段を降りる何人かの人達に紛れて先を急ぐ。但し、先頭は三蔵法師ではない。カズである。

「とにかくエレベータのある場所まで急ごう」とカズは言うのである。
 
 エレベーターのある場所と言えば、当然先ほどのエレベーターの真下である。程なくして、一行はエレ前に到着する。

 そこにも人はそれなりにいる。

「やっぱり、階段を降りて帰るのが面倒なのかな〜」
伊藤くんは自分と同じ考えの人がそこにいるので、妙な連帯意識が湧く。

「それは違うな」
カズが列に並びながら、振り向く。

「えっ?」
伊藤くんの目の円周が少し大きくなる。

「ここにいる人の大半は頭のいい人かもしくはかつて同じ経験をした人だと思うよ」サラッとしたロン毛が照明に映える。やっぱりモデルみたいだと伊藤くんは思う。ヒトシと自分だけなら、日本橋の方が似合う。大阪の秋葉原に当たる所だ。

「分からへんわ」ヒトシ人形は何回でも使えるから便利である。

「乗れば分かるよ」
「そうね」
 どうやら洋子さんは分かっているようだと伊藤くんはようやく気づく。

「あれ?下向きのボタンが押してないよ」
伊藤くんが前を覗き込みながら、つぶやく。

「いいんだよ。恥ずかしいからもうしゃべるな。乗れば分かるから」
「う、うん」
カズに間違いなど無いのだ。ここは黙っていた方が無難のようである。洋子さんは、すでに関心が無いらしくヒトシくんと映画の話をしている。

 やがて空のエレベーターがやってくる。

 と、上向きのエレベーターにみなが乗り込む。伊藤くん達も隣のエレベーターに乗り込む事ができた。エレベーターは当然一つ上の最上階で扉を開ける。

「そういう事か」
伊藤くんここに来てようやく謎が解けた。晴天の霹靂とはこういう場合をいうのだなと納得する。

 つまり、これが誰も上がって来ないはずのエレベーターが常に満員であるという謎に対する答えである。もしも下の階で下向きのボタンを押したとしよう。この場合、エレベーターは常に上の階の客でいっぱいであり、上の客が全部いなくならない限り乗る事はできない。しかし、一見無駄のように思える上への移動が家路を急ぐ早道であるとは逆転の発想ではないだろうか。

 火災などで使用される救助用のマットの下に穴が開いていると聞くと、そんなバカなと思ってしまうが、よく考えてみれば空気の抜ける通り道が無ければトランポリン状態のマットに飛び込む危険性は明白だろう。

「なっ、分かっただろ?」
カズの自信に満ちた言葉に、二人のヲタ学生は張り子人形のように首を縦に振るのであった。

 帰りはみんな方向が違うので、ビルを出た所で別れる。時刻は23時半過ぎ、行き交う人達はそろって急ぎ足だ。けれども、伊藤くんの足取りはいつにもまして軽かった。