<小説のお時間>伊藤くんのひとりごと

16

「ちわっす!」
 また新たに人格不確定人間が登場した。カズだ。
「どしたん?今日はやけに早いやん」ヒトシが声をかける。
にやりとしながらカズが伊藤くんの横に腰を下ろす。
「まっ、そういう時もあるわな。で、何の話でヒートアップしてるわけ?」
 どうやらこの男はサーモグラフィが無くても熱を感知するらしい。
プルートウの話よ」洋子さんの目が新たな獲物をハンターしようと輝く。
「おっ、マンガの話か」カズ点火モードだ。
「僕はブラックジャックによろしくも好きだけどね」伊藤くんがクリームパンをぱくつきながらしゃべる。
「なるほどね」カズがうなずく。
 伊藤くん苦笑い。
「なになに。二人怪しくない?」洋子さんがひやかす。
 アトム→手塚治虫ブラックジャック。伊藤くんの思考回路がカズには伝わったようだ。
「俺はリアルかな」
 確かにお前はリアルヒトシ人形だ。
「うんうん。あれも凄いね。1年に一冊だもんね」
「そう。年一冊なんてこち亀だったら、100年軽く超えるもんな」
 おいおいどんな発想だよ。
「リアルってあのスラムダンクの、だろ」
 バカボンドも有名だぞ、っと。
「障害者バスケって着眼点がすごいよな。俺にはマネできんわ」
 お前はマンガ家じゃないって。
「伊藤くん、さっきから何ニヤニヤしてるの?」
「あっ、いや何でも無いよ」
「へんなの」
 うん、変かも。
「研修医の給料ってホントにあんな安月給なのかな〜」
 話を戻す伊藤くんである。
「そうなんじゃない。まっ、我が大学には残念ながら医学部が無いわけなんだけどね」洋子さんが残念そうに眉を寄せる。
 やっぱ女の人って医者とか弁護士に弱いのだろうか。
白い巨塔とかリアルやもんな〜」カズが感心したようにつぶやく。
直木賞作家・山崎豊子か」ヒトシが口を挟む。
 知っている事は解説しないと気が済まないのがオタクの習性である。
「あのドラマ面白かったもんね〜。妻夫木サイコー」
「洋子さん、話ずれてる」伊藤くんすかさずフォローである。
「あっ、そう?ブッキーじゃないの?」
「それはブラよろの方です。今は白い巨塔の話」ヒトシも負けずにフォローする。
「ああ、あれね」洋子さんしたり顔である。
「まっ、どっちもお医者さんの話ですけど」スーパーヒトシ君はクリボーに当たってしまったようだ。
「大学病院って何か怖いな」カズが続けた。コーヒーの缶はすでに灰皿に変わっている。
「全然、話変わるけどさ。今日カラオケ行かない?私、面白いお店知ってるんだ」洋子さんとっておきのスマイルである。保険のセールスなら迷わず秒殺されそうだ。
「俺はええけど」ヒトシ一番乗り!キノコゲット!
「僕もいいよ」バイトも無いしね。
「ん、決定か?」カズがとぼけた表情で答える。
「やったー。じゃ、決まりね」腕時計に目を落とす洋子さんもなかなかかわいい。
「って事で、授業に行ってきまーす。またね」
「じゃ、俺たちもお開きにするか」カズがしめる。
「ほーい」伊藤くんがおどける。
「しゃあないな〜。ほなまたな」ヒトシも渋々席を立つ。
 主を失った机はしばらくして元の表情を取り戻した。

 時刻はすでに夕方である。日が落ちるにはまだまだ早い。伊藤くんたちにとっては今からが始まりである。一日が三日分に感じられる程、彼らは忙しい。朝昼晩晩晩だ。とぼけた顔して。このまま時が止まればいいのにと思う毎日が彼らにはある。もしも時が止まれば日本経済はどうなってしまうのかという事には全く関心の無い四人がここにいる。

「で、どう面白いんだその店は」カズが横目で洋子さんを見る。
「ふふ、それは行ってからのお楽しみ」
「行けば分かるさ、か」ヒトシがうなずく。
 猪木か、おい。
「何歌うか決めてきた?」
「いや、特に」
「そう言えば、カズの歌って、聞いた事ないかも」
「じゃ、あいつらのは聞いた事あるのか?」
「うん。ねっ?あるよね」伊藤くんに同意を求める。
「あるよ」
「どーせ二人はアニソンだろ」
「せいか〜い」洋子さんが笑いながら指でOKのマークを作る。
「で、洋子はジャニーズメドレーと」
「そそっ」
「あと宇多田ヒカルaikoかな」
「ありそうだな、いかにもって感じ」
「でもなかなか洋子さんうまいんだよ」
「へ〜」
「あっ、失礼ね。声に力が無いわよ」
「はいはい」

 梅田の繁華街はようやく目を覚まし始めたようだ。きっと夜更かしが過ぎるのだろう。気の早い背広姿のサラリーマンが意気揚々と居酒屋へ入って行く。まだまだ働けそうな勢いだ。
「ここよ、ここ」洋子さんが指さし確認を行う。
 派手なネオンにカラオケという文字が映えるビルに入り、エレベーターのボタンを押す。
「何階?」一番前を歩いていたヒトシが聞く。
 通り過ぎた時に見たサインが映像で浮かぶ。
「三階だよね」
「そうよ」
 ここで伊藤くんは子どもの頃に行った遊園地を思い出した。
 ある秘密基地に案内される。コンパニオンのお姉さんが奥のエレベーターへと誘導する。左右に開かれたドアの向こうは少し手狭な空間である。お姉さんのアナウンスと共にこれから地下10階の深層部へと向かうのだ。さすがは秘密基地である。遊園地にそんなもんあるかと思うほどすれていない幼少期の伊藤くんである。
 ふと見上げるとフロアランプが点滅している。
 B1、B2、B3…
 チンという電子レンジのような音がして、B10と表記されたフロアランプが光る。深層部に着いたのだ。この時、伊藤少年は妙な違和感を覚えた。違和感は妙な時に感じるから違和感なのだが、とにかく体感速度とフロアランプの表示速度に誤差を感じたのだ。
 伊藤少年はその後ドアの向こうに広がる怪しい色のランプが光るコンピューターらしきものに目を奪われたけれども、そのアトラクションから抜け出すとさっき感じた違和感について考え始めた。
 そして、たどりついた答えが実際は地下1階分くらいしか無いのにフロアランプの表示によって錯覚させられたのだという事だった。   
さすがに予算の都合とまでは考えなかったけれど、なかなか面白いアイデアだなと思った。
 
 随分後になって、ヒッチコックの映画で高層ビルから落ちていく人をどうやって撮ったかという種明かしの番組を見た事がある。
 一番簡単なのは、人が落ちていく所をフィルムに収める事だろう。しかし、ヒッチコックはその発想を逆手に取った。何とカメラを垂直に一気に引き上げたのである。役者の目線から見れば確かにカメラは上に移動する。ではこれをカメラから見た場合はどうか?
 そう、それが答えだ(BGMにはウルフルズが最適だ)。
 そんな事を久しぶりに思い出した。
 
 サイレンというゲームがある。映画化もされ、シリーズ化されているホラーゲームだ。屍人(しびと)と呼ばれるゾンビ状態の村人とのサバイバルアドベンチャーゲームである。このゲームが斬新なのは視界ジャックという一種の超能力にある。これは敵に憑依する形で相手の見ている視点と同化できる能力だ。通常のホラーアドベンチャーと言えば、俯瞰図か後方視点である。それだけでも十分に怖いのだが、それはあの角を曲がった先に何か潜んでいるかもしれないというおばけ屋敷の怖さである。
 
 人の演じる事で話題になったお化け屋敷があるが、もしもお化け役を務めていたら、きっとその人はドキドキするはずだ。その緊迫感だけでも十分ホラー効果がある。それに加えて、それぞれの屍人の断片的な視界から得られる情報が頭の中で自分の現在地との相関関係を無意識に組み上げる。頭の中の白地図がリアルタイムで書き換わる臨場感、それこそがこのゲームの醍醐味である。
 
 見る者と見られる者、同じものでも視点が異なれば全く違った表情がある。カラオケルームに設置された監視カメラの向こうではどんな顔が覗いているのだろう。

ブラックジャックによろしく(1) (モーニング KC)

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こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 (ジャンプコミックス)

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リアル 1 (Young jump comics)

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SLAM DUNK 1 (ジャンプコミックス)

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バガボンド(1)(モーニングKC)

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白い巨塔〈第1巻〉 (新潮文庫)

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SIREN PlayStation 2 the Best

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