<小説のお時間>伊藤くんのひとりごと

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ところでみなさんは一人カラオケというのを体験した事がおありだろうか?
 
 まず、一人カラオケをするにあたっては、入念なリハーサルが必要である。部屋のアポを取ってから、退出してお金を払うまでが勝負なのだ。
 
 だから頭の中で(できれば前日の夜に)綿密にシミュレートしなければならない。店のレジは男性かもしれないし、女性かもしれない。バイトかもしれないし、経営者自身かもしれない。部屋は一階かもしれないし、二階かもしれない。もしも、エレベーターなら、店員と二人っきりで、息のつまる無言の空間を耐える覚悟で望まなければならない。一人でカラオケをするには度胸が必要なのだ。
 
 また、生理現象にも注意が必要である。トイレにはできるだけ行かないようにするのが得策だ。ドリンクもワンオーダー制なら仕方ないが、極力注文は控える。そんな暇があったら、一曲でも多く歌うのだ。
 
 あと、もう一つとても大切な事がある。それは紙と鉛筆を持参する事だ。なぜなら、カラオケというのは時間との戦いであり、自分との闘いでもある。と言うのも、一人カラオケとはつまるところ選曲者も入力者も自分一人なのだから、予め決めておいた曲を事前にメモし、店員が退室したらすぐに、番号をメモり、すばやく立て続けに入力し、曲選びのロスを省かなければならないのだ。
 
 その際、メモ入力は防犯カメラの死角で行う事は言うまでもない。失敗は許されないのだ。
 
 くどいようだが、失敗すればそれだけ歌う時間は減っていく。又、曲を歌い終わったら、すぐに演奏停止ボタンを押そう。最近では早送り機能がついた機械もあるので、それも最大限活用する。理由は言うまでもない。
 
 それからできれば部屋は一番隅を選ぶ事。というのもカラオケルームのドアは大抵中の様子が見えるようになっているので、他人の目を気にするあまり、女性のデュエット機能やハモリ機能で大勢で歌っているかのようにカモフラージュしなければならず、歌に集中できないからである(一人カラオケにとってこれほど空しいことはない)。
 
 最上階の一番端の部屋で非常階段が近ければゴルゴ13並みの商談も可能であるので申し分無いだろう。
一人カラオケとはナルシストになる事である。つまり、自分の歌に酔いしれる事である。誰にも見られず、誰にも聞かれず、ただひたすら一人で歌うのである。

 しかし、最後に難関が待ち受けている。退室時間を知らせる電話である。電話がかかってきたら取るしかない。その瞬間あなたは現実に引き戻され、歌のない演奏が鳴り響き、よりいっそう孤独感をあおる。この寂しさを紛らわすには、等身大の人形を側に置くより仕方あるまい。その人形をさも生きているかのように操り、腹話術で会話しよう。

 そうすれば、一人でいる事に何の寂しさも無い。退室する時は、防犯カメラの死角で、素早く畳み、カバンの中につっこみ、何食わぬ顔で、内心の緊張を悟られぬように半ばゆったりした歩調でレジへ向かおう。
 店員はきっと目を合わせないはずなので、むしろこちらから楽しかったとアピールし、最後に本当は友達が来るはずだったんだけどねーと付け加えれば完璧だ。

 以上、これら全ての事を頭の中で(できれば一週間前から毎日)シミュレートできなければ、あなたに一人カラオケの資格は無い。これが一人カラオケのオキテなのだ。
 
 どうだろう?みなさんにおかれましてはこのような掟がある事はご存じ無かったのではないだろうか?

 これは伊藤くんの話である。断じて筆者の体験談ではない。そんな寂しい人間が夜中にこんな小説をせっせと毎日書くわけがないではないか。

 話を進めよう。

「ドリンクの注文はお決まりでしょうか?」
 本当は決めて欲しいくせにイニシアティブをこちらに持たせようというマニュアル通りのセリフである。そもそも看板にワンドリンク制とあったはずだ。

「ウーロン茶」
「生ビール」
「レモンスカッシュ」
「ホットゆず茶」
 最後は誰だ、おい。
「かしこまりました。ご注文を繰り返します」
 嘉門達夫なら「繰り返さんでええ!」とつっこみそうであるが、そこは普通に流す。
「お食事のご注文がございましたら、お手元の端末でお受け致しますのでご利用下さい」
 はらたいらに1000点と言いたくなるような満面の笑みを残し、立ち去る女性店員であった。今、何人が笑っただろうか。地球人ではあるだろう。えっ?読み方が違う?

「こういうとこって、飲食代で元取ってんだよな」カズが手元に灰皿を引き寄せながら、話す。
「そうそう、カラオケ代なんてタダみたいなもんやもんな」ヒトシがマイクを机に並べながら答える。
「昼間のフリータイムなんてホントにタダみたいなもんよね〜」
「何でも主婦の利用を見込んでるって話だよ」伊藤くんは膝の上に端末をのせながら、いじっている。
 この端末には先ほどのオーダーメニューはもちろんの事ながら、自分の年齢を入れると何歳の時に何が流行っていたかというランキング表示や直前まで利用していた人達の履歴まで残っている。言わば名も無き個人情報だ。
 さらにシャッフル機能により、何が入力されるか分からないロシアンルーレット選曲機能まである。もしも歌えなかった場合は画面に表示される罰ゲームを実行しなければならないのだ。
「主婦ってどういう事?」洋子さんが昔ながらのソングブックを見ながら質問する。文学部の彼女にとっては紙媒体の方がなじみがあるのだろう。
「つまりね、貸し切り喫茶店みたいなもんだよ」
「おっ、また謎かけみたいな事言うな〜」
 名探偵・所山一樹(通称・カズ)の目が光る。彼は知らない事以外は何でも知っているのだ。
「隠された記述というやつだな」一瞬の間の後、カズが口を開く。
「何それ?」今度は伊藤くんが聞き返す番である。見る側と見られる側はいつでも反転可能である。
「つまりだな、たとえば古文の問題でこの主語は誰でしょうという問いがあっただろう?」
「うん、あった」伊藤くん、素直な学生である。
「そういう時、洋子さんならどうしてた?」
 ありゃ、そっちへ行くのか。
「そうね、まずは「て」でつながっている文章をさかのぼっていくわね」
「うん。そうだな。〜て、〜て、古文ってやたらだらだらと太宰治みたいに文章がつながっていくもんな。現代語だったら、朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、トイレに行ってって感じかな。だから順接である限りはその手があるわけだ。他には?ヒトシならどうする?」  名司会者は順当に質問してくれるので作者としては楽である。
「敬語かな」
「おっ、さすがヒトシ人形。やるな〜。そうそう、尊敬語とか謙譲語とか丁寧語とか。古文の出題で中心になるのは宮廷文学だから、貴族のオンパレードなわけよ。そこで、敬意の対象が誰かを敬語を頼りに絞っていくわけだ」
「あのさ、せっかくのドラゴン桜気取りで悪いんだけど、で、君は何を証明したいわけ?」残り二名の聞きたい事を洋子さんが代弁する。
「そこで隠された記述だよ。受験生の諸君はメモっておくように」
「あんた誰としゃべってるの?」マンガか、おい。やはり見る側とーあっ、もういいですか。
「まあまあ。これはちょっと上級の問題なんだけどさ。実は記述に現れない人物というのがいるわけだ。例えば小舎人とかな」
「コドネリ?」良かった、伊藤くんの出番が再びやってきた。
「そう、正確には小舎人童だ」
「コドネリワラワ?」
 ダメだ。何語を言っているのか分からない。7語だという事は分かるのだけど。
「召使いみたいなもんよ。牛車の先に立って、近衛中将や少将に仕えてる少年の事よ」伊藤くんの心中を察したように洋子さんが解説する。
 ギッシャ?コノエチュウショウ?抽象的過ぎてさっぱり分からない。いや、具体的なのか。
「まぁ、分からなくてもいいわ。私は古文得意だったからね」
さすが文学部だ。今さらながらカーブを投げたカズの先見の明には脱帽だ。帽子かぶってないけど。
「で、それが何なわけ?」洋子さん少しいらだっている。
「それが答えだったりするわけよ。つまり敬語も使われていない記述が少しだけあって、さて登場人物は何人いたでしょうか?みたいな問いさ」
「まあ、それは分かるけど。だから?」寺尾アキラなら、確実に半落ちだろう。
「ブラウン神父のトリックにもお供が犯人ってのがあったっけ」
「君はおちょくってるのかね?」洋子さんの語気が千枚通しのように鋭い。
「子どもだろ?」カズの目は伊藤くんに向けられる。
「えっ?まぁ、そうだね」いきなりの変化球にびっくりしながらも伊藤くんのキャッチャーミットがかろうじて捕捉する。
「もう、どういう事よ!」聡明な洋子さんにしては珍しく会話の行き着く先が見えないようである。もっともヒトシ人形は沈黙の艦隊だ。静かなる鈍である。
「つまりね。主婦というのは子どもと一緒に行動する比率が多いわけです」ここで伊藤くんは一同を見渡す。さしずめ名探偵が一同を会して謎解きをするような気分だろう。って、そんなに大きな謎か?しかもカズにはバレてるみたいだし。
「だから子どもを監視しながら、ゆっくりおしゃべりできる場所というのがありがたいわけです。そこで、託児所兼喫茶店=貸し切りカラオケボックス。しかも格安となるわけですね。だからアメリカのマクドナルドには託児所は定番なのです」最後の口調はまるで草野さんである。お呼びでない、っと。等違いか。「など」と読む人は若いね。うむ。
「なるほどね〜」

 一体、君たちはカラオケボックスに何しにきているのだ。そして、私は夜中に何を書いているのだ?

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