今週の伊藤くんのひとりごと(総集編)

17
ところでみなさんは一人カラオケというのを体験した事がおありだろうか?
 
 まず、一人カラオケをするにあたっては、入念なリハーサルが必要である。部屋のアポを取ってから、退出してお金を払うまでが勝負なのだ。
 だから頭の中で(できれば前日の夜に)綿密にシミュレートしなければならない。店のレジは男性かもしれないし、女性かもしれない。バイトかもしれないし、経営者自身かもしれない。部屋は一階かもしれないし、二階かもしれない。もしも、エレベーターなら、店員と二人っきりで、息のつまる無言の空間を耐える覚悟で望まなければならない。一人でカラオケをするには度胸が必要なのだ。
 また、生理現象にも注意が必要である。トイレにはできるだけ行かないようにするのが得策だ。ドリンクもワンオーダー制なら仕方ないが、極力注文は控える。そんな暇があったら、一曲でも多く歌うのだ。
 あと、もう一つとても大切な事がある。それは紙と鉛筆を持参する事だ。なぜなら、カラオケというのは時間との戦いであり、自分との闘いでもある。と言うのも、一人カラオケとはつまるところ選曲者も入力者も自分一人なのだから、予め決めておいた曲を事前にメモし、店員が退室したらすぐに、番号をメモり、すばやく立て続けに入力し、曲選びのロスを省かなければならないのだ。
 その際、メモ入力は防犯カメラの死角で行う事は言うまでもない。失敗は許されないのだ。
 くどいようだが、失敗すればそれだけ歌う時間は減っていく。又、曲を歌い終わったら、すぐに演奏停止ボタンを押そう。最近では早送り機能がついた機械もあるので、それも最大限活用する。理由は言うまでもない。
 それからできれば部屋は一番隅を選ぶ事。というのもカラオケルームのドアは大抵中の様子が見えるようになっているので、他人の目を気にするあまり、女性のデュエット機能やハモリ機能で大勢で歌っているかのようにカモフラージュしなければならず、歌に集中できないからである(一人カラオケにとってこれほど空しいことはない)。
 最上階の一番端の部屋で非常階段が近ければとゴルゴ13並みの商談も可能であるので申し分無いだろう。
 一人カラオケとはナルシストになる事である。つまり、自分の歌に酔いしれる事である。誰にも見られず、誰にも聞かれず、ただひたすら一人で歌うのである。
 しかし、最後に難関が待ち受けている。退室時間を知らせる電話である。電話がかかってきたら取るしかない。その瞬間あなたは現実に引き戻され、歌のない演奏が鳴り響き、よりいっそう孤独感をあおる。この寂しさを紛らわすには、等身大の人形を側に置くより仕方あるまい。その人形をさも生きているかのように操り、腹話術で会話しよう。
 そうすれば、一人でいる事に何の寂しさも無い。退出する時は、防犯カメラの死角で、素早く畳み、カバンの中につっこみ、何食わぬ顔で、内心の緊張を悟られぬように半ばゆったりした歩調でレジへ向かおう。
 店員はきっと目を合わせないはずなので、むしろこちらから楽しかったとアピールし、最後に本当は友達が来るはずだったんだけどねーと付け加えれば完璧だ。
 以上、これら全ての事を頭の中で(できれば一週間前から毎日)シミュレートできなければ、あなたに一人カラオケの資格は無い。これが一人カラオケのオキテなのだ。
 
 どうだろう?みなさんにおかれましてはこのような掟がある事はご存じ無かったのではないだろうか?

 これは伊藤くんの話である。断じて筆者の体験談ではない。そんな寂しい人間が夜中にこんな小説をせっせと毎日書くわけがないではないか。

 話を進めよう。

「ドリンクの注文はお決まりでしょうか?」
 本当は決めて欲しいくせにイニシアティブをこちらに持たせようというマニュアル通りのセリフである。そもそも看板にワンドリンク制とあったはずだ。

「ウーロン茶」
「生ビール」
「レモンスカッシュ」
「ホットゆず茶」
 最後は誰だ、おい。
「かしこまりました。ご注文を繰り返します」
 嘉門達夫なら「繰り返さんでええ!」とつっこみそうであるが、そこは普通に流す。
「お食事のご注文がございましたら、お手元の端末でお受け致しますのでご利用下さい」
 はらたいらに1000点と言いたくなるような満面の笑みを残し、立ち去る女性店員であった。今、何人が笑っただろうか。地球人ではあるだろう。えっ?読み方が違う?

「こういうとこって、飲食代で元取ってんだよな」カズが手元に灰皿を引き寄せながら、話す。
「そうそう、カラオケ代なんてタダみたいなもんやもんな」ヒトシがマイクを机に並べながら答える。
「昼間のフリータイムなんてホントにタダみたいなもんよね〜」
「何でも主婦の利用を見込んでるって話だよ」伊藤くんは膝の上に端末を載せながらいじっている。
 この端末には先ほどのオーダーメニューはもちろんの事ながら、自分の年齢を入れると何歳の時に何が流行っていたかというランキング表示や直前まで利用していた人達の履歴まで残っている。言わば名も無き個人情報だ。
 さらにシャッフル機能により、何が入力されるか分からないロシアンルーレット選曲機能まである。もしも歌えなかった場合は画面に表示される罰ゲームを実行しなければならないのだ。
「主婦ってどういう事?」洋子さんが昔ながらのソングブックを見ながら質問する。文学部の彼女にとっては紙媒体の方がなじみがあるのだろう。
「つまりね、貸し切り喫茶店みたいなもんだよ」
「おっ、また謎かけみたいな事言うな〜」
 名探偵・所山一樹(通称・カズ)の目が光る。彼は知らない事以外は何でも知っているのだ。
「隠された記述というやつだな」一瞬の間の後、カズが口を開く。
「何それ?」今度は伊藤くんが聞き返す番である。見る側と見られる側はいつでも反転可能である。
「つまりだな、たとえば古文の問題でこの主語は誰でしょうという問いがあっただろう?」
「うん、あった」伊藤くん、素直な学生である。
「そういう時、洋子さんならどうしてた?」
 ありゃ、そっちへ行くのか。
「そうね、まずは「て」でつながっている文章をさかのぼっていくわね」
「うん。そうだな。〜て、〜て、古文ってやたらだらだらと太宰治みたいに文章がつながっていくもんな。現代語だったら、朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、トイレに行ってって感じかな。だから順接である限りはその手があるわけだ。他には?ヒトシならどうする?」  名司会者は順当に質問してくれるので作者としては楽である。
「敬語かな」
「おっ、さすがヒトシ人形。やるな〜。そうそう、尊敬語とか謙譲語とか丁寧語とか。古文の出題で中心になるのは宮廷文学だから、貴族のオンパレードなわけよ。そこで、敬意の対象が誰かを敬語を頼りに絞っていくわけだ」
「あのさ、せっかくのドラゴン桜気取りで悪いんだけど、で、君は何を証明したいわけ?」残り二名の聞きたい事を洋子さんが代弁する。
「そこで隠された記述だよ。受験生の諸君はメモっておくように」
「あんた誰としゃべってるの?」マンガか、おい。やはり見る側とーあっ、もういいですか。
「まあまあ。これはちょっと上級の問題なんだけどさ。実は記述に現れない人物というのがいるわけだ。例えば小舎人とかな」
「コドネリ?」良かった、伊藤くんの出番が再びやってきた。
「そう、正確には小舎人童だ」
「コドネリワラワ?」
 ダメだ。何語を言っているのか分からない。7語だという事は分かるのだけど。
「召使いみたいなもんよ。牛車の先に立って、近衛中将や少将に仕えてる少年の事よ」伊藤くんの心中を察したように洋子さんが解説する。
 ギッシャ?コノエチュウショウ?抽象的過ぎてさっぱり分からない。いや、具体的なのか。
「まぁ、分からなくてもいいわ。私は古文得意だったからね」
さすが文学部だ。今さらながらカーブを投げたカズの先見の明には脱帽だ。帽子かぶってないけど。
「で、それが何なわけ?」洋子さん少しいらだっている。
「それが答えだったりするわけよ。つまり敬語も使われていない記述が少しだけあって、さて登場人物は何人いたでしょうか?みたいな問いさ」
「まあ、それは分かるけど。だから?」寺尾アキラなら、確実に半落ちだろう。
「ブラウン神父のトリックにもお供が犯人ってのがあったっけ」
「君はおちょくってるのかね?」洋子さんの語気が千枚通しのように鋭い。
「子どもだろ?」カズの目は伊藤くんに向けられる。
「えっ?まぁ、そうだね」いきなりの変化球にびっくりしながらも伊藤くんのキャッチャーミットがかろうじて捕捉する。
「もう、どういう事よ!」聡明な洋子さんにしては珍しく会話の行き着く先が見えないようである。もっともヒトシ人形は沈黙の艦隊だ。静かなる鈍である。
「つまりね。主婦というのは子どもと一緒に行動する比率が多いわけです」ここで伊藤くんは一同を見渡す。さしずめ名探偵が一同を会して謎解きをするような気分だろう。って、そんなに大きな謎か?しかもカズにはバレてるみたいだし。
「だから子どもを監視しながら、ゆっくりおしゃべりできる場所というのがありがたいわけです。そこで、託児所兼喫茶店=貸し切りカラオケボックス。しかも格安となるわけですね。だからアメリカのマクドナルドには託児所は定番なのです」最後の口調はまるで草野さんである。お呼びでない、っと。等違いか。「など」と読む人は若いね。うむ。
「なるほどね〜」

 一体、君たちはカラオケボックスに何しに来ているのだ。そして、私は夜中に何を書いているのだ?

18
マクドと言えばさ。バーガー安いよな」口調は関東弁でもマックとは決して言わないカズである。ミスタードーナッツミスドだ。ロイヤルホストロイホなら。ドンキホーテはドンホ、びっくりドンキーはびくどか?何だかエラリィークイーンに怒られそうである。Yの悲劇だ。いいんだよ、分かる人だけついてくれば。わいの悲劇だす。
「そう言えば、バーガーが安なった時、おもろいおっさんおったで」バリバリの関西弁で話すのは草野ーいやヒトシ人形である。
「失礼しまーす」ノックの音もやまないうちにさっきとは別の店員が入ってくる。右足が沈む前に左足をみたいな表現で申し訳無い。
 そんな作者の述懐をよそにお盆片手にやって来たのは、耳にピアスをした、いかにも店員である。まだ十代だろう。彼は慣れた手つきで飲み物を置くと足早に退室した。
「ああいう時って、目合わさないよね?」洋子さんがカップを片手に言う。
「やっぱ気まずいのかな」これは伊藤くんである。
「特に歌ってる時とかちょっと独特の空気やで」
「まっ、今時の子はアイコンタクト苦手だからね」
「俺たちも若いで」笑いながらつっこむヒトシ。
「さっきの女の子なんかマニュアル120%って感じだったもんね〜」つられて笑う洋子さんである。
「そうかな」カズがまた新たな波紋を投げ掛ける。
小田和正のアルバム?」
「やっぱ男って若い子の肩持つんだ〜」
 伊藤くんのギャグは不発に終わったようだ。
「いや、そうじゃなくってさ。ちゃんとゆず茶飲んでるだろ?」
「あっ、確かに」洋子さんがうなずく。
 続いて理解の連鎖反応が広がる。アルルの声が大仁田のセリフとかぶる。
「うーん。ほんまやな」
「確かに注文通り飲み物が配られてる」
「なっ。つまりあの子はマニュアル娘じゃないわけだ」
 モーニング娘という言葉が浮かんだけど、ウーロン茶と共に飲み下す伊藤くんである。
「時々、いるよね、客にどれでしたっけ?みたいなのを平気で聞く奴。ああいうのでその店の評価が変わるもんよ」洋子さんすっかりカズ陣営である。秘技変わり身の術。
「ところでヒトシ、何が面白かったんだ?」
「ああ、そやそや。あんな、ちょうどバーガーが安なった時、マクド行ったら、俺の前におっさんがおってん。で、おっさんレジの女の子にバーガー10個くれって言ってん」
「バーガーって何バーガー?」
「一番安い普通のバーガーや」
「うわっ、一番迷惑な客ね。マクドなんて他のセットメニューで利益出してるわけだし」
「信じられないな」カズもうなずく。
 もっとも平気でバーガーだけ頼む奴が約二名いるわけだが。
「特にあの時は破格やったからな〜。人件費削るために最新の大型レンジ導入して、バーガーの作り過ぎを減らしたくらいやから」
「やっぱ人件費がネックですか」カズが分かったような口ぶりで語る。
「そう言えば、コンビニゲームでもいかに人件費を削減するかがポイントだもんね」得意の分野になると俄然活気づく伊藤くんである。
「はいはい」ゲームには無反応な洋子さんである。獲物としては魅力が無いのだろう(gameを辞書で引けば分かるはず)。
「でな、そのレジの子が合計金額を言ったら、おっさんあんまり安いからびっくりしたんやろな。ほんまにええんかって何回も言うねん。で、レジのねーちゃんもちょっとドギマギしながら、はい間違いありませんって答えるねん。その光景がおかしくてな」
「その子も説明してあげたらいいのにね。機転が利かないというか」
「おっさん、まじでねーちゃん打ち間違いよったんちゃうかって思ったんやろな。でもまぁ関西人はがめついから、あえてそれ以上聞かんみたいな」
「それがマニュアル娘だな」カズがシュートを決める。ジョン・カビラがやかましい。
「てゆーか、そろそろ歌おうよ」伊藤くんがやっと禁断の果実に触れる。試合開始からすでにかなりの時間が過ぎているのは周知の事実である。ヤワラちゃんなら何人倒している事だろう。
「おっ、そうだな。ところで、この店の秘密そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」
「そうね。もうボジョレヌーボも出回る頃ね」
 おかしい。絶対おかしい。きてます。きまくりやがってます。
「伊藤くん、iPOD持ってきてる?」
「うん、あるよ」
「ちょっと貸してくれる?」
「いいけど。何するの?」
「空きはあるよね?」
「うん、15ギガくらい」
 頭のキャパはもっとあるけど。
「じゃ、オッケーね」
 洋子さんが言えば何でもオッケーですけど。
 洋子さんは伊藤くんから受け取ると、カラオケ機材の方へ行く。
「あった、これだわ」
 洋子さんの手に白いケーブルがある。
「Fire Wireか」ガラス越しに接続先を確かめる洋子さん。
「アイトリプルイーか?」カズがつぶやく。
 その言葉には答えず、「伊藤くん、このコネクターってここにはめるのよね?」
 洋子さんが底辺の端子部を伊藤くんに見せる。
「そうだよ。あれ?それってホントに接続ケーブルなんだ?」
「うん、そうよ」
「って、事はつまりー」
「音声データを転送できるって事か」
 最後まで言わせろよ、カズ。
「正解!何と録音できるので〜す」
 うわ、マジですか。しかも僕のiPODにでございますか。
「まっ、こんなの今さら大した事じゃないけど。昔、CD-Rに録音できるってサービスがあってね、初めてプリクラした時くらい、友達とはしゃいだ事があるわ」
「最近はDVDを鑑賞したり、スタジオ代わりや演劇の稽古場、会議室なんて使い方もするらしいよ。防音や音響設備いいしね。そのうちプリクラとかと連動するかもね」伊藤くんここはワンポイント獲得である。
「ダンレボ付きのカラオケボックスやったら見た事あるで」
「うそー。行きたい、行きたい。今度行こっ?」席に戻った洋子さんが騒ぐ。ヒトシがまた上を行ったようだ。しかし、なぜか席はカズの隣である。
「じゃ、まずは嵐ね〜」
 あたしと掛けたのかは不明だが、洋子さんのジャニーズメドレーが幕を開けるようだ。喝采
「変わらないものを笑うのに変わることに臆病なのはなぜかしら?」
「いきなり哲学か?」カズがフィールドに躍り出る。
「嵐の歌よ。『できるだけ』って言うの」
「あっ、そ」カズ、ベンチ入りである。
「a day in Our lifeもいいな〜」
「青春だね」今度は伊藤くんがボールを蹴り出す。
木更津キャッツアイのテーマソングよん」
 パス。
「よう分からんな〜」ヒトシ、スルー。
「あれは確かに名作だな」カズかろうじてパンチング。
「あ〜、もうどうしよう。イチオクノホシもいいし、途中下車も捨てがたいし、ピカンチダブルは当然として、とまどいながらも切ないし、君がいいんだも秘密もいいのよね〜。櫻ップもがんばりたいし。冬のニオイも瞳の中のギャラクシーもおさえたいし。名曲だらけだわ〜」
 迷曲だろ、それ。言葉が分からない。
青春アミーゴなんてどう?」ヒトシがセービング。
「あれは修二と彰でしょ」
「えっ、違うん?」ボールはまた相手チームに移ったようだ。酔いが回りすぎてるのかもしれない。地元じゃ負け知らずの彼にも苦手分野はあるらしい。伊藤くんの頭の中に流れている曲は小田和正のまっ白である。ホントは特捜最前線のようなイントロなんだけど(古いな)。
「NEWSの山PとKAT-TUNの亀梨くんのユニットよ。ちなみに錦戸くんはNEWSと関ジャニ∞の両方にいる事もおさえといて。友達はいまだにオリキしてるんだからね」
 もう何が何だか分からない。ここは日本だったはずだ、確か。
「あ〜、あれ何だっけ?サビは分かるんだけどな〜。あっ、そうだ!アレ使おうっと」
 洋子さんの顔が四次元ポケットを探るドラえもんの顔に変わる。あるいはペコちゃんの舌なめずり顔でもいい。
「らー。ららら〜。ららららら〜」
 いきなり鼻歌を歌い出す洋子さん。
「えっ?」伊藤くん思わず声をあげる。
 洋子さんのオフサイドにレッドカードを出したわけではない。
 画面に次々と曲名がリストアップされていくのだ。
 魔法の言葉?
「あっ、これこれ!きっとこれだわ」
 画面に向かって指を指す。20曲近い曲目の中に一つだけ嵐の曲が表示されている。洋子さん、迷わずイントロを流す。
「やった〜。これよこれ、そうそうハダシの未来だった。そうそう」
 こっちは涙そうそうだ。まっ、いっか。
 しかし、もっと驚いたのは洋子さんの歌声である。
「ええっ!」
 三人とも洋子さんに注目である。
 その声はどう聞いても男性の声だ。
「あっ、そうかボイスチェンジャーか」カズが納得する。
「ああ、そういう事か」伊藤くんもホッと胸をなでおろす。
 洋子さんはと言えば、もうあちゃらの世界へトリップである。
 いっちゃってる人ってこんなんだろうか。ちょい萌え女登場である。青春あねーご全開モード。
 やがて歌が終わる。
 拍手。
 するしかないだろ、やっぱ。
「いや〜、男ボイスにはびっくりしたけど、なかなかうまかったで」ヒトシくんがおだてる。
「ふふ、君たち甘いわよ。今のはただのチェンジャー機能じゃないのよ」
「え?」ヒトシ人形が空気の抜けたタイヤのような声を出す。
「まっ、いいから、あんたサザン歌いなさいよ」
「えっ、サザンはちょっと無理かも」
「いいから、いいから、ほら入れるわよ、ツナミね。知ってるでしょ?」
「まぁ、知ってるけど」
「じゃ、決まり!」
「しゃあないな、がんばるわ」
 イントロスタート。洋子さん何だか嬉しそうである。
 ヒトシが歌い始める。
 再び耳を疑う伊藤くん。いや、驚いたのは伊藤くんだけではない。カズも、そしてヒトシくんまで驚いて目を見合わせる。
「ほら、続けて!」洋子さんだけ一人場外応援である。
「うそやろ」
 ヒトシが思わずマイクで叫ぶ。
 伊藤くんとカズがまた目を合わせる。
 声が桑田佳祐なのだ。佳祐桑田でもいい。ヒロミ郷でない事は確かだ。
「そうよ、さっきのは嵐の声だったのよ」
「うそ?」カズが梅干しを食べたような顔をする。
「ここまできたのよ、カラオケは」
 まるでなにわ節だよ人生はみたいだとは言わない。伊藤くんまだ若いのだ。
「これって、機械で合成してるって事?」伊藤くんが遠慮がちに質問する。心のつっこみと違って表向きは謙虚な学生なのである。
「そうよ、さらにこれよ」
 今や洋子さんはジャパネットタカタみたいに得意満面である。
 するといきなり、四方の壁が観客の映像に切り替わる。続いてモニター画面の前に下からマイクがせり上がる。
「おおっ!」ヒトシが奇声をあげる。
「じゃーん。これで気分はコンサート会場よ!後ね、本人出演の映像とデュエットなんてのもあるのよ」
 今回はさらに二枚おつけしますみたいな、じゃあ半額にしてよみたいな感じである。このタンス、実はここに隠し扉がありますって、バラしたら意味ないやんみたいな初号機暴走、シンクロ率400%状態である。いかん、文章まで暴走気味だ。いや〜んな感じである。
 
 ん?このテーマソングはもしやー
 暗転。
 スポットライトが猫背のあの男を照らし出す。
「え〜、みなさん毎度おなじみ新畑任二郎でございます。今回はわりと小説仕立てでしたね。みなさんのお口に合ったかは疑問ですが、作者は深夜にも関わらずよく頑張りました。もう3時半ですよ。アホです。でも、今回のポイントはそこじゃないんですよ。カズが頼んだ飲み物は何か?ヒントは隠された記述。ちょっと17から読み返して下さい。新畑任二郎でした。ではおやすみなさい」

 ほんとにおやすみなさい。

19
 さて、ここで作者の物語リモコンを持つ手は一時停止ボタンに触れる。この比喩表現は適切だろうか?メタファーも何もあったもんではない。極めて感覚的というよりマンガ的な陳腐な表現ではないだろうか?
 と書いてみて、「?」よりも「。」の方がいいのだろうか(この後には不要かな)としばしば思い悩む作者である。そもそも作者とは物語においては神のような存在であって、頻繁に登場するのは読み手を混乱させるだけではないか(ここで悩む)と思うのは私だけだろうか?(と一般化して逃げるのはもはや常套手段だ)
 ここまで書いてみて実はそのような疑問が火山からわき出る溶岩のごとく噴出しているのである(この表現はイケてるのか?)。
 そこで、ここからしばらくは素人ならではの小説を書く上での疑問や留意点を自らの経験を踏まえながら書き綴りたいと思う。

 すでにこの節の中にも「思う」という表現の重複や( )と句読点の位置など、気にかかる事は多い。表記の統一性や整合性から「など」を「等」に改める事はパソコンの編集機能を使えば一発で検索・置換ができるものの、一括して行えば偶然の文字のつながりや文章の見た目に思わぬ影響が出るかもしれない(この語尾も私の文章には多いのが気がかりかもしれない)。

 例えば、私等には漢字が続くと「等」は違和感を感じる(これは親父ギャグではない)。特に人名の羅列がつながると見苦しい。青木裕二、竹中平三、小林秀夫、石田純一等、と書くのは私にとっては何か居心地が悪い(何で最後だけ人名表記が一致してるのだ)。私と書きながら、僕と書きたい時もあるし、どっちでもいいか等と思ってしまう。
 この場合、「など」ではひらがな続きで頭が悪そうな文章に私などは思ってしまう(ここはやっぱりひらがながいい)。
 重複表現と言えば、「違和感を感じる」という表現はすでにかぶっているのであって、「違和感を覚える」の方が適切だろう。「手慣れた手つき」はやはりおかしい。的を得たーもとい、的を射た表現ではない。誤字・脱字というのも気になる。ら抜き言葉と言われる「れる・られる」や、い抜き言葉(今作ってみた)の「愛している・愛してる」は脱字に当たるのか否か。この辺りは個人の感覚に左右される事が多いだろう。
「事」と「こと」、「所」と「ところ」、「と言う」と「という」等は常に逡巡表記ランクの上位を占める。
 作者独自の表記の統一にも気配りが必要だ。「例えば」を「たとえば」と時々変えてみたり、「つっこむ」がある箇所では「ツッコむ」となっているのは文章を推敲していないと思われても仕方が無い(と言っていつ使うか分からないそれらの気まぐれ表記を辞書登録するのも難しいから機械任せにはできないとつっこんでおこう)。

 と言ったような事を(二度悩む)しばらく書いてみよう(と言ってすでにかなり書いている)。この( )書きも時にはうざいし、ストーリーの妨げになっている事も重々承知である(です・ます口調と断定のどちらかでまた悩む)。うわっ、何だか書けば書くほど、書いた側から、これでいいのか?と悩みまくりでございますですだ。

 ところで、前回カラオケの話を書きながら悩んだ点を挙げると、それは歌詞の表記である。いくらマニアックなブログと言えども、不特定多数の目に触れる公共性のある文章の中では歌詞表示も立派に著作権に触れる。また文章の引用にも出典元はできる限り明示する方が誠意も伝わるだろう。そこで、作者の使った姑息な手段は?と言えば、歌詞表示を別の言い回しにするか、もしくは意味の無い言葉の羅列にしてしまうという事であった。ららら〜。しかし、これも大黒摩季から訴えられそうである。

 このような舞台裏を赤裸々に語る事は作品のリアリティを崩し、ひいては作者の貧弱な知性をさらけ出す事でもあるのだが、しょせん素人の書いたブログであるし、元々リアリティのかけらも無いので、伸び伸びサロンシップ並みにこのような駄文を安心して連ねる事ができる強みがある。まるで素人参加番組のような図々しさだ。 

 うーむ、今日も快調ロプロスである。ポセイドンは海を行け!ロデム変身地を駆けろ〜。つまらない。実につまらない。もっとつまるように書かなければ、次第に読者の興味が削がれていく。ギャグという(言う?)のは共通の土俵に上がっていなければ成立しない。

 それはつまり、書き手と読み手が感受性においても同等かそれ以上である必要がある。それ以上というのは、目線を落とせば合わせられるという意味だ。両者の距離があまりにもかけ離れていた場合には、読んでいても楽しくも何とも無いだろう。手塚治虫は大衆を笑い者にしない事を信条としていた。確かに彼の作品は人間に優しさや温かみを感じるものが多い。しかし、こちらは笑われているのだ。根本的に何かが違う。

 時事ネタと普遍性についても気にかかる。作中では星新一さんの話を引き合いに出したのだが、一過性のものは飽きられるのもまた早い。ギャグもその一つだ。擬音語や擬態語の多用と同様に作品の低俗化を招く。デジタル機器やタレント名・はやり言葉を連発する文章は自殺行為に等しい(ってこのブログの事か)。
 普遍性があれば作品は時代を超越する。文学作品が残っているのは、そこに人間の根源的とも言える苦悩や生き様が描かれているからだろう。雑誌や新聞記事ならば流行が主体であっても構わない。しかし、小説となるとある程度の普遍性がなければ残らないに違いない。だからエンタメ系の本は自然淘汰率が高い。単に売れればいいのか、せっかく書いたのだから多くの人に読まれたいのかでその作品の方向性も変わるだろう。ちなみにブログは消費メディアに近いので、読み返される事は少ないと思われる(と弁解)。

 ところで文章は通常、各行の頭を一マス分下げるのが決まりだが、ブログの場合は適当な所で、行を空けないと読みづらいようだ。おかげで作者の意図しない行間を読まれる事も多くて困りまんねやわ。

 数字の表記を漢数字にするかも迷う。そもそも数字や横文字はこのブログのように横書きでは違和感が無いが、縦書きではかなり変だ。作家の姫野カオルコさんは縦書きと横書きでは思考すら変わってしまうと語っている。今、この文章を縦書きに変換したとすれば、私の文章ももう少し高尚なものへと変わるかもしれない。

 視点の統一という事も気になる点である。一人称で書くならその人物が超能力者でも無い限り、相手の心理状態を書いてはならない。もし、相手の心理状態を表現したいなら「何かに脅えているようだ」とか「手元が震えている」と言った伝聞や客観的な表現にしないと統一感が無いだろう。そのような文章は読み手の混乱を招くだけだ。  もしも第三者の視点で書くならば、複数の人間をまるでカメラで写すように描く必要がある。

 一人称と作者の心中が混同してしまうような表現も好ましくない。「やっぱり」とか「確かに」を無意識に使ってしまうがちだが、それは読み手にとっては何が根拠でそのように思うのかを書かなければ、恣意的な文章になってしまうだろう。かく言う私も一晩置いて文章を読み返すととてもメール送信できない文章を書いている事があり、顔に水をかける始末である。もし本当に火が出れば始末書では済まないだろう。

 時制にも気をつかう。「〜した」「〜する」という文末に統一感が無ければ、ビフォー&アフターの区別がつかない。と言って、「〜した」「〜した」と連発するとただの説明文になってしまって面白味が無い。

 足が棒のようになった人は生まれてからまだ一度も見た事が無いが、擬人法や倒置法と言った特殊メイクを多用するのも読みづらいはずだ、きっと。口語調と文語調の混在もちょー読みづらいのではあるまいか(それはタメ口調だ)。

 セリフの後の人物の仕草をどう書くかについてもしばしば迷う。赤川次郎さんのように軽快なセリフとテンポで読ませる才能があればいいが、口調だけで発言者を表すのはなかなか難しい。女言葉と男言葉や自称語による年齢の差異(わしとかあたしとか)は比較的便利な表現法だが、セリフの後に発言者の名前を書く場合は仕草や行動を付記しないと台本のようになってしまう。仕草と言ってもバリエーションはそう多くない。そこで慣用句を使いたくなるのだが、「〜と肩をすくめた」なんて書いて、そんな奴見た事あるか?お前はオーバーアクションの外人か!等と考え始めると政治家の答弁と一緒でなかなか前に進まない。

 と言ったような事を私は毎回思いながらここまで書いてきたし、きっとこれからも書いていくのだろう。たったこれっぽっちの文章を書くのに、気が付けば二時間も費やしている。物語の一時停止もそろそろ終わりにしよう。とりあえず今日はここまで。ありがとうございました。

20
「私、ドリカムいっちゃおうかな〜」
 すっかりカラオケを満喫している洋子さんである。気が付けば、さっきからトリノオリンピックの実況レポーター以上にマイクを離していない。ワンウーマンショーだ。
「ねっ、ドリカムの初期の名曲に面白い語呂合わせの名曲があるんだけど知ってる?」
 洋子さんのつぶらな瞳が伊藤くんを真っ直ぐに捉える。ヴェールを取り、誓いの詞を交わす二人。ナンジハヤメルトキモスコヤカナルトキモー
「ねぇ、聞いてるの?」
「あっ、うん」少し顔が赤らむ。病んでいる。照明が暗いせいで洋子さんに分からないのが救いだ。
「でも、知らないな、ごめん」
「カズは?」
「俺も知らん」
「知らんな〜」聞かれていないヒトシまで追尾する。
「正解はこれよ」
 IT’S TOO LATEというタイトル表示と共に歌が始まる。
 サビの部分が流れた瞬間、伊藤くんはなるほどと感心した。内容は失恋の歌なのだけど、「いずれ」という歌詞とタイトルの発音が似ているのだ。そして、それはもう遅い過去の話なのだ。IT’S TOO LATE。なるほどうまくできている。
 伊藤くん、決して英会話が得意なわけではないが、洋画の字幕を見ながら感心する事が時々ある。まだあまり英語が分からなかった頃の話であるが、字幕というのは逐語訳だと思っていた。
 つまり、英語の全文をそっくりそのまま日本語に訳していると思っていたのである。しかし、実際は違う。なぜなら字幕というのは一目で捉えられる文字数というのがある程度決まっているのである。だから、限られた時間の中で的確に情報を伝える必要がある。さらに雰囲気に合わせた訳を試みなければならない。その意味では学術論文のような一字一句を正確に翻訳する作業とは違って、ある種のセンスというものが求められる。ましてや吹き替え用の台本となると、声優の力による所が大きいものの、口調を揃えるためにさらに条件が厳しくなる。
 だから外国語が分からないからといって、何でも吹き替えで鑑賞するはその作品の魅力を味わい尽くせないと言える。文化の違いで日本語にできないニュアンスの言葉もあるのだ。仮に言葉が分からなくても雰囲気というのは感じられるものだ。鈴木孝夫という言語学者がその著書『ことばと文化』で「ことばとは氷山の一角である」と評したように、GODという単語が指す意味は国によって違う。言葉を表面的に訳したからと言って水面下の文化的背景まで移行できたわけではない。三国志が日本人に受けるのは、情愛が日本人の感情に近いからであり、逆にアメリカ文学が分からないのは生活環境がイメージしにくいからだというのは言い過ぎだろうか。おそらくドラえもん踊る大捜査線の面白さはあちゃらでは理解しにくいに違いない。

 カラオケの話であった。

 世の中には洋子さんのようにカラオケ好きの人間もいれば、カラオケなんてなぜ世の中にあるのだろうと撲滅委員会に入会したい人間もたくさんいる。そこでこの店のカラオケには本人のプロモーション映像がふんだんに用意されている。実は二つ向こうの部屋ではおばあさん達が集まって、美空ひばりのプチビデオコンサートとでも言うべきショーが開催されていたりする。そのまた隣の部屋でマツケンサンバの振り付けを一心不乱に練習している中年オヤジがいる事を伊藤くん達は知らない。

 一心不乱と言えば、伊藤くんはたまにゲームセンターに足を運ぶが、そこで凄いカップルを見かけた事がある。当時、そのゲーセンではダンスダンスレボリューションが流行っていた。音楽に乗せて現れる画面表示に従って、足下の四方向の矢印をリズム良く踏んでいくゲームだ。うまい人になると本物のダンサーかと思う足さばきでクリアーしていく。
 そこにカップルがいた。もちろんいても悪くないのだが、ゲームつながりで知り合ったようなさえないカップルだったのである。どちらかと言えば文系カップルという風貌の二人は、曲が始まるとその見た目の地味さとは裏腹に、周りがひくくらいのステップを軽やかに踏んだ。いや踏みまくった。まるで駄々をこねる小学生のように爽やかでない汗を流しまくっていた。このカップルにとってはこれがデートなのだろう。UFOキャッチャーではしゃいでいるようなちゃらちゃらカップルとは年期が違う。二人がどこで練習を積み、どのような会話を交わすのかなんて想像したくもない。
 ゲーセンという場所には一種異様な空気がある。何があったのかは知らないが、背広姿のサラリーマンがもの凄い勢いでリズムボタンを連打しているのを見かけると日本もまだまだ捨てたものではないな、いや捨てた方がいいかもしれないなと思ったりするものだ。
 ある時など、ヘッドフォンをした若者がプロドラマー並みに嵐を呼ぶほどの迫力でドラムを叩いていた。何が目的でと思いつつ、どこかで誰かに見せたい願望が彼らにはあるのだろう、きっと。

21
「カズも歌えば?」
 入室から約1時間。洋子さんのジャニーズメドレーが終わり、洋子さんのドリカムメドレーが終わり、洋子さんのー
 つまり、洋子さんが歌い疲れた頃、バトンは男性陣へと回される。アニメソングが歌いたくてうずうずしている二名の男をよそに運命の女神はカズへと微笑む。
 そう言えばー
「そう言えば、カズの歌って聞いた事ないな〜」ヒトシが洋子さんが以前に口にした事を繰り返す。
「そっか、俺このメンバーでカラオケ行くの初めてか」カズがグラスに残ったレモンスカッシュを一気に飲み下す。
「じゃ、歌うか」
 端末に入力するカズ。
 ここのカラオケでは歌い始めるまで画面にタイトルは表示されない。手元の端末に表示されるのだ。つまり、入力者でなければ確認はできない。だから、洋子さんのドリカムクイズも答えは歌が始まるまでは分からなかったのだ。もっとも、タイトルを見たところで歌を知らなければ答えられなかったのだけど。
 「へぇ〜」伊藤くんが声をあげる。曲が始まったのだ。
 タイトルは「さくら」。
 森山直太朗ではなく、ケツメイシである。
「うまっ」ヒトシが叫ぶ。と言って、料理に舌鼓を打ったのではない。そもそもフード類は何も頼んでいないのだ。
「すごい!」洋子さんが感心した様子で手をたたく。
 ラップの部分まで完璧である。一瞬、CDが流れているのかと耳を疑ったくらいだ。天はまたこの男に味方している。二物も三物も与えて、まだ足りないというのか。宝くじに当たった人間が、ロトでまた大金を手にして、使い道が無いので株を買ったら、またしても大もうけみたいな。世の中つきまくりの人間、それがカズなのだと伊藤くんには思えて仕方が無い。
 ここまで来ると、乾杯である。いや完敗である。時々、電撃入籍ニュースに、本当に電撃が背中を走る時があるが、そういう時は大抵、なんでこんなに美しい人がこんなさえない男に?という悔しさからだ。広瀬香美ロマンスの神様ではないが、拳握りしめる僕である。
 自分に近い(と思える)男が絶世の美女のハートを射止めるというのはどうにも胸ヤケがする(胃薬でも飲んだ方がいいのかもしれない)。しかし、例えば仲間由紀恵のお相手が速水もこみちのようなルックスを持ち、資産家で医者というようなスーパーサイヤ人3であれば、どうぞどうぞ持ってって下さい。わしらのような者には到底望むべくもございません。へへ〜と土下座してしまうのが一般男性のアベレージではないだろうか?
 と伊藤くんは思うのである(すり替えてないか)。

「すごい!すご〜い!」洋子さんおおはしゃぎである。能ある鷹は爪を隠さなくてもいい。二枚刃も三枚刃もあるのだから隠しようも無い。ひげ剃りだったら大人気だろう。
 その後もDef Techやミスチルなど、スキの無い作りでカズの株価は急上昇していくのであった。これが女性に好きと言わせるスキなのか。
 ヒトシももはやお手上げである。こうなるとアニソンはただの場つなぎである。伊藤くんはと言うと、PDAにまた図を書き込んでいる。おいおい、だから株価が下がるんだって!

 こうして当初洋子さんにサーブ権があったカラオケは、カズの独壇場となってお開きとなった。

 レジに向かうと、いつの間にかカズが先頭に立っている。入る時は確かヒトシが先頭だったはずだ。
「お会計の方が7000円になります」
「一人1750円か」とつぶやき、「じゃ、これで」とカズが一万円を差し出す。
 スマートな男とはヒトシのような体型の逆を指すのではなく、このような男を指すのだろう。
 店から出たところで精算が始まる。酔っぱらいのおじさん達がお金を差し出しながら辞退しているところを見ると、横から持って行ってやろうかと考えてしまうのは私だけだろうか(今度は逃げなかった)。
「さっき一人1750円って言ったよね?」洋子さんが財布を出しながら聞く。
「ああ」カズがうなずく。
「計算はやっ!」ヒトシがつっこむ。
「そうでもないよ、分割しただけさ」
「ふーん」ヒトシが1750円をカズに渡す。
「あっ、ごめん。私、2000円しかない」
「僕も」洋子さんと伊藤くんが歩調を合わせる。いや、たまたまか。
「ごめん、今小銭無いんだ」カズが少し困った顔をする。
「じゃあさ、この500円でいいよ、伊藤くん今度250円返すからそれでいいよね?」
「はい」伊藤くん、即答である。
 洋子さんから頼まれれば、世界の中心で愛を叫んでもいいくらいなのだ。

 帰りの電車に揺られながら、伊藤くんはいつもの通り携帯でブログを書いている。周りの人から見ればただメールを打っているようにしか見えないだろう。伊藤くんはパソコンからブログを書いたりもしているが、このような細切れ時間を利用して少しずつ文章をしたため、パソコンにメール送信をして、編集している。レポートも同様だ。言わば、分割作業を積み重ねているのだ。
 ん?伊藤くんの思考が突然飛躍する。
 分割。
 カズの言葉が思考にかぶさる。洋子さんは今度250円を返すと言った。500÷2。分割だ。
 あの時、カズは何と言っただろう?
 確か、分割しただけさと言ったはずだ。
 それは単に人数分で割ったという意味だと思った。その時、伊藤くんは何かが心にひっかかっていたのだ。
 何が心に?
 その心の澱のような物が再び浮上したのだ。
 
 突然の暗転。スポットライト。

「え〜、みなさんお久しぶりですぅ」
 いらない。慌てて電気を点け直す伊藤くん。
 猫背の男がひょっとこのような顔をする。

 伊藤くん再び思考を再開する。あんな男に邪魔されてたまるものか。

「そうでもないよ、分割しただけさ」カズはそう言ったはずだ。
 そうでもないよ?その前のセリフは何だっただろう?
 そう、確かヒトシが計算速いなと言ったのだ。
 つまり、カズはあの時、計算は速くないけど分割したんだと言ったのではないだろうか。
 そしてそれは、割り算を瞬時にできたのではないという事になるのではないだろうか。
 もし、そうだとするならー
 伊藤くん、時々このような名探偵モードで会話のシミュレーションをするのが好きなのである。なぜそのように答えたのか?もし、自分がこう言っていたら相手はどういう反応を見せていたか?あいつにこう言えば誰に伝わって、どう自分に返ってくるか?そう言った予測と修正の繰り返しが時に彼を窮地から救う。ほとんどは無意味な帰結を迎えるのだが、その経験がまた次に活かされる。多かれ少なかれ、試行錯誤するのが生きている証拠なのだろう。思考錯誤も多いけど。
 ところで、シミュレーションはsimulationである。だから、カタカナ表記をすればシュミレーションではない。シミュレーションゲームを好む人にとっては趣味レーションでもしゃれているかもしれないが、このような言葉の誤作動が伊藤くんには気にかかる。
 似たような事例を挙げれば、ディズニーランドをデズニーランド。ジュラシックパークをジェラシックパーク等と言われるとジェラシーに駆られる伊藤くんである。正しいカタカナ委員会があれば迷わず入る伊藤くんでもある。
 拡散した思考を虫メガネが紙を焦がすように一点に集約する。
 合計金額7000円を分割する。
 しかし、7000÷4ではない。
 カズはあの時、素早く分割したのだ。分割しやすいのは7000と4のどちらだろう?
 やはり分割しやすい4ではないだろうか。
 2×2=4
 これを元の式に戻すと7000÷2÷2
 3500÷2
 1750円か。
 いやもしかしたら、3000÷2と500÷2を足したのかもしれない。
 伊藤くんだてに毎朝あの目覚まし時計で鍛えられているわけではないのだ。きっとそういう事なんだろう。メールでカズに確かめてもいいけど、おそらくカズはそんな事は言わないだろう。それでいいのだ。どちらにしろ計算が速い事に変わりは無いのだから。
 エサを待ち受ける鯉のように口を開ける向かいの親父を見ながら、やはり気道確保はとまたいつもと同じような事を考えながら西田敏行のような笑顔を浮かべる伊藤くんであった。

22
 2×3:30−12

  6:18か。

 相変わらず面倒な目覚まし時計である。もらい物でなかったら、とっくに小さな古時計になってクローゼットの片隅で永眠しているだろう。

 伊藤くんの今朝の頭のトレーニングは任天堂DSの『えいご漬け』である。
 さらさらと俳人のごとく聞き取った英語を書き綴ると瞬時にリスニング能力が試される優れモノである。これは昔からDictationと呼ばれて、英語学習では聞き取りに効果があるとされている学習方法の一つである。
 However(BGMはもちろんGLAY)、自分の手でCDをかけ、ノートに書き取り、再びCDを聞きながら、正解を見るという行為は、自分で投げたボールを先回りして受け取るような虚しさがある(それはそれで凄いではないか)。たとえ直そう。壁に向かってひたすら打ち込む卓球部員のようではないか(直す必要があったのか)。打つべし、打つべし!である(うわっ)。
 But、このソフトならそれがいとも簡単にできてしまう。元はパソコンソフトの移植だが、何よりペンで書くという行為がどれほどこのソフトに向いているか、PerhapsこれほどDSに向いている教材も他にないのではないかとさえ思ってしまう。
 どうにも横文字が多くて読みづらかったと思う。申し訳ない。これも『えいご漬け』の効果だろうか(きっと違う)。
 このソフトをPLAY(しつこい)すれば、カタカナ英語の弊害を実感させてくれる。冠詞の有無、複数形と単数形、連結音の欠如、簡単な単語さえ聞き取れないと少し凹む。

 場面は変わって、家を出る伊藤くんである。たった一行の改行で時間はあっという間に進む。これも行間を読ませない高尚なテクニックだ。
 伊藤くんは通り道をいつも変える。道というのは進む方向によっていろんな顔を見せてくれるからだ。道を変えると同じ建物がよそ行き顔に表情を変える。心なしか気分も違う。
 伊藤くんは歩きながらカラーバスを試みる。これは『考具(こうぐ)』という本で知った言葉だが、色(カラー)を水を浴びる(バス)ように目からキャッチして刺激を受ける思考訓練だ。具体的に言えば、今日の色を決める。例えば、青と決めたらその色だけに注目しながら道を歩いてみるのだ。そうすると、意外な物が目に飛び込んでくる。青い帽子、青い看板、青い文字。青がどういう物に使われ、どういう視覚効果をもたらすのか。普段、漠然と目に入る視覚情報も対象を絞る事によっていい刺激材料になる。
 別に対象は色に限らない、匂いや形、手触り、検索サーチは何でもいいのだ。道を変えるのもその一つ。しかし、その中で心のドリームキャッチャーにひっかかるのはごくごく一部だ。
 材料は多ければ多いほどいい。選択肢が多ければ消去も楽だ。一つの考えに拘泥する事は自分の視野を狭めてしまう。
 思考は言葉に束縛される。言葉が無ければ考える事はできない。言葉にならない気持ちというのがあるが、それは感じているだけだ。
 思考とは考える蓄積である。
 知らない言葉が考えられないという例を挙げれば、「美しい」という言葉を聞けば、日本人はそれぞれ自分の中で美しいものを想像する。きっとbeautifulという言葉を聞いても同じだろう。
ところが、hermoso(−sa)と聞けば途端に一変する。これが美しいという言葉ではないかと推測する人はなかなか鋭い。これはスペイン語なのだ。しかし、突然何の脈絡も無く、この言葉を聞いて分かる人はスペイン語を知っている人以外にはいない。だから、美しいものを想像できないのだ。もちろん、同じ意味を指す単語ばかりでないのは以前に語った。また置き換えられない言葉も存在する。日本の寿司が英語でも同じ発音なのは有名だ。その文化に無い概念や存在にそれを指し示す言葉が生まれるはずも無い。
 先ほどスペイン語に( )表記をつけたのは男性名詞と女性名詞の区別があるからだ。日本語にはそのような概念が無い。
 それはまるで漢字にふりがなを打つようなものだ。その昔『バカの壁』で有名な養老孟司さんがホラーマンガ家の大家・楳図かずおさんとの対談で、日本でマンガ文化が根付いたのはそのせいではないかと言ったことを今思い出した(主語は誰?)。日本人が大人になっても吹き出しと絵を同時に読む事に抵抗が無いのは、この独特の表記法にあるのかもしれない。言葉を知れば知るほど思考は広がる。
 伊藤くんの思考トレーニングの話であった。
 歩くというのは思考と相性がいいらしい。ルソーやゲーテも思索のために散歩を好んだらしい。机の上で考えていると(厳密には上ではないが)、思考は一方向からしか働かない。パソコンの画面を穴の開くほど見つめていても、このブログと同じで大した考えは浮かばない。もし穴が開けばそれは大スクープだが、仕事に穴をあけるのが限界だ。
 歩いていると適度な運動が脳に刺激を与えるようだ。目に飛び込む景色も少しずつ変わる。この世に不変の物は無い。無常観。吉田兼好か。歩けば健康になるから間違いではないだろう(何のこっちゃ)。偉大なる数学者パスカルも人間は考える足であると言ったではないか(言ってない、言ってない。ああどんどんアウェイ感が増す)。 

 歩けば、思考も歩くというのはいい杉だろうか。奈良の山奥にはそのような樹木がまだまだ存在するらしい。伊藤くんはそんな事を考えながら奈良の町並みを歩くのだった(駅に向かってるだけだろ)。