<小説のお時間>〜伊藤くんのひとりごと

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駅までの道のりは時間にして約10分である。そう遠いわけではない。ある家を通り過ぎたところで伊藤くんの思考にノイズが入る。
 表札の一文字が欠けていたのだ。木製の楕円形の表札にカラフルで立体的な文字が一字ずつ貼り付けてある。伊藤くんの今日の注目のカラーバスは茶色だったので、偶然その表札が目に入ったのだ。女の子が見たら、かわいいと表現するかもしれない温かみのある手作りの表札である。
 その右から二文字目が欠けていた。もし、一文字目が欠けていたら、よくコントなどにされるパチンコの看板の下品なネタになるところだが(今時そんな古いネタは使わないか)、これは二文字目である。それはひらがなで「さ○もと」となっていた。
「坂本」。そんな漢字が一瞬浮かんだ。字は違うかもしれないが、おそらく「か」が抜けているのだろうと思う。
 そう思ったのはなぜだろう?
 伊藤くんの妄想の旅は始まる。伊藤物語に旅の仲間はいない。いつも彼一人だ。従って、そのトラベリング(BGMはご想像通り)はバスケだったら審判に止められるところであるが、なかなかその思考はストップしない。
 類似?
 そんな言葉が頭のフックにひっかかる。
 と言って、マリオの弟ではない。緑色のあいつである。あちらはルイージだ。本名をルイージ・カトリーヌ・ひろみち兄さんという。
 兄ではないか。
 奇怪な機械体操ではない動きが頭をよぎる。
 ルイージ知名度はかなりのものだが、彼は決して主役ではない。
 そして、彼が一度だけ主役になったマンションは現在取り壊しが進められている。建築工法に手抜きは無かったのに、誠に残念である。それはともかく。言葉の表記にはこだわる伊藤くんである。
 キュリー夫人はきゅうり夫人ではない。それでは農園で働く老夫婦みたいではないか。
 ベートーベンもそうだ。Beethovenの表記に近いのはベートヴェンではないだろうか?これではまるで和田勉である。く、苦しい。
 理系作家としばしば評され、この小説のお手本となった(類似作品や模倣作品と言うとファンから叱られそうである)『工学部・水柿助教授』シリーズの生みの親・森 博嗣さんは理系的表記を好むので(というかそれが森さんにとっては自然なので)語尾を伸ばさない。コンピューターはコンピュータだし、データーはデータだ。ちなみにdataはdatumの複数形だと習って役に立った試しも訳にたった試しもないが、どうでもいい事なのに忘れられない。この辺りに記憶のカギが潜んでいそうである。
 脳科学者として有名な茂木健一郎さんはその著書『脳の中の人生』でアメリカ・ワシントン大学で行われた記憶についての面白実験を紹介している。
 被験者にホラー映画を見せて恐怖の感情を持たせた上で、顔写真の記憶テストをすると普段よりも成績が高まるというのだ。ところが単語の記憶テストをすると今度は逆の結果になったという。そこで幸せな気分にさせて単語の記憶テストをすると好成績を収めたというのである。
 人間には短期記憶を司るワーキングメモリーとよばれる機能と海馬に代表される長期記憶の場所があるらしい。伊藤英明ではない。それは海猿である。
 すました顔で先を進めよう。この海馬の手綱は私が握っているのだ(主語が変わっているのは気のせいか)。この海馬がダメージを受けると名作『メメント』のような事態に陥る。つまり、長期間記憶を保っていられないのだ。また『海馬』という糸井重里さんとの対談本の中で同じく脳科学者の池谷氏は、記憶は30代を超えると活性化すると言っている。
 池谷氏によれば、子どもが大人より記憶がいいのは、単に情報の引き出しが少ないからであり、必要とする情報をサーチする対象が少ないからだと指摘している。逆に大人になるとそれらの情報は有機的につながり、応用が利く。子どもが場当たり的な記憶を得意とするのは、じゅげむブームやポケモンのモンスター名を覚える事例を見ても明らかだ。駅名を端から言えるとして、それが何の役に立つだろうと考えてしまうのが大人である。
 九九や古文の助動詞の活用、英語における不規則変化動詞など何の意味も無い記憶を幼少期に行う事で、三つ子の魂百までというのはすでに経験済みである。OJTの有効性は大人なら誰でも実感している事だ。マニュアルは確認事項に過ぎない。学校の勉強でも全体像を捉えてから学ぶ方が効率がいいと思われるが、子どもの勉強と大人の勉強の差異はこういった部分にあるのではないかと伊藤くんは思うのだ(主語が戻った)。
 しかし話はまだ戻らない(何の話だ)。
 先ほど、ワーキングメモリーという言葉が出てきたが(森風にメモリでもさし支えない)、プレステ2でこれを題材にした面白い、というか変なゲームがあるので紹介しよう(やっぱり主語も戻っていないのではないか、主語霊が怒るゾ)。
 今回紹介するのは、元々はドリームキャストという本当に夢を投げてしまった(おいおい)セガのハードゲーム機(HGではない)用に発売されていた『ルーマニア』という覗きゲームである。いや、これでは何か怪しい。生活介入ゲームというのが妥当だ。なすびの部屋を想像してもらえるとありがたいが、何それちょーうける等という生物にはもはや意味不明かもしれない。
 主人公ネジタイヘイ君は大学生。このゲームは彼の生活を覗き見ながら、神の手となって彼の生活にちょっかいを出すのだ。彼がこれから取る行動は箇条書きで表示される。ゲームにはクリア条件があって、一定期間内に目標となる行動を取らせなければならない。そこでプレイヤーはテニスボールのようなボールを次に取らせたい行動の選択肢にタイミング良く投げつける事で行動の優先順位を入れ替えさせる。そして、行動の連鎖を予測しながら目的の行動をネジ君にチョイスさせるのだ。
 例えば、トイレに行かせたければ、冷蔵庫にある飲み物を飲ませなければならないという風に彼の行動を事前にシミュレートしなければならないところにゲーム性がある。
 この時に表示される行動の選択肢が、言わばワーキングメモリーと言えるだろう。個人差はあるものの、人間がこれから行う行動の選択肢はそう多くない。せいぜい3つ〜5つと言ったところではないだろうか。この頭のメモ帳は頻繁に上書きされる。クイックセーブ方式なのでリセットされやすいのだ。行動の最中にふいに誰かから声をかけられると、自分が何をしようとしていたのか忘れてしまうという経験がそれだ。
 脳というメカニズムは誠に複雑である。記憶や計算に特化したコンピューターも人間の脳内ブレンドには適わない。意味のあるミックスジュースは到底マネできないのだ。アイデアが突然ひらめくというのは嘘である。事象としては正しいが、それは日頃「考え」を「続けて」いなければ、つまり「考え続けて」いなければ生まれない。人間は忘却の生き物である。頭にメモした事はすぐに忘れる。だからこのブログの事も読んだ側から忘れて欲しい。少なくとも筆者は書いた事をすぐに忘れるのでキャラ設定に間違いがあっても心配する事は無い。きっとそれは目の錯覚だ。

 類似の話であった、たしか。

「さかもと」と感じたのは、過去に坂本や阪本といった名前を知っていたからだろう。他にも「ま○もと」や「や○もと」とあれば、松本や山本を想像してしまう。本当は牧本や八尾本さんかもしれないのにである。この事は過去のデータベースから無作為に検出し照合する中にも定石や先入観があるという一例ではないだろうか。

 駅の階段を登りながら、もしかしたらあの人がさ○もとさんだろうかとア行から順番にあてはめる伊藤くんであった(この終わり方多いな〜。これが私の定石か)。

traveling

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