<小説のお時間>〜伊藤くんのひとりごと

26
 前回、問題が提示された。
 細くて狭い廊下で見知らぬ人が向こうから歩いてきた時、あなたならどうするか?
 そんな問題だった。
 実はまだまだ考える事がある。
 その人物は何歳くらいの人なのか?
 狭い廊下はどこの廊下なのか?
 相手の歩く速さとこちらの歩調の差は?
 もしかしてこちらがエイトマン(何だそれ?)並みの速さなら、相手は一陣の風が吹いたくらいにしか思わないかもしれない。
 彼らの議論は以下のように続く。
「どうする?という問いなら、俺は避けないな」カズが言う。
「そんなのずるいわ。答えになってないもの」洋子さんが切り返す。
「じゃあ、80歳の老婆が杖をつきながら、息もたえだえに向こうから歩いてきたらどうする?」カズが問題を出す。
「その時はおばあさんに駆け寄って、大丈夫ですかって?一応聞くわ」
「それは避けてないという事だ」
「まあ確かに」洋子さんが不服そうに肯定する。
「どうするかという問いの先には無限の答えが広がっているのに、俺たちは無意識に避ける事しか考えなくなる。俺が思考パターンが少ないからだと誘導したせいかもしれないけど、戻るという答えもありだし、キアヌやハットリ君だったら壁を歩くかもしれない。ドラえもんでも可能だろう」
 だんだん話が怪しくなってきた。大体、視覚も聴覚も使えないという条件はどこへ行ったのだろう。せっかく考えた人に失礼ではないか。しかし、カズが言わんとする事は伊藤くんにも分かる。今回の場合、相手のキャラ設定は考えてもこちらは自分に置き換えて話している。会話の流れが思考を知らず知らず限定していく。集団心理が逆に選択肢を狭めていくという事だろうか。カズは意図的に会話の流れをコントロールしていたという事にもびっくりである。やはり、こいつはどこか違う。
「じゃあ、実際の話を僕がするね」伊藤くん、次のネタがあるようだ。
「この前電車に乗っていたら、向かいの席が空いているのに誰も座らないんだ。さてそれはなぜでしょう?」
「立っている人がいなかった」ヒトシが答える。
「ブー、電車は満員です」
「次の駅が乗り継ぎ駅で、みんな降りるつもりで座らなかったとか」
「ブー」伊藤くん楽しそうである。ヒトシお手つき二回目だ。
「怖い人だった」洋子さんが口を開く。
「ブー、優しそうなおじさんで〜す」
「異臭を放っている」再び洋子さんだ。
「ブー、毎日口臭予防と服を着替えてま〜す」伊藤くん少し調子に乗っている。高木でもつけるか。
「というのは嘘ですが、そんな臭いはありません」
「その人はマスクしてるのか?」カズが質問する。
「ぐっ」伊藤くん言葉に詰まる。こいつはいつだって王手を指す。
「決まりだな」チェックメイト
「な〜んだ。その人風邪ひいてたのね」洋子さんが口をとがらせる。
「はい、消えたぁ!」ヒトシがキンキンのような笑顔で机を叩く。分からなくても気にしないのがこのブログを読み続けるコツだ。
「でもさ、隣の人が風邪をひいてるとちょっと席立ちにくいよね?マスクしてなければ見た感じじゃ分からないし、急に隣に座ってきたら困るよ」伊藤くんが汚名挽回、名誉返上(ん?)で続ける。
「急に横の席が空いた時も前に立ってる人が座らないと気になるわ。何か隣にあるのかなって、そっと様子を伺ってみたりとか」
「この前、俺の前にめっちゃ元気そうなおばちゃんがおって、めっちゃ俺の方見てんねん。俺思わず席譲ってもたわ。目で殺すってああ言う事なんやろな」
 違う、激しく違う。
「そろそろ部屋移動しようか」カズが落ち着いた口調で促す。
「あっ、もうそんな時間か」ヒトシが腕時計を見る。アナログの文字盤に萌えキャラがウインクしている。
 この大学では、サークル活動を認められている団体なら、申請さえすれば空き教室を借りる事ができる。伊藤くん達も今日は昼からフリーなので、久しぶりにトークバトルをしようと思っているのだ。
 従って、先ほどの会話群は軽いウォーミングアップと言える。
 食堂から出た4人は、廊下を曲がり、階段を上がる。向かうは503号室だ。
 そこは教室と言っても比較的小さい。しかし、冬に改築されたばかりなので、設備は新しい。独特の塗装の臭いがまだ残っている。
 洋子さんはトートバッグからDon’t disturbの札をドアに掛ける。別に寝るわけではないが、使用中を示す注意札だ。
 電気を点けるほど室内は暗くない。時刻は1時すぎ、窓から見える向かいの校舎に強い日差しが照り返る。
「さっ、何の話をしましょうか?」洋子さんがイスに座りながら問いかける。机は固定式なので残念ながら、寄せる事ができない。前の座席に座った洋子さんと伊藤くんがそれぞれ後ろの二人を振り返る形だ。
デスノートの共通言語は何か?」伊藤くんが口火を切る。
「えー、ここまで来てマンガの話なわけ?」洋子さんが怪訝な顔をする。
「まぁ、いいじゃん。ちょっと面白そうだ。まだ時間はあるわけだしさ」カズが添え木をあてる。
大阪弁でない事は確かやな」
「もー仕方ないわね。日本語じゃないの?」
「そこが問題だと思う」伊藤くん我が意を得たりとばかりに口を挟む。
夜神月は日本人である事は間違いない。キラもそうだと思う。しかし、ニアやメロとなると怪しい」カズが思考し始める。
「そうね、あの二人は日本人離れしているもの。大体、あんな名前の日本人がいるわけないし」
「オリンピック選手にはいるよ、今井メロ」と伊藤くん。
「あっ、あれはびっくりしたわ〜」ヒトシがハッとしたように伊藤くんを見る。
「まっ、それはそれとして」洋子さん自分の間違いを認めたくないのか、先を続ける。「でも、彼らのように優秀な頭脳があれば何カ国語も話せても不思議じゃないわ」
「だとすれば、また矛盾が起きる。捜査本部にいる他の者も語学に堪能でなければ話が進まない。アメリカ大統領がライトと話している時も側に松田がいて、特に何の断りもない。他にもニアやライトの話をみんなが聞いている。あれほどの緻密な論理を聞いて分かるとなれば、かなりの語学の達人だろう」カズの口数が増える。
「まあ、そやな」ヒトシの口数が反比例する。
「死神は何語を話しているんだろう」伊藤くんが話の歩調を合わす。
「メロはマフィアに属しているのだから、部下の共通言語は英語だろう。だとすれば彼らに姿を見せた第三の死神シドウは英語を話している事になる。またリュークは人間にノートを使わせる為に英語でルールを表記している。ミサはアメリカで活動する限りは英語に堪能という事になり、松田や模木はエリート公務員だからやはり英語が話せると解釈するべきか。死神同士が会話する時と人間がいる前で語る時は、使用言語を変えているのかもしれない。もしくは人間に分かる言葉で語る事ができるのか」
「カズってライトみたいね」洋子さんが感心したようにつぶやく。
「しかし、まだ矛盾は残る」
「えっ、まだあるの?」
「出目川だ」
「ああ、あのいかにもマスコミの典型みたいなキャラね」
「そう、あいつはライトの情報によって、ニアを追いつめる為に民衆を扇動し、本拠地のビルを包囲する。コミックスで言えば10巻の始まりだ。彼が放送しているキラ支援の番組、キラ王国は日本人に向けて放送しているはずだ。出演している人達はどう見ても日本人だし、魅上は日本語でアンケートに答えている。さらにスタッフのカンペも日本語だ。しかし、ここで包囲している民衆はどう見ても外人だ。だからこそ、ニアの逃亡作戦も成功する。出目川の指示の元に集まった同志が日本人でないのは疑問が残る。二日間では日本人は十分に集まらなかったという事だろうか」語りが入っているが、様になっているのがカズらしい。
「むむむっ」伊藤くんナメクジに塩である。青菜よりもさらに存在感が無くなっている。そこまで考えていなかったのだ。カズの深読みにたじたじである。
「そんな事考えてもみなかったわ」洋子さんが尊敬のまなざしでカズを見つめる。
「翻訳コンニャクを食べているってのはあかん?」
「無粋ね」
「うわっ、何か二文字責めってこたえるな〜」ヒトシ、二段階ダウンである。そんなクイズが昔あったっけ。
「まっ、マンガと言ってしまえばそれまでだし、いちいち断り書きがあってもわずらわしい。日本人が読んでいるのだから、日本が舞台になるのも自然だし、事実ライト達は再び日本に戻ってくる。そこからは全部日本語で交わされると考えても特に不都合は無いだろう。問題になるのは実写化する時くらいか。アニメならモーマンタイだし」
 カズの言葉にチェ・ジウ竹野内豊の顔が一瞬浮かぶ。違和感の無い吹き替え版の冬ソナを見た伊藤くんにとっては日本語をしゃべらない低音のジウ姫に涙の大魔王が降りてくる。ジャッキーチェンが日本語をしゃべれないと知った時の衝撃は今でも忘れられない。竹野内の出生の秘密にも少しびっくりしたけど。
「読む楽しみがまた一つ増えたみたい。ありがとう、カズ」
 言ったのは僕なんですけど…。
 そんな伊藤くんの心の叫びも虚しく、ディーラーはカズへと移行する。時刻は2時になろうとしている。

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)