<小説のお時間>〜伊藤くんのひとりごと

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「じゃあ、そろそろ始めますか」伊藤くんが席を立つ。
 議論の舵はいつもカズに奪われてしまうが、材料を差し出すのは伊藤くんの役目である。漁師とシェフのような関係と言えるだろう。
 教壇までは机一つ分くらいしかない。そこから教室を見渡すと、ほんの少しだけ教師のような気分になる。と言っても見渡す程の広さではない。せいぜい40人くらいだろう。
「では今日はSCAMPERについてお話します」伊藤くん落ち着いた声でみんなの顔を見比べる。いつも思うのだが、カズは知っているのかいないのか表情に変化が無いので分からない。ただ、どうも知っていて隠しているのではないかと思う時が多い。あるいはそれが彼の処世術か。すっぴんである事は間違いないので、やはり表情が乏しいのだろう。
 その点、洋子さんは違う。化粧をしていても筋肉の伸縮運動は激しい。そして実に魅力的な表情を浮かべる。微笑を浮かべる事を英語ではwear a smileと言うが、wearを衣服以外に使うのは不思議な感じがしたものだ。洋子さんの場合はこのドレスチェンジが頻繁に行われる。きっとオーダー衣装が多いのだろう。カズは少しだけヒゲを生やしているが、ひげを生やす場合にも同じ動詞を使う。彼の場合は衣装より飾りにバリエーションがあるのだろう。
「今何言うたん?」
 それに比べて何と貧相な顔か。人の事は言えた立場ではないが、同類哀れみの令というか、同じ人間でもこれほど違うのかと思わせるのがヒトシ人形である。人間離れしているのだから、いっそお人形さんの方がかわいがってもらえるかもしれない。しかし、安心感を覚えるのも確かな事ではある。
「これはある頭文字の略称です。今移します」伊藤くんは電子ボードの端にあるケーブルをPDAにつなぎ、前面のボードにデータを移す。「フォントの大きさはこれくらいでいいかな」狭い教室の為、大教室のように各机に端末画面は無い。必要に応じて講師がプリントアウトする仕組みだ。
 そこには次のような文字が表示されている。
 Substitute?=代用できないか?
 Combine ?=結合できないか?
 Adapt ?=応用できないか?
 Magnify ? Modify ?=拡大できないか?修正できないか?
 Put to other uses ?=他の使い道はないか?
 Eliminate ?=削除できないか?
 Rearrange ? Reverse?=並べ替えられないか?逆にできないか?

「何か5W1Hみたいね」洋子さんが面白そうな顔をする。洋子さんの為に補足すればそれは洋子さんの顔が面白いという意味ではない。興味を持ってくれているのだ。ここで伊藤くん一列に8つの机が並んでいる事に気づく。横の列は5列あるから、やはり40人が収容できる教室だという事を無意味に確認する。
「これはアレックス・オズボーンという人が考案したアイデアのチェックリストで、後にボブ・イバールという人がこういう順序に並べ替えました。このリストは有名なので、訳もいろいろと加工されていまして、例えばこんなのもあります」
 伊藤くん手元のPDAにペンタッチする。
 画面が切り替わる。
 
1.転用したら?→現在のままでの新しい使い道は?
2.応用したら?→似たものはないか?真似はできないか?
3.変更したら?→意味・色・動きや臭い・形を変えたらどうなる?
4. 拡大したら?→大きくする・長くする・頻度を増やす・時間を延ばすとどうなる?
5.縮小したら?→小さくする・短くする・軽くする・圧縮する・短時間にするとどうなる?
6.代用したら?→代わりになる人や物は?材料・場所などを代えられないか?
7.置換したら?→入れ替えたら、順番を変えたらどうなる?
8.逆転したら?→逆さまにしたら?上下・左右・役割を反対にしたら?
9.結合したら?→合体、混ぜる、合わせたらどうなる?

「うわっ、何か増えたな」ヒトシがタラコ唇を突き出す。大ぶりなので、市場価格はわりと高いかもしれない。
「つまりいろんな角度から対象を考察するという事だな」カズがザ・ワイドの有田さんのように卒の無いコメントをする。
「そうだよ。これにあてはめて考えればアイデアが浮かびやすいという項目リストなんだ。ちなみに先ほどのリストは頭の体操で有名な多湖教授のオリジナルブレンドだよ」
 コーヒーにすればさぞかしおいしいだろう。
「で、考える対象は何?」
「それはこれからみんなで作ってもらいます。じゃ〜ん」
 最後の擬音と共に伊藤くんの片手にトランプのカードのような物が現れる。いつからマジシャンになったのだ君は。そして、トランプマンはどこへ行ったのか?あるいはこの物語はどこへ進もうというのか?
「ではこれからこの白紙のカードを二枚ずつ配ります。これに何でもいいので言葉を一つ書いて下さい。但し、名詞に限ります」
「ふふ。何だか面白そうね」洋子さん乗り気である。
 伊藤くんみんなにカードを配り始める。なかなか手際がいい。
 これから何が起こるのか。
 続きはまた明日。

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