<小説のお時間>〜伊藤くんのひとりごと

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 前回、4人の人間に二枚のカードを配り、1枚のカードに一つだけ任意の名詞を記すという課題を出した。
 伊藤くん達がそのカード作りに専念している間に、アイデアの発想法についてもう少し考えてみよう。偉大な発明をする人はその陰でたくさんの失敗をしている。しかし、大事な事は彼ら(彼女ら)はそれを失敗だとは思わず、次のステップにつながる可能性の一つと捉えた事にある。
 壁にぶち当たったと思うのは自ら壁を意識した時だ。アイデアを出し尽くしたと思った時、アイデアの泉は再び湧き出すものなのだ。
自分の能力に自信を無くした方には次の言葉を贈ろう。

 人が新しいアイデアを恐れる理由が私には理解できない。古いアイデアの方が私は怖いージョージ・ケージ(アーティスト)

 発見は、ほかのみんなと同じ物を見て、違う風に考えることによって生まれるーアルベルト・セント・ジェルジ・フォン・ナギラボルド(ノーベル生理学・医学賞受賞)

 いずれもスウェーデン式アイデア・ブック(ダイヤモンド社)からの引用である。これは発想訓練を紹介する絵本仕立ての面白い本である。

 ほぼ日編集長の糸井重里さんのこんな言葉もある。

 なにかがガラッと変わるときというのは、いろんな関係なさそうな要素が、複雑にからみあって、ちょっぴりずつ流れをつくっていくものなんだとぼくは思っている。

 何かと何かが混ざり合うには、たくさんの材料をこねないといけない。つまりインプットとアウトプットのバランスの良さがアイデア製造のカギではないだろうか。
 どうやら、伊藤くん達の準備が終わったようである。

「え〜、みなさん書けましたね。では回収します」伊藤くんがカードを集める。
「では、ここに書きます」ボードに8つの長方形の枠が現れる。カードのつもりだろう。どうやら予め用意していたようだ。
 ラジオ
 扇風機
 ペット
 植木鉢
 うちわ
 ホテル
 雑誌
 楽器
 8つの言葉が画面に加わる。このボードは直接書き込みもできる。もちろん電子的にデータに置き換えるのだ。言わば巨大なペンタブレット式のボードである。
「では無関係なこれらの言葉から、先ほどのリストを使って検証してみましょう」伊藤くんが画面横のボタンにペンタッチすると、縮小された先ほどのリストが右端に表示される。
「例えば、ラジオと雑誌」そう言って伊藤くんは言葉を丸で囲み、線でつなぐ、結びつけられた言葉は左右に並び、言葉の群れから飛び出す。そこに簡単な絵を添える。まるで魔法のように言葉が重力を失って伊藤くんのペン先に集まる。さすがに家庭教師のバイトをしているだけあって、説明慣れしているようだ。
「さて、この二つの共通点は何でしょう」伊藤くんの目が洋子さんに向かう。
 自分を指さす洋子さん。
 うなずく伊藤くん。
「情報メディアかな」
「そうですね」伊藤くんボードに書き込む。
「他には?」今度はヒトシに目をやる。
「流動的というか、消費されるもんやな」
「確かに聞きっ放し、立ち読み感覚という点では似てるね」これもボードに書き込む。
「ではこのラジオと雑誌の特徴を結合してみるとー」リストの「結合」の文字に触れるとそこが赤色に変わる。
「文字放送というのができるわけです」
「またラジオの利点を音声と捉えると、ラジオと雑誌の順番を変えて」今度はリストの「逆転」の文字が変化する。
電子書籍の音声機能に変わるわけです」
「ほう」カズが少し感心したような顔をする。これは、電子書籍の文章を音読再生したり、電子図鑑の鳥の絵にタッチすると、生態映像や鳴き声が聞けたりする機能だ。
「続けて」洋子さんがコブクロ並みのエールを送る。もう少し大きくなると嬉しいんだけど。
「うちわと扇風機の共通点は涼しくなるところにあります。両者の違いは手動と電動の違いですがー」今度は「代用」が赤字になる。
「以前、ぬいぐるみの手にうちわを持たせてあおぐおもちゃが流行りました。涼しいかと言えば疑問ですが、見た目のインパクトはなかなか面白かったと思います」伊藤くん、口調がすっかり変わっている。プレゼンじゃないんだから。
「じゃあ、ペットホテルは応用ね」洋子さんが画面を見つめて答える。
「そうです。ホテルは本来人間の為のものですが、生き物であれば預かって欲しいという要望があっても不思議ではありません」
「では残った植木鉢と楽器ですが、この全く結びつきそうに無かった言葉も飾りという点では共通します。観葉植物のように楽器をオブジェとして扱う人もいます。これは転用ですね。植木鉢を重ねて人の形や動物の形にして楽しむ人もいますね」伊藤くんの饒舌ぶりはとどまるところを知らない。
「さて」伊藤くん急に言葉を切って、画面を消す。
「何?どうしたの?」洋子さんがびっくりした声をあげる。
「ここで記憶テストをします」すっかり先生気取りの伊藤くんである。「今ここに書いた8つの言葉を思い出して下さい」
 画面には8つの長方形が再び浮かぶ。伊藤くん三人に紙を配る。
「では書いて下さい」
 みなさんもどうぞ。もちろんカンニングは無しですよ。

 1分経過。

「はい、そこまで」
 伊藤くんももちろん試している。だから回収した紙は4枚だ。
 自分が書いた言葉が二つ含まれるのだから、残りの6つを思い出せばいい。結果はー
「全員正解でした」
「おおー」ヒトシがクリスタルに変わる。本当はクリスタルヒトシ君より、隣の豪華賞品だけでいいんだけどな〜と伊藤くんはいつも思う。しかし、司会の草野さんには逆らえない。あのスーツの下には想像もつかない筋骨隆々のボディが隠されているのだ。
「これが連想記憶術の効果です」
「えっ?何?」洋子さん、伊藤くんの思考の切り替えの速さに追いつけない。
「記憶術の一種です」伊藤講師は洋子さんに向かって話す。
「ちなみに洋子さんはどうやって8つの言葉を思い出しました?」
画面の長方形の枠の中に再び言葉が表示されている。
「自分の書いた言葉はすぐに思い出したの。私の場合はペットと植木鉢ね。で、そこからペットホテルと楽器を飾る話を思い出して、うちわをあおぐぬいぐるみが欲しいなと思いながら、文字放送を思い出して、それでおしまい」
「つまり、それが連想記憶術です」伊藤くんが草野さんに見えたのは気のせいだろうか。
「そっか、そういう事か」洋子さんがうんうんとうなずいている。
 心なしかカズの目つきも優しい。伊藤くんも満足顔である。
 授業の終わりを告げるベルが鳴り、向かいの校舎から学生たちが排出される。
「というところで、本日のアイデア発想クラブはおしまいです」伊藤くんの声が教室に元気良く響いた。

スウェーデン式 アイデア・ブック

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