<小説のお時間>〜伊藤くんのひとりごと

34
「やり込みゲームって知ってる?」伊藤くんがポテチの袋を開けるように沈黙を破る。実際に彼の手元にはお菓子の山ができている。
 いつものごとく、いつもの場所で、いつものメンバーが、いつものように時間を共有しては消費していく。
 この場合、何が楽しいのかと考えてはいけない。無駄な事に時間を費やすのが学生の本分なのだ。勉強?それは遠い過去の記憶、あるいは忘却の彼方に存在する思慕の情。時計の針は逆に進まない。 伊藤くんは先日東急ハンズで時間表示が左右に反転している時計を見かけてびっくりしたが、それは鏡越しに見る美容師さん用の掛け時計であった。
「例えば?」
 洋子さんがボールを拾う。本当はヒトシが先制パンチを繰り広げようとしたのだが、洋子さんが競技を変えたのでおあずけを食らっている。ガルルッ。
「例えば、日本一ソフトウェア魔界戦記ディスガイアっていうソフトがあるんだけど」
「何それ?日本一?東野さんに出てくる探偵みたい」洋子さんが伊藤くんの言葉をブロックする。
 しかし、伊藤くんの言葉が洋子さんに分からないように、洋子さんの言葉もまた分からない。言葉の一歩通行に進入は不可能だ。会話とは情報のわらしべ長者みたいなものなのだろうか。
「で、そのソフトがまぁとにかくやり込み要素が多いんだよ」
「やり込み要」
「要素というのは例えば、隠しダンジョンとかアイテム合成とかラスボスより強い敵キャラとかそういう事やねん」ヒトシがたまらず洋子さんを追い抜く。
「ラスボス?えっ?意味分からない」
「最後に現れる敵だよ。それを倒すとエンディングを迎えるわけだ」カズがパスカットした上でゴールを決める。残る二人、ガルルルル。ヒトシは自殺点だったようだ。
「で、とにかくそのゲームが面白くてついつい空いてる時間にやっちゃうんだよね」
「どれくらいかかるの?」洋子さんはチョコを口にそっと入れる。そのしぐさに気品を感じる。同じお菓子でもヒトシのそれとは違うのではないかと疑ってしまうほどだ。
「普通にクリアするだけなら20時間くらいだと思うけど、セーブする時に何時間プレイしたかが表示されるんだ」
「で、何時間くらい?」
洋子さんと伊藤くんの会話のラリーが続く。今度はテニスだ。
「307時間くらいかな」
「えっ?300?」
「うん」
「そやな、俺も250時間はやったな」ヒトシがゴミ収集車を思わせるような口の中身を伊藤くんに見せ同調する。やはり、食べている物が同じとは思えない。ナメック星人は地球にいてはいけないのだ。
「バカじゃない」洋子さんが二人の合体攻撃を気合いでかき消す。
 ぐっ。関西人にとってバカはアホと言われるよりもグサリと心に突き刺さるのは本当である。おそらく逆も真だろう。
「まぁ、何かに打ち込めるというのはある意味幸せな事だな」カズが再びゴールを目指す。ボールは少し大きくなったようだ。
「そうね。確かに私もジャニコンとか最高に楽しいもん」
 ジャニーズコンサートの略だろうと伊藤くんは思う。洋子さんは嵐というグループがオキニなのだ。もっともオキニというのは「お気に入り」の略だと洋子さんに教わったのだけど。
「でね、これはゲーム会社が用意してくれたお膳立てなんだけど、プレイヤーが自らやり込みを作るというのもあるんだ」伊藤くんが話の軌道修正を試みる。
「どういう事?」何とか衛生軌道上に乗りそうだ。
「つまり、自分に予め過酷な条件を与えて異常な世界を楽しむみたいな」
「意味不明」ヒトシが反対側にわざとボールを蹴り出す。大気圏で燃え尽きろ!
「レベルを最高に上げてクリアするとか、スーパーマリオを最短クリアするとか、レースゲームで最短記録を出すとかそういうやつ」ヒトシにわかってるくせに光線を浴びせながら、洋子さんに微笑みビームを放射する。
「それって楽しいわけ?」どうやら放射時間が足りないようだ。あるいはオゾン層がまだまだ厚いのかもしれない。
 カズがまた口を開く。
「例えば、わざと夜更かしして寝るとか、飲まず食わずでありつける食事とか、少しでも安い商品を求めて歩き回った末の買い物とかに似ているかもしれないな」
「ああ、なるほど」再び、ボールはカズの足先に転がる。
「でも、それにはゲームに対する異常なまでの愛と相当の熟練が無ければでけへんねん」ヒトシがしたり顔で語る。
「どうして?」
「例えば、普通4時間プレイしてクリアできるゲームを2時間でクリアしようと思えば、無駄な戦闘を避ける為に、敵の出現位置やクリアに必要な重要アイテム、さらにはクリア時間に加算されるムービーシーンの事まで考えんとあかんねん。という事はやで、最低でも2、3回クリアして研究せんとでけへんちゅー事や」
「ああ、なるほどね。しなくてもいい努力をしなければいけないのね」
「しなくてもいいと言われるとそれまでやけど」ヒトシが苦笑する。きっと家にあるガラクタ同然のフィギュアの数々を思い浮かべたのだろうと伊藤くんはテレパシーで感応する。
「点数表示はどこまで表示されるのかとか、敵はいつまで出現するのかとか、初期装備でどこまでいけるのかとか耐久レース的な楽しさがあるんだよ。飽くなき人類の挑戦というか」伊藤くんがさらに補足する。
Aの嵐みたいなものね。それなら分かるわ」
 伊藤くんは再びその意味が分からなかったけど、納得してくれたのならいいかと思い直して質問をやめる。多分、嵐ネタなのだろう。
「俺もゲームの旅とかするから似てるかもな」カズがタバコをくわえながら話す。
「ゲームの旅?」洋子さんが興味深そうにカズを見る。明らかに食いつき度が違う。
「ああ。旅先でちょっとしたみやげもの屋に入ると思わぬ掘り出し物がショーケースに並んでいたりする。しかも当時の定価のままで。だから、誰も手に取らない。ファミコンのレアソフトも埃をかぶったままだ。ショーケースを開けると、空気が汚れてしまうような感覚をおぼえる。まるで熟成されたワイン室に入り込んでしまったような気持ちさ」
「何だか文学的ね〜」洋子さんが陶酔の表情を浮かべる。
 形勢不利。場外乱闘のやさ男が二人、ベンチを温める。同じような事を伊藤くんが言っても笑われていたかもしれない。
 たった3分のレース記録が一生の思い出として残る時もあれば、何の特徴も無い一日を過ごす時もある。充実した一日というのは、時間の濃度の差かもしれない。
 もしも、今目の前に一生暮らせるだけのお金があったとしても寝ているだけの生活では何の楽しみも無い。人は一人では生きていけないというけれど、いくら娯楽に身を浸しても、人との交流が無ければ刺激は無い。面白い映画を観た時、誰かに話したい。自分だけ知っている情報を誰かと分かち合いたい。あるいは先人の思考を共にたどりたいというのは人間ゆえの本能では無いだろうか。そこにあるのは人への尽きる事の無い興味である。ニュースが気になるのもそうだろう。人は人への興味を失った時、人間ではなくなるというのは言い過ぎだとしても…。

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