<小説のお時間>〜伊藤くんのひとりごと

29
 「さっきのはなかなか楽しかったな」カズが伊藤くんを誉める。
 場所はまたまた学食である。
 三時のおやつとは誰が決めたのか知らないが、テーブルの上には賛辞のおやつが集まっていると思っているのは伊藤くんだけだろうか。とにかく、みんなでおやつを買ってバッと広げると何かぜいたくな気分になれる。
「今日はバイト無いの?」洋子さんが伊藤くんに聞く。まださっきの余韻が残っているのか声に温かみが感じられる。
「あるよ、夜にカテキョが入ってる」
「俺は荷物の仕分け」ヒトシが聞かれていないのに答える。そう言えば、運送会社でバイトをしていると聞いた事がある。
「バイトと言えば、この前面倒臭いの頼まれちゃってさ」伊藤くん、せっかく洋子さんが投げてくれたボールを離すものかとばかりに打ち返す。せこい。
「どんなバイト?」洋子さんがきちんと受けとめてくれる。
「家庭教師の父母説明会っていうのがあってね。ある会場で開かれたんだけど、その名の通り、子どもがいる親御さん達への説明会を手伝って欲しいって言われてさ」
「うん、それで?」洋子さんリップのようなものを取り出し、指先に塗る。これは即効性のノリで、指に薄い膜を張る。スナック菓子を食べる際に指をコーティングして汚れないようにするアイデア商品なのだ。使い終われば、指からするりと剥がれる。もちろん使い捨てだ。
「まず入り口で説明のチラシを一人に一枚ずつ渡すんだけど、これが結構な人がいるわけで、思ったよりも大変だったんだ。イスの用意も頼まれていたから結構ハードな流れでさ」
「確かに準備って大変よね」洋子さん、スティック状のお菓子を上品に食べる。
「説明会が真ん中くらいまで来たあたりで、急にスタッフの人がどれくらい入ってるか数えてくれって僕たちに言うんだ」
「複数形という事は他にもバイトが居たわけだ」カズがチョコクッキーを口に入れながら言葉尻を捕まえる。
「うん、学生が他に何人かいたよ。そこからバードウォッチングが始まったわけだけど、もう目がしばしばするくらいずっと顔を見ながら数えているわけで、しかも立っている人もいるし、整列しているわけでもないし、とにかく帰りの電車でも思わず人数を数えたりして、ばたんきゅーだったよ」
「うわっ、それ面倒臭そう。交通量調査のバイトってのも意外に大変そうだもんね〜」洋子さん同情モードである。
「俺だったら、残ったチラシを数えるな」カズがぼそっとつぶやく。
「えっ?」伊藤くん会話の意味が分からない。
「そのチラシって印刷されているんだろ?」
「うん、そうだけど」伊藤くんに嫌な予感が走る。サーブ権が移動しようとしている気配だ。
「じゃあ、印刷部数も分かるという事になるな」
「そっか、だから残りのチラシを数えればいいわけね」洋子さんがカズに目をやる。
「仮にまだほどいてないチラシがあればそれは数えるまでも無いし、封を切った残りのチラシを数える方が、マンウォッチングをするよりもはるかに楽なんじゃないかな」カズがトーンを変えずに話す。慣れていない人が聞けば、嫌みに聞こえるかもしれないが、これがカズなのだとここにいるメンバーには分かっている。
 白のオセロと黒のオセロが盤上にある時、そして片方の色が明らかに少ない場合、少ない方を数えた方が圧倒的に早い。言われてみれば確かにそうだが、多い方の色に目を奪われている人間にはそんな簡単な事が盲点になる。
 食堂はいつの間にか人でいっぱいだ。喧噪の中に紛れると、当事者以外の声は聞こえない。この中にもしもピエロがいれば、何人いるかはすぐに分かるだろう。それほど明確な差があれば大抵の人は視点を変えるはずだ。自分のオセロをひっくり返す訓練を積みたいものだと伊藤くんは思う。

 伊藤くんのPDAにはいろんなアイデアが集積している。他人が見てもおそらく何の事か分からないだろうが、それらの端書きは伊藤くんに様々なヒントをくれる。画面の下にはテロップ形式でいろんなアイデアメモが流れて表示される。先日の表札事件以来、言葉の空欄クイズがそこに追加された。
 二文字以上の文字の一部が空欄になり、そこに自由に言葉を書き込む。その言葉が内蔵辞書と一致すれば正解だ。またこの辞書は登録できるので、造語も自分なりにカスタマイズする事ができる。

 ところで、リニアモーターカーはいつできるのだろうか?という疑問と同じくらい昔から不思議なのが、メーターはなぜ最大まであるのかという疑問である。
 スピードメーターが制限速度以上に無ければ、スピード違反で捕まる事は無い。音量が最大でなければ近所から騒音で叱られる事も無い。個人で使用するにはあまりに無意味なものだ。
 多分それは職人気質な精神から出たのではないだろうか?
 つまり、ここまでの物が作れますよという自己顕示欲である。物をつくる以上、最高の物を作りたいと思うのは当然である。オリンピックに出た以上、誰もが金メダルを目指すのはもっともな事だ。
 車のスピードメーターが、デジタルでないのはその微妙な変化を視認する事が難しいからだ。デジタルの場合でも平均値で示さなければ意味が無い。微積分の発想だ。アナログがデジタルよりも優れている点を挙げれば、目分量の分かりやすさだろう。
 例えば時計というのは360度の円形である。もちろんいろんなデザインがあるけれども、針が回るというのはそういう事である。この針が示す位置で、我々は一日のうちどれだけの時間が経過したか、あるいは一時間のうち残りは何分かというような事が一目で把握できる。
 もしもあれが物差しのように横ゲージ形式であれば面白いかもしれないが、アナログで作るなら12時間で折り返すような形か翌日は逆の時刻表示がついていないと大変そうだ。分数の目盛りもそれこそ長い物差しのようになってしまう。そう考えると円形というのは素晴らしい。12の時間と12の分数表示に5をかけるという発想が時計回りで永遠に時を刻む。ここではスタートとゴールが同じ位置でメビウスの輪のようにつながっている。
 同じ時を刻む物でもカレンダーは一日区切りであるため、円である必要は無い。もしも円で表示されれば、我々はもっと一ヶ月を上手に使おうと意識するかもしれない。
 もちろん伊藤くん達の心の時計も円ではない。それはもっとゆるやかに時を刻む。今のところ彼らは修理するつもりは無いようだ。

30
 どうにも捨てられない物というのがある。僕(私事ながらこれから筆者の自称はこれに改める)の場合は本である。
 「本は僕の体でできている」は真ではないが、「僕の体は本でできている」は真である気がする。川島なおみといい勝負だ。焚書坑儒なんて死刑と同じくらい僕にとってはつらい仕打ちだ。だから僕の机には気が付けば本の山ができあがる。
 読みもしない本が、というのはやや正確さを欠くが、読みかけの本が、というのはかなり精確な表現だ。つまり、興味の対象がリモコンチャンネルのように移ってしまうのだ。読み終えた本より購入する本の量の方が多い。結果として読んでない本が山を成す。気に入った本というのは内容も覚えているものだが、その余韻に浸りたくて本棚から引っ張り出し、読みかけては積んでしまう。こうして山はさらに高さを増し、城壁のように机の上を占拠する。その高さはベテランセールスマンの棒グラフのようだ。
 僕の場合、読みたい本というのはその日、その時の気分によって違う。本当に面白い本というのは読んでいる行為さえ忘れて没頭してしまうものだが、退屈な本は読んでいる時間が気になってしまう。
 聞きたい音楽が変わるように、読みたい本も変わる。小説であれば、最後まで読み通した方が消化不良にならなくて精神的にもいいかもしれないが、情報型の本であれば必ずしも全部読む必要は無い。
二・八の法則で知られるように、二割程度でも自分にとって有益な情報が読み取れればそれでいい。一冊の本で何か一つでも学ぶところがあれば、それで十分だし、大抵の本はそれ以上に学ぶところがある。
 情報というのは自分のレベルに合っていないと無意味である。少なくともその情報の価値が判断できるレベルでなければ、役に立たない。但し、どこに何が書いてあったかという位は知っておくと便利だ。
 脳というのは不思議なもので、あるアンテナを立てた途端、似た物を集め始める。ふと気づけば、似たようなテーマやジャンルの本が集まっている。
 情報型の書籍の中で最も代表的な物が辞書である。しかし、辞書を始めから読むというのはとても根気のいる作業だ。そもそも辞書に載っている言葉には躍動感が無い。それらは岸に打ち上げられた残骸だ。言葉は文脈の中にあってこそ、その輝きを放つ。
 だから、外国語でも辞書を第一とする考えは語学学習にとっては回り道だと思う。最低限の語彙を覚えた後は、文脈の中で言葉に対するイメージを培う方がいい。同じ言葉が見せる様々な表情を感じ取れれば、僕はそれで満足だ。そもそも言葉とは思考の結晶だと考えているので、僕は情報の伝達ツールとしての言葉の効用よりも、なぜその言葉が生まれたのか、出生の秘密に興味がある。言葉と文化の関係を探る方が僕は楽しい。ところでー

「海外小説って何であんなにスッと頭に入ってけーへんねやろな」
 姿を隠すほどスリムな体型でないヒトシがバクバクと菓子を貪る。食べるかしゃべるかの二者択一は彼にとっては究極の選択らしい。何をそんなに吟味していたのかテーブルについたのも一番後だった。
「どういう事?」洋子さんの目が夜行性の猫のように光を帯びる。キャッツアイだ。但し、心までは盗まない。人生そんなに甘くは無いのだ。読書好きの彼女は反射的にそのような反応を見せたに過ぎない。
「ほら、あのカタカナの名前がな、何かこう頭に入らへんねん」関西人特有の無意味なジェスチャーがパントマイムのように宙に躍る。
「私はすぐに頭に入るけど」
「うわっ、すげー」ヒトシが口の中のかっぱえびせんを見せながら、感嘆の声を出す。まるでミキサーで野菜ジュースでも作っているようだ。
「じゃ、ヒトシはどうやってストーリーを追うわけ?」
 こうしているとまるでエルメス電車男のようだ。
「人物表が大抵ついてるから、それをいちいちめくるねん」
「何?それってもしかして推理小説?」
「てゆーか、ディテクティブストーリーって言うて欲しいわ」
 伊藤くんはヒトシの口の動きを見ながら、水面に上がって酸素を吸い込む鯉みたいだなと思う。Detective story、探偵小説か。
「まぁ、気持ちは分からないでもないけど、そんなのなかなか物語に没頭できないんじゃないの?」
 カズは大して関心無さそうにタバコをくゆらせている。しかし、かっこいい男というのは黙っていても絵になるものだ。
「うん、そやな。いちいちこいつの職業何やったっけ?って確かめなあかんねん。クリスティの名作で『そして誰もいなくなった』ってあるやん?」
「AND THEN THERE WERE NONEか」カズがさりげなく原題をつぶやく。
「ああ、あの陸の孤島に10人の男女が招待されて、マザー・グースの10人のインディアンの子守唄通りに殺されていくお話ね」洋子さんが誰に向けてのアピールか実に説明的な口調でうなずき返す。
「そうそう、それそれ。1人、また1人唄になぞらえて殺されていくわけや」
「見立て殺人だね」伊藤くんがいかにも分かったように口を挟む。
横溝正史の獄門島なんかにも出てくるあのパターンな。日本風に本歌取りって感じやけど」どうやらまたヲタの心を刺激したらしい。相変わらず負けず嫌いのヒトシである。
「で?」洋子さんにとってはそれらの知識は何の意味も成さないようだ。株価下落。
「いや、それがな。出てくる度に人物表で確認しながら読むから、誰がいなくなって誰がおるか分からんわけや。そしたら、最後に誰もおれへんやん。で、犯人誰やねん?って考えようにも誰がどんなんやったか覚えてへんみたいな」
「何それ」洋子さんが大声で笑う。学食はすでに大勢の学生でごったがえしているので、オペラ歌手でもない限り周りの注目を集める事は無いが、よほどおかしかったみたいだ。もっとも怪人はヒトシの方なのだが。
 ところで、伊藤くんもそして誰もいなくなったという経験がよくある。彼のマシンガントークは標的の息の根を止めるまではやまない。何せあのシーマンでさえ彼の怒濤のおしゃべりに舌を巻いて逃げ出したほどなのだ。
「で、また最初から読まなあかんわけや」
「あんた博士の愛した数式じゃないだから、記憶くらいあるでしょ?」洋子さんの口から今はやりの小説が出る。伊藤くんは頭の中の読書リストの上位に慌てて情報を追記する。
「あるけど、どうも人名と人物像が結びつけへんねん。そやから最近新しい読み方発明してん」
「何よ?」洋子さんが少し顔を寄せる。伊藤くんはヒトシのパフォーマンスではないかと一瞬考える。
「なんか長ったらしいカタカナの名前があったら他の名前に置き換えるねん」
「例えば?」洋子さんの顔がさらに近づく。伊藤くんの疑惑は無糖コーヒーのように濃厚な色へと変わる。カズは以前として静観したままだ。
「佐藤さんとか鈴木さんとか」
「はぁ?」洋子さんの顔がお笑い芸人のようにゆがむ。マイクでも投げかけない勢いだ。
「てゆーか、それすら面倒臭い時はねー」
「その時は?」洋子さんの顔が吐息のかかる距離まで縮まる。
 確信犯だ。こいつは確信犯だ。伊藤くんの疑惑の念は今や醤油よりもどす黒い。
「クマさんとかワンちゃんにするねん」
「クマさ、、ん?ワンちゃ・・・ん。ははっ、何それ、はは」洋子さんが腹をよじって机を叩く。
 伊藤くんは笑いを取られた事にむかついている。彼はウエンツよりも笑いに敏感なのだ。今何WaTくらいなのだろう?
どうぶつの森じゃないんだから、そんなの何の緊迫感もないじゃない!クマさんチームの誰が犯人か?じゃ、クリスティも墓場でおちおち寝てられないわ」
 それで起きだしたら、クリスティは自分の事を一本の小説にしてしまうだろう。それにしても洋子さんがどうぶつの森を知っているとは意外だ。任天堂DSでも持っているのだろうか?
「じゃ、三国志とかは大丈夫なの?」洋子さんが突然思いついたように聞く。
劉備玄徳、超雲子龍、漢字なら大丈夫やで」
京極夏彦も?」
「もちろん。西尾維新ネコソギラジカルくらいに登場人物がいても大丈夫やで」
「何それ、じゃ単にカタカナが苦手なだけじゃない」
「ソウヤ。カタカナガニガテヤネン」
 文字にしたらきっとこんな感じになったに違いないヒトシのゆったりとした返事である。
「理由なんかも大丈夫?」
「理由?」ヒトシが繰り返す。
宮部みゆきだよ」カズが助け船を出す。
「読んだ事ないけど」
「高層マンションで起きた殺人事件を住人達の証言だけで追っていくの。宮部さんの想像力と来たら、行間まで塗りつぶされてるくらいにすごい描き込みなのよ」
 実際にそんな小説があったら読みにくくて仕方ないだろうなと伊藤くんはつっこむ。もちろん心の中で、だ。
「ふーん」ヒトシ、感心モードである。
 さすがに文学部に通うだけあって、洋子さんは図書司書のようにポンポンと本のタイトルを引き合いに出す。
「孤島モノが好きなら、夏木静子さんの『そして誰かいなくなった』とか、直木賞作家の東野圭吾さんの『ある閉ざされた雪の山荘で』とか『仮面山荘殺人事件』もあるし、西尾維新の『クビキリサイクル』は当然として、森 博嗣の『すべてがFになる』、綾辻行人の『十角館の殺人』、霧舎巧の『ドッペルゲンガー宮』に『カレイドスコープ島』、有栖川有栖の『孤島パズル』、吉村達也の『トリック狂殺人事件』や西村京太郎の名探偵はシリーズのー」
「分かった、分かった。もう許して〜」ヒトシが顔の前に手を広げて、洋子さんの洪水をせき止める。ヒトシはこの方面には造詣が深いわけではないようだ。
 伊藤くんが知っているその手の話と言えば『かまいたちの夜』か『電脳山荘殺人事件』くらいだ。つまり、ゲームソフトと金田一少年くらいなので、洋子さんからさらに買い注文が殺到するかもしれない。ここは我慢の一手だ。
「孤島や洋館に閉じこめられた住人が互いに疑心暗鬼にかられながら戦々恐々とした日々を過ごすというのは本格ミステリーファンには密室殺人と同じくらいたまらないんだろうな」カズが灰色の脳細胞を思わせる素振りで深々と腰を沈め語る。安楽椅子探偵を地でいけそうだ。
 おやつの山が消えたのは、名探偵でなくてもすぐに解答できそうだけど。

31
 洋子さんとヒトシの小説談義がひとしきり済んだ後、二人は講義があるという事で席を離れた。残ったのは伊藤くんとカズである。そう言えば、前にもこんな事があったなと伊藤くんは思ったけれど、何の話題をしていたのかはひっそりと佇む神社のように記憶に無い。
 おやつの時間が過ぎると、学食は元の静けさを徐々に取り戻すから不思議だ。冒険こそする気は無いが、いつかこの謎を解いてみようと平和な事を伊藤くんは考えたりする。
「俺が今言っている事は嘘だというのは嘘だろうか、本当だろうか?」カズのパスで試合が再開する。ホイッスルが聞こえなかったのは気のせいだろうか。
「えっ?」
「だから、俺が今言っている事は嘘だというのは嘘か本当か?」
 伊藤くん会話の一部がよく飲み込めない。このまま押し問答を繰り返して、今日の小説を終えたらきっと明日から誰も読んでくれないだろう。
「うーん」伊藤くん、カズの声を心の中で追唱しながら、ようやく会話の輪郭にピントが合い始める。
 言っている事が嘘だというのが嘘だとすると、それは本当の事を言っているのだから、嘘になる。しかし、この発言が嘘だとすると、嘘の発言が嘘なのだから、本当という事になり、また元に戻ってしまう。あれ?
 ではこの発言が本当だという事を出発点にすると、それはつまりまたー
「寄せては返す波のように思考もまた堂々巡りをする。つまりパラドクスだな」カズが伊藤くんの思考を断ち切る。
「うん、確かにそうだ」
「これは嘘つきのパラドクスと言われている」
「えっ?有名なの?」
「ああ、そして未だに解決されていない永遠のパラドクスだよ」カズが一瞬古代の学者に見える。
「こんなのもある。あるクレタ人が「すべてのクレタ人は嘘つきだ」と言った。これは嘘か本当か?」
「なんでクレタ人なの?」
「それはこれを考えた古代ギリシャの哲学者エピメニデスがクレタ島出身だったからだ。別に場所はどこだっていい。但し、いい点をついてはいる」
 ユーミンが他のアーティストへ楽曲を提供する時に使うペンネームが浮かんだが、この場合は全く関係ないだろうなと伊藤くんは口に出すのをやめる。
 あるクレタ人が発言したのだから、その人はそこの住人だ。そして、その人がクレタ人は嘘つきだと言っているのだから、この発言は嘘になる。
「さっきと同じだね。嘘だというのが嘘なら本当だし、逆なら嘘だ。つまり、またしても無限の思考ループにハマってしまう」
 伊藤くん、少し謎が解けてホッとする。
「期待通りの回答をありがとう。俺はいい生徒を持って幸せだよ」
 やっぱりカズはここでは教師のようだ。
「違うの?」伊藤くんの眉が八の字に変わる。
「何も気にする事は無いさ。そういう答えは大半の人がしてしまう極めて平均的な意見だ。しかし、実際は違う」
「違う?」
「ああ。さっき発言が嘘なら本当だと言ったけど、それをもう少し説明してくれ」
「え〜と。「すべてのクレタ人は嘘つきだ」は嘘だから、この発言が本当という事になって、「嘘だ」と言っているから本当ではなくてー」
「そこがおかしい。もう一度考えよう」
「えっ?だから、嘘の発言が嘘で、本当だから、嘘になって、本当になるから。うー、段々分からなくなってきたぞ」伊藤くんがロボットだったら、確実に頭の回路はショートしているだろう。
「では問題を限定しよう」カズが人指しゆびを立てる。
「すべてのクレタ人は嘘つきだの否定文は何だ?」
「すべてのクレタ人は嘘をつかないでしょ」
「つまり、それはみんな正直者だと言いたい訳か?」
「うん」
「ではその文章が嘘ならどうなる?」
「嘘をつかないのは嘘だから「本当の事をクレタ人が言う」かな?」
 伊藤くんすでに自信喪失で言葉に勢いが無い。廊下で立たされている生徒のようだ。
「違うな。ここで問題となっているのは始めのパラドクスのような話者だけではない。自分で自分の事を指しているのとは違うんだ。クレタ人はの前には何がついている?」
「すべてのクレタ人だね」
「だったら?」
「だったら?」伊藤くん、飼い慣れたオウムのようにリピートする。英会話学校だったら、さぞかし優秀な生徒だろう。
「答えはすでに目の前にあるさ。後は、思考を補強するだけだ」
 すべてのクレタ人が嘘つきだというのが嘘の発言だとしてもそれが、すべてのクレタ人が本当の事を言っているという意味にはならないと、カズは言った。
 つまり、否定の仕方が間違っているのだ。この嘘という否定はどこにかかるか、まるで英語の全否定か部分否定かみたいである。「すべての」という部分にどうやらカギがあるらしい。「ALL」を否定するのか。Aさんというクレタ人もBさんというクレタ人もみんな嘘つきだというのが嘘だとするとー、あれ?
 伊藤くんの中で拡散した思考が収束し、一つの答えが浮上する。
「分かったか?」
「ちょっと待ってよ。ん?「すべてのクレタ人が嘘つきだ」の否定文は「嘘つきでないクレタ人もいる」という事?」
「おっ、いいぞ。その調子。あと少しだ」
「という事はという事はだよ」
「ふふ」カズが含み笑いをしながら、この動物を檻の外から観察している。
「何だろう?」
「おい!もうちょっとがんばれ」
「うーん。何がおかしいんだろう。あれ?待てよ。さっき話者が同一だとか言ってたよね」
「ああ、言った」
「この場合の話し手はあるクレタ人だから」
「だから?」
「そのクレタ人が正直者だとしたら、「すべて」という条件は嘘になる。嘘をつかないクレタ人がいるなんて考えられないからね」
「うん、それで」カズは檻からバナナを差し出している。もはや猿扱いである。
「では逆にこのクレタ人が嘘つきだとしたら、「すべてのクレタ人は嘘つきだ」というのは、嘘としては矛盾しない?」
「そうさ。例えば俺がここで「日本人ってみんな嘘つきだよな」と言っても、俺が嘘をついているのならそれは別にパラドクスではないよな」
「なるほど」
「じゃ、これがパラドクスになるには条件をどう変えればいい?」
「えっ?まだ終わりじゃないの?」伊藤くん、すでに頂上に旗を揚げる勢いだ。
「もう少しだけ考えてみろよ」カズが持っている旗を引っ張る。
「それって、さっきの話者の関係?」
「うーん、少なくとも日常ではあまり目にしませんね〜」カズがヒトシもいないのに草野さんの口調をまねる。
 始めの嘘つきのパラドクスは、なぜ成立したのだろう?
 伊藤くんは再び、深い谷底へと落ちていく。
 闇が光を閉ざす。
 それは話し手が自分自身であったからだ。
 もう一人の伊藤くんがささやきかける。
 話し手=自分自身。
 Talk myself。
 Speak myselfではまるで青年の主張だ。
 雑音が心の中で反響する。
 黒部ダムで歌った中島みゆきの凄さを思い出す。よくもあの反響の中、歌ったものだ。
 要らない思考をどんどんゴミ箱の中へドロップする。
「そうか!「すべて」のがミスリードだとすればー」
「おっ、探偵みたいだな」伊藤くん、さっきの小説談義がまだ残っているのかもしれない。
「すべてのクレタ人だからと言って、大勢いるわけではなくて、その島にクレタ人が一人しかいなければ、それはつまり嘘つきのパラドクスだ!」
無人島とかな。トム・ハンクスの『キャストアウェイ』良かったな」カズが軽く拍手する。
「いえ〜い!」伊藤くんがピースサインをする。
「まっ、よくやった」
 日本の伊藤、金です!いや〜、途中あやうい所もありましたが、これはなかなかの演技でしたよ〜。
 伊藤くんが勝手にシミュレートして自分を演出する。もちろん頭の中で。
「という事で、そろそろ帰るわ」カズが机を片づけ始める。正確には机の上をだ。机を片づけたら職員の人がびっくりしてしまうだろう。
「うん」伊藤くんもこれから家庭教師のバイトがある。
 校門を抜けた所でカズと別れ、坂を下りながら伊藤くんは少し爽やかな気分に浸る。
 但し、いい点をついてはいる。
 カズの声が再生される。
 ん?
 確か、なぜクレタ人なんだという問いの対するカズの答えである。
 そうか。
 伊藤くん、少しおかしくなって唇をかむ。
 あの時からすでにクレタ人の限定が始まっていたのだ。カズはヒントをくれたのだな、と。

 32
「いいかい。計算にはきまりがあるんだよ」
 伊藤くんが今年で小学校四年生になる中山さとる君に算数を教えている。
「えー、適当に計算しちゃダメなの」さとる君が愛嬌のあるむくれた顔をする。
「物には何でも順序があるんだよ。家に入る時だって、いきなり窓から入らないだろ?」
「この前、カギ忘れたから、裏の窓から入ったよ」
「いや、そういう事じゃなくてね」伊藤くんが苦笑する。この年の男の子は何にでも反発したいようだ。伊藤くんにもそんな事があったなと思い出す。
「例外っていうのは何にでもあるよ」
「レイガイ?農業ができなくなるって事?」
「いや、イレギュラーだ」
「ああ、裏ルールか」
 どうやら、最近の子どもは横文字には強いらしい。さすが、ネットで育つ子どもである。
「だからね、左から順番に計算するんだよ」
「必ず左からなの?」純粋な視線が伊藤くんの顔に突き刺さる。子どもの質問は時に鋭いから、適当に返事をしてはダメだと伊藤くんは思う。
「じゃ、実際にやってみよう」とにかく問題を解けば納得するはずだ。
「うん、分かった」さとる君もそれ以上は聞いて来ない。大人が質問に答えないのは身を守る術なのだと子どもなりに理解しているようだ。
「じゃ、17-3+8-4は?」
「それを左から順番に計算するんだね?」さとる君が聞き返す。
「うん」
「えーと。17-3は14だからー」さとる君がノートに筆算を埋めていく。
 もちろん伊藤くんはこれくらいなら暗算でできるから、瞬間に答えを出すけど、余った時間で別の通り道を考える。そうか、なるほど。
「できたよ、18だね」
「うん、正解だ」伊藤くんニッコリと微笑む。
 但し伊藤くんがうなずいたのは、答えではない。もっと別の答えが分かったからだ。
 なぜ左から順番に計算しなければならないのか。
 その質問はやはり鋭い質問だったのだ。
 伊藤くんはもう一度自分自分の頭に浮かんだ式を展開する。それはさとる君が書いた筆算とは違う。むしろ、さとる君の書いている式を見ながらその違いに少し驚いた。
 反骨精神を持ちながらも忠実なるしもべであるさとる君は、式を左から順に計算する。自分がそう言ったのだから、当たり前だ。
 しかし、伊藤くんはどうか?
 彼は自分の命令に従順ではない。
 無意識にマイナスの組とそうでない組を分けて計算している。
 17+8と-3-4だ。
 =25-7
=18
つまり、彼はさとる君とは違って、数字を入れ替えて計算していたのだ。
 それはなぜか?
 楽だからだという非常に明快な答えが返ってくる。
 しかし、なぜ小学生は左から順番に計算をしなければいけないかと言えば、彼らにはまだマイナスの世界が概念として与えられていないからだという事に気づく。彼らにとってのマイナスとはあくまで大きい数から小さな数を引くための記号に過ぎないのだ。
 伊藤くん、ここで面白い実験を思いつく。
「いいかい、じゃあ、今度は少し長いのを出すよ」
「ええー。いやや」さとる君が口をとがらせる。
「まっ、計算は反復練習だからね。はい、これ」伊藤くん、ノートに次の式を書く。さて、さとる君はどう解くのだろう?
 13-3+8+5+2-8+3=
「うわっ、ひどいよ。もっと簡単なのにしてよ」
「ダメだよん」伊藤くんがピエロのような顔をする。幼い時、マクドナルドのピエロが怖かったのは僕だけだろうか?
「ひー、う〜」さとる君が他人にとっては意味を成さない擬音を発する。そして、左から順番に少しずつ解いていく。
 やがて「20だね」と顔を上げる。
「うん、そうだよ」
「伊藤先生はもう解いたの?」
「うん、そうだよ」伊藤くん、壊れたロボットのように同じ言葉を繰り返す。
「答えを知ってたからそんなに速いの?」
「ううん、式は適当だよ」
「ふーん。すごいね」
「すごくないよ。大人なら誰でもすぐにできるよ」
「大人なら?」
「ごめん。子どもでもできる。しかも計算が速くなくてもだ」
「えっ?じゃあ、僕でも?」
「もちろん。ちょっとしたコツだよ。考えてごらん」
「えー、何かヒントちょうだい」
「じゃあ、計算は左からやらなくてもいいよ」
「えー、それってさっきと言ってる事が違うやん!」
「まあね。但し、今回だけだ。さとる君の場合は小さい数から大きな数は引けないだろ?」
「うん、引けない」
「それは中学校になってから学ぶから、とりあえずそうじゃない式にだけ有効だ」
「ふーん。何か魔法みたい」
「そうハリポタさ」
「変なの。でも、僕考える」
「うん」
 もちろん、特に解説の必要も無いかもしれないけど、ここで伊藤くんの頭の中の計算を再現してみる。問題をもう一度。
 13-3+8+5+2-8+3=
 ここで注目できるのは8-8だろう。
 従って、これは計算せずにただ斜め線で消すだけだ。
 さとる君には難しいかもしれないけど、-3+3をひっくり返せば、彼にもそれが計算の0である事は分かるだろう。
従って、残るのは13+5+2=20が正解だ。
他にも8のペアーだけ消去して、13-3+5+2+3=10+5+2+3というのでも構わない。5+2+3が10になると見抜ければ、さらに答えは速くなるだろう。つまり、計算が速くなるコツは計算しやすいグループをまとめてしまうという事にある。
 1+8+4+3+2+7+6+9を単純に前から足しても構わないが、検算の為にも、10になる組を見抜く方が確実だ。4つの組があるから40になるというのは誰にでも納得できる。計算が複雑になればなる程、計算力に自信の無い人間は手抜き工事を見習っても訴えられたりはしない。
 たかが小学校の問題なのに、教えられる事は意外に広くて多い。問題を教える事が一番の勉強になるとやっぱり伊藤くんは思うのだ。飛び方を気にしない鳥のように、人が歩き方を意識する事は少ない。しかし、意識をした途端、頭脳は覚醒する。そして、再び穏やかな眠りに就くのがいつになるのかは分からない。そこにあるのは思考の果てなのか、それとも始まりなのか。
伊藤くんはさとる君が悪戦苦闘する様子を見ながらそんな事を考えていた。

33
 晩ご飯を済ませると伊藤くんは、一人レイトショーを始める。
 壁に掛けられた大型のモニターからレンタルショップへアクセスする。このモニターはネット接続されているのだ。いろんな作品パネルの中から『12人の優しい日本人』を選び出す。これは古畑任三郎でブレイクする前に作られた三谷幸喜の作品である。
 映像は高速であっという間にデータ送信される。一度しか見られないようにプログラム処理がなされているので、録画はできない。伊藤くんは、急に裁判員制度について考えてみたくなったのだ。日本でも数年間、陪審員制度が実施された時期があった。しかし、戦争によりそれらは活動停止を余儀なくされた。
 この作品は古典的な名作『十二人の怒れる男』をパロディにしたものだが、日本で陪審員制度が行われれば、このような会議は踊る、されど進まずの状態になってもおかしくない。
 ここには実に典型的なキャラクターが多数登場する。リーダーシップを発揮する者、他人の意見に追従する者、付和雷同タイプの人間、理路整然と語る人、とにかく早く終わらせたいとやっつけ仕事な人。見ているとホームルームを思い出す。
 伊藤くんはベッドの上で三角座りをしながら、それを鑑賞する。
 極端な話をすれば、議論を重ねれば重ねるほど、結論は定まらないだろう。人が人を裁くという事は大変に難しいことなのだ。明白な事件ならば議題にはならない。そしてまた多数決というものが必ず正しい事ではないというのも分かる。その場の空気を支配した者が、意見を扇動し、それが集団心理となる怖さも内包している。そんな事を考えていると、この作品を笑い飛ばす事は決してできない。

 翌朝、伊藤くんはまた例のへんてこな目覚まし時計に起こされた後、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』の<人数数え>をしている。これは家の中に出入りする人間の数を数えるトレーニングだが、最初のうちこそ簡単に数える事ができるものの、スピードが増すと記憶力に基づいた足し算と引き算の問題に変わる。

 ところで、動物は数を数える事ができるだろうかという実験がある。矢野健太郎さんの『数学物語』によれば、鳥類は四つくらいまでの数字を確認できるらしい。但し、これは数を数えるというよりも、2と1の違い、3と1の違い、4と3の違いなど、あくまで数の区別が視認できるという意味だ。犬や馬なども3くらいまでなら判断できるそうだ。

 という事はこのトレーニングが苦手な伊藤くんは時に獣以下という事になるかもしれない。
 この本にはさらにイタリア中部の古代人、エトルリア人が創ったと言われるローマ数字の話も紹介されている。では彼らはどのようにして数を数えたのかと言えば、それはローマ数字を見れば明快だ。では早速1〜10までのローマ数字を書いてみよう。

 I、II、III、IV、V、VI、VII、VIII、IX、X

 これを見れば1〜3までは一つずつ棒の数が増えるだけだが、ちょうど5を境にして4と6は鏡で映したように逆になっている。Vの左側に棒がある事はマイナスを意味し、右にあればプラスになる(9も考え方は同じ)。そうして10の時点でXになるが、これはVを上下逆さにくっつけた形らしい。
 その後はXの横に上の表記を足し、20はXXと二つ重ねてまた繰り返しとなる。つまりこれは5を折り返しの基準にして考えた事になるわけだ。
 
 しかしながら、数が発明されるまでの人類というのはなかなか大変だっただろうなと思う。1や2や3くらいまでは確かに簡単に識別できるだろう。けれども、どこかで3とそれ以上、4とたくさんみたいな発想になってしまったはずである。考えてみれば、いっぱいという概念を何かの記号に置き換えてみたり、分からないものと分かるものを分けるというのは、すごい発明である。無知の知。やはり0を発明したとされるインド人はすごい。解なしという解答もすごい。とりあえずXとするのもすごい。しかも数式はほぼ世界共通語なのだ。言葉の通じない者も数式を見ればその頭の良さは分かる。
 もしも数が数えられなかったら、そして計算が出来なかったら、貨幣価値も文明もこんなには進化しなかったのではないだろうか。 

 伊藤くんは傘を見て、時々感心してしまう。あの傘の形は世界共通なのだ。それはつまり、それだけ洗練された無駄の無い形をしているという事になるだろう。
 始めは、レインコートのような物が発明されたのだろうが、たまたま大きな葉っぱを持った人がいたのではないか?
 そこから現在の傘の形がデザインされる。傘が発明されてからもう随分たつのに、画期的な傘という物は発明されても廃れていく。
 昔の人の知恵の上に僕たちは生きている。身の回りの生活道具は、どれも誰かが不便だと思った物の解消グッズである。という事は、昔の人より明らかに生活は便利になっているのだ。洗い桶が洗濯機に変わり、全自動から乾燥機へと変わる。薪を拾わなくても風呂は沸かせる。
 そんな先人の知恵を現代人はとくに何の疑問も恩恵も感じずに過ごしている。おそらく後何十年もすれば固定電話と同じ感覚で携帯電話にも注目しなくなるに違いない。
 昔は、公衆電話の位置というものを気にしたものだ。待ち合わせ場所に近い電話は特に重宝する。しかし、今は目の前に公衆電話があろうと、はたまた家に備え付けの電話があっても、携帯電話を使用してしまう。
 メガネは体の一部ですという宣伝文句があったけれど、メガネを携帯と置き換えても全く違和感が無い。
 
 ところでCMというのは、最新の宣伝情報であるゆえに少したつととても古く感じるものである。昔のビデオ(ってこれもすでに消えそうだが)にたまたま入っているCMを見るとほんの一年前でも、とても懐かしく思える。特にファッションやデジタル機器の宣伝は、今時それかよ!とつっこみたくなる。
 もしもCMだけを一日見ていたら、すごく疲れるかもしれない。実際、面白CMだけが収録されたDVDや放送もある。
 CMプランナーの佐藤雅彦さんの『プチ哲学』にこんな一節がある。例えば、天気予報で「明日が快晴」と報じられると喜ぶ人もいれば、そうでない人もいる。つまり、同じ情報でも、違う価値を持つ場合があるという事だ。
 僕が普段使う最寄りの駅は僕から見れば、どこかへ行く為の出発点だが、近くに高校があるので、学生から見ればそこは通学駅である。田舎に住む人が都会にある実家に帰れば、田舎が都会である。兄弟と言われても、72歳の姉と65歳の弟という場合もある。夜の仕事をしている人にとっては、おはようの意味が違う。祭りと聞いてワクワクする人もいれば、スリの機会を窺う者もいる。みなさんにおかれましては、この小説を作者の意図とは逆に高尚なものとして読んで頂きたい(無理か)。

34
「やり込みゲームって知ってる?」伊藤くんがポテチの袋を開けるように沈黙を破る。実際に彼の手元にはお菓子の山ができている。
 いつものごとく、いつもの場所で、いつものメンバーが、いつものように時間を共有しては消費していく。
 この場合、何が楽しいのかと考えてはいけない。無駄な事に時間を費やすのが学生の本分なのだ。勉強?それは遠い過去の記憶、あるいは忘却の彼方に存在する思慕の情。時計の針は逆に進まない。 伊藤くんは先日東急ハンズで時間表示が左右に反転している時計を見かけてびっくりしたが、それは鏡越しに見る美容師さん用の掛け時計であった。
「例えば?」
 洋子さんがボールを拾う。本当はヒトシが先制パンチを繰り広げようとしたのだが、洋子さんが競技を変えたのでおあずけを食らっている。ガルルッ。
「例えば、日本一ソフトウェア魔界戦記ディスガイアっていうソフトがあるんだけど」
「何それ?日本一?東野さんに出てくる探偵みたい」洋子さんが伊藤くんの言葉をブロックする。
 しかし、伊藤くんの言葉が洋子さんに分からないように、洋子さんの言葉もまた分からない。言葉の一方通行に進入は不可能だ。会話とは情報のわらしべ長者みたいなものなのだろうか。
「で、そのソフトがまぁとにかくやり込み要素が多いんだよ」
「やり込み要」
「要素というのは例えば、隠しダンジョンとかアイテム合成とかラスボスより強い敵キャラとかそういう事やねん」ヒトシがたまらず洋子さんを追い抜く。
「ラスボス?えっ?意味分からない」
「最後に現れる敵だよ。それを倒すとエンディングを迎えるわけだ」カズがパスカットした上でゴールを決める。残る二人、ガルルルル。ヒトシは自殺点だったようだ。
「で、とにかくそのゲームが面白くてついつい空いてる時間にやっちゃうんだよね」
「どれくらいかかるの?」洋子さんはチョコを口にそっと入れる。そのしぐさに気品を感じる。同じお菓子でもヒトシのそれとは違うのではないかと疑ってしまうほどだ。
「普通にクリアするだけなら20時間くらいだと思うけど、セーブする時に何時間プレイしたかが表示されるんだ」
「で、何時間くらい?」
洋子さんと伊藤くんの会話のラリーが続く。今度はテニスだ。
「307時間くらいかな」
「えっ?300?」
「うん」
「そやな、俺も250時間はやったな」ヒトシがゴミ収集車を思わせるような口の中身を伊藤くんに見せ同調する。やはり、食べている物が同じとは思えない。ナメック星人は地球にいてはいけないのだ。
「バカじゃない」洋子さんが二人の合体攻撃を気合いでかき消す。
 ぐっ。関西人にとってバカはアホと言われるよりもグサリと心に突き刺さるのは本当である。おそらく逆も真だろう。
「まぁ、何かに打ち込めるというのはある意味幸せな事だな」カズが再びゴールを目指す。ボールは少し大きくなったようだ。
「そうね。確かに私もジャニコンとか最高に楽しいもん」
 ジャニーズコンサートの略だろうと伊藤くんは思う。洋子さんは嵐というグループがオキニなのだ。もっともオキニというのは「お気に入り」の略だと洋子さんに教わったのだけど。
「でね、これはゲーム会社が用意してくれたお膳立てなんだけど、プレイヤーが自らやり込みを作るというのもあるんだ」伊藤くんが話の軌道修正を試みる。
「どういう事?」何とか衛生軌道上に乗りそうだ。
「つまり、自分に予め過酷な条件を与えて異常な世界を楽しむみたいな」
「意味不明」ヒトシが反対側にわざとボールを蹴り出す。大気圏で燃え尽きろ!
「レベルを最高に上げてクリアするとか、スーパーマリオを最短クリアするとか、レースゲームで最短記録を出すとかそういうやつ」ヒトシにわかってるくせに光線を浴びせながら、洋子さんに微笑みビームを放射する。
「それって楽しいわけ?」どうやら放射時間が足りないようだ。あるいはオゾン層がまだまだ厚いのかもしれない。
 カズがまた口を開く。
「例えば、わざと夜更かしして寝るとか、飲まず食わずでありつける食事とか、少しでも安い商品を求めて歩き回った末の買い物とかに似ているかもしれないな」
「ああ、なるほど」再び、ボールはカズの足先に転がる。
「でも、それにはゲームに対する異常なまでの愛と相当の熟練が無ければでけへんねん」ヒトシがしたり顔で語る。
「どうして?」
「例えば、普通4時間プレイしてクリアできるゲームを2時間でクリアしようと思えば、無駄な戦闘を避ける為に、敵の出現位置やクリアに必要な重要アイテム、さらにはクリア時間に加算されるムービーシーンの事まで考えんとあかんねん。という事はやで、最低でも2、3回クリアして研究せんとでけへんちゅー事や」
「ああ、なるほどね。しなくてもいい努力をしなければいけないのね」
「しなくてもいいと言われるとそれまでやけど」ヒトシが苦笑する。きっと家にあるガラクタ同然のフィギュアの数々を思い浮かべたのだろうと伊藤くんはテレパシーで感応する。
「点数表示はどこまで表示されるのかとか、敵はいつまで出現するのかとか、初期装備でどこまでいけるのかとか耐久レース的な楽しさがあるんだよ。飽くなき人類の挑戦というか」伊藤くんがさらに補足する。
Aの嵐みたいなものね。それなら分かるわ」
 伊藤くんは再びその意味が分からなかったけど、納得してくれたのならいいかと思い直して質問をやめる。多分、嵐ネタなのだろう。
「俺もゲームの旅とかするから似てるかもな」カズがタバコをくわえながら話す。
「ゲームの旅?」洋子さんが興味深そうにカズを見る。明らかに食いつき度が違う。
「ああ。旅先でちょっとしたみやげもの屋に入ると思わぬ掘り出し物がショーケースに並んでいたりする。しかも当時の定価のままで。だから、誰も手に取らない。ファミコンのレアソフトも埃をかぶったままだ。ショーケースを開けると、空気が汚れてしまうような感覚をおぼえる。まるで熟成されたワイン室に入り込んでしまったような気持ちさ」
「何だか文学的ね〜」洋子さんが陶酔の表情を浮かべる。
 形勢不利。場外乱闘のやさ男が二人、ベンチを温める。同じような事を伊藤くんが言っても笑われていたかもしれない。
 たった3分のレース記録が一生の思い出として残る時もあれば、何の特徴も無い一日を過ごす時もある。充実した一日というのは、時間の濃度の差かもしれない。
 もしも、今目の前に一生暮らせるだけのお金があったとしても寝ているだけの生活では何の楽しみも無い。人は一人では生きていけないというけれど、いくら娯楽に身を浸しても、人との交流が無ければ刺激は無い。面白い映画を観た時、誰かに話したい。自分だけ知っている情報を誰かと分かち合いたい。あるいは先人の思考を共にたどりたいというのは人間ゆえの本能では無いだろうか。そこにあるのは人への尽きる事の無い興味である。ニュースが気になるのもそうだろう。人は人への興味を失った時、人間ではなくなるというのは言い過ぎだとしても…。