<小説のお時間>〜今週の伊藤くんのひとりごと

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 『街』というゲームソフトがある。来月にはついにPSPに移植される予定だ。「ついに」という言葉の重みを感じられるのはごく一部の人間だけかもしれない。週刊ファミ通で読者が選ぶTOP20に常に上位ランクインを果たしつつも、なぜか売り上げの及ばない謎のソフト、それがこの『街』だ。このソフトはサウンドノベルと言われるジャンルに分類される。簡単に言えば電子小説だ。
 本を読んでいて、音が聞こえたらなとか目に見えたらなと思った事は無いだろうか?
 通常それは個人の空想力によって補われる。しかし、このソフトはその名の通り、音と映像がついたテキストデータなのだ。
 プレイヤーは同日、同時刻、渋谷という街を舞台に10人の人間が互いに織りなす人生劇場を追体験する。例えば、Aという人が街角でBという人と肩をぶつける。すると今度はBの視点で話を進める事もできる。これをこのゲームではザッピングと読んでいるが、ちょうどテレビのチャンネルを気軽に変えるような感覚で、視点を変えて様々に影響し合うドラマを体験するのだ。
 スクランブル交差点のように複雑にからみ合う人間模様は頭の中で渦を巻き、何十冊分もの小説を堪能した気分になる。読み慣れない言葉にはTIPと呼ばれる用語解説があり、またその説明がユーモラスでストーリーの妨げになる程についつい読み込んでしまう。
 このジャンルのゲームにおいて『街』は最高峰のソフトだ。
 けれども、売れない。謎である。同じ会社のチュンソフト作品と言えば、千回遊べるというキャッチフレーズで有名なトルネコシレンという大ヒットシリーズがあり、我孫子武丸氏が手がけて話題となった推理サウンドノベルかまいたちの夜』もある。
 PSPという携帯機に小説というのは実に相性がいい。何時間もテレビの前に座って画面の文字列を読むのは苦痛だが、電車の中で読む電子文庫としてはこれほどぴったりな物は他には無いだろう。
 個人的には爆発的にヒットするというより、口コミでじわじわとロングセラーになると思っている。やってみなければこの楽しさは分からないのだ。文字スピード、フォントのサイズ、表示位置、ストーリーの巧みさとバリエーションの豊富さは他の追随を許さない。実写画像6000枚以上が作り出す圧倒的な臨場感をその目で耳で感じて欲しい。
 ところで、なぜこんな文章を書いたかと言えば、実はこのはてなダイアリーの構造が非常に似通っているなと思ったからだ。このサイトでは、数々の言葉にアンダーラインが引かれ、どこかの誰かが書いた解説が読める。さらに日記サーフィンをしているとリアルタイムで他人の文章が読める。これぞ『はてな街』である。ブログがなぜ流行るかと言えば、もちろんいろんな原因が考えられるけど、覗き趣味という人間が持つ不可思議な本能が成せる技だろう。本能寺の変である。つまり、人は一体何を考えているかという永遠の謎である。

伊藤くんは慣性の法則に負けないように足を踏ん張りながら、電車の中で携帯に夢中である。さっきまでは、デジタル放送を楽しんでいたのだが、今はメルマガをチェックしている。
 リンク先のサイトでドラマのあらすじメニューを見つける。
 そう言えば、あのドラマを先週見逃したなと思いながら、伊藤くんはそれを選択し、目を走らせる。
 驚いた。
 何だ、これ?
 伊藤くんはしばらく文字を追いかけながら、思わず笑いそうになる。そこにあったのは、あらすじではなくてほとんど実況中継であった。
 まず、文頭に時間の記述がある。
 次に前回のあらすじと記述され、ここでオープニング曲開始とある。
 また時間の記述の後、誰がどのような行動を取り、それに対して誰がどのように話したかが書かれている。但し、台本のように客観的な記述ではなく、ある程度の手書き感がそこにはある。
 これがシーンが変わるごとに記述されているのである。
 普通、この手のサイトはあらすじを書くのが一般的だ。それならば、要所だけをまとめれば済むので大して時間はかからない。
 しかし、このサイトはどう考えても録画した放送を何回も再生した上でないと書けないような記述で埋め尽くされている。その著しくも甚だしい(という位に無駄な描写である)労力に対して、文章が読みにくい。しかもご丁寧に( )書きで、いちいち役者名を記している。
 試しに、以前伊藤くんが見た放送回の部分を読んでみると、全くストーリーに関係ない描写まで、寸分もらさぬ勢いで書いているので、驚きを通り越して、つい笑いがこみ上げる。ここが自室であったなら、大声で笑っていたかもしれない。こち亀両さんの名ゼリフではないが、「うーむ。無駄にすごい!」のである。
 時々、テレビから録画した静止画像を分単位でアップして、コメントしている涙ぐましいファンサイトがある。たとえ、その行為が違法であっても、そこに多大な労力と並々ならぬ愛を感じるので、番組制作者も黙認してしまうのではないかという内容のものだが、こちらはさらに文字のみの構成で、見ていない人向けであるにも関わらず、見ていないと分からない矛盾を抱えた記述が目を引く。
 すでにドラマは10話に達しようとしているのに対して、5話までの更新というのも、いかに手間であるかが容易に想像できる。
 おそらく時間の無い生活の中で、誰が読むとも分からないボランティア精神と愛着のもと、夜な夜な眠い目をこすり、何度も何度もドラマを見ながら、シーンごとに一時停止をかけて、今見た映像を何の感想も交えず(ここもまたすごいが)ただ忠実に描写している姿の方がよほどドラマである。
 世の中には故・ナンシー関のように日がな一日テレビにかじりついている執念の人もいるものだなと改めて人間の奥深さを感じる。

 今、伊藤くんはドアの近くに立っている。車窓に映る自分の輪郭の向こうで街の明かりがぽつぽつと点り、尾を引くように流れていく。雨はすでに止んだようだ。こうして見つめていると、自分の内面まで見透かされそうな当惑感を覚える。この明かりの一つ一つに、人々の生活があり、いろんな思いがうごめいている。
 自分と接点を持った人間は確かに生きていると感じるのに、ピントが合わない人達は、まるで機械のように思いやる事が難しくなる。
 窓に反射する座席の人達を伊藤くんは知らない。逆もそうである。携帯を通じてこの世界のどこかにいる人には親しみを覚えるのに、こんなに身近にいる人には特に感慨は無い。
 伊藤くんは帰ったら、『街』でもプレイしようかなと思った。電車はすでに生駒の山のトンネルを入りつつある。もうすぐ奈良に入るのだ。

不思議のダンジョン2 風来のシレン

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