<小説のお時間>〜今週の伊藤くんのひとりごと

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「自首のタイミングって分かる?」伊藤くんが名誉挽回とばかりに火種を点ける。
「自首のタイミング?」洋子さんが輪唱する。ある日、森の中〜。
「自首のタイミングって何やねん」ヒトシに出会った。ダメだ。伊藤くん、慌てて歌詞を直す。
「じゃ、自首って何だろうね?」伊藤くん、再びしきり直す。
「てゆーか自首ってのは、自分から出頭するって事やんな」
 会話の導入部に無意味な言葉を入れるのはヒトシの口癖である。真賀田四季なら速攻でモニターをオフにするだろう。
「刑法42条だな」カズのコンピューターが必要な情報を導く。こいつは何でも知っているのか?
 伊藤くんはPDAの六法データをみんなに見せる。

 刑法第42条
 1、罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる。
 2、告訴がなければ公訴を提起する事ができない罪について、告訴をすることができる者に対して自己の犯罪事実を告げ、その措置にゆだねたときも、前項と同様とする。

「相変わらず分かりにくい日本語ね。これじゃあ、文学賞とは程遠いわ」洋子さんが渋柿を食べたような顔をする。
「刑法はドイツ語の直訳だったりするから特に分かりにくいのは確かだけどさ」伊藤くんが講釈する。
「私が言いたいのは、そういう事じゃなくて日本語としての言い回しよ。その〜とか、〜とするとか」洋子さんが介錯する。
「で、これはどういう意味なわけ?」
「第1項は、捜査機関がこいつが犯人だと特定する前に出頭すれば刑期を減らしてくれるという事で、第2項は捜査機関にこの人が犯人ですと申告できる人に自分の身を任せるってとこかな」
「ふ〜ん。それで、何が言いたいの?」
「実際にあった過去の事件を話すとー」
 伊藤くんが再びPDAを操作し、判例データを見ながら話す。
「これは大阪高判平成9年9月25日の事件なんだけど、暴力団の構成員だった二名が共謀の上、かつての初代組長を配下の者に狙撃させたと思われる人物を射殺したんだ」
「うわ、おじきの仇打ちみたいやな」ひじきみたいな顔をしたヒトシが口を挟む。無駄口を嫌うゴルゴ13だったら瞬殺しているかもしれない。
「で、その犯人が8日後に出頭したんだけど、これを自首と認めなかったんだ」
「えっ?何で?」と洋子さん。
「そんな、あほな」とまぬけ顔のヒトシ。
 そして、聞いているのかいないのか紫煙をくゆらし、虚空を見ているニヒルな男。
「実は警察は出頭以前にこの犯人をほぼ特定していたんだ」
「ほぼ?」カズがわずかに顔を伊藤くんに向ける。分度器で測ってもその差は一目盛りも無いだろう。どうやら声は届いているらしい。
「うん。面割してなかったんだ」
「犯人の顔が分からなかったのか」
「そう。半落ちじゃないけど警察の隠語だね」
 最近は何でも暴露されてしまって警察もやりにくいだろうなと思う。今時、ホシは?何て言ってる刑事がいるのだろうかと伊藤くんは思う。天体観測が趣味の刑事さんなら別だけどと考えておかしくなる。
「警察が容疑者を絞り込んだところ、3人の人間が浮かび上がって、アリバイを調べたところ、残ったのが犯人とされる男だったんだけど、顔写真が入手できなかったというわけなんだ」
「それは出頭の何日前の話なんだ?」カズが刑事のように切り込む。
「捜査機関では遅くとも4日前には特定できたとみている」
「つまり、1項の「発覚する前に」という文言がどういう意味なのかという解釈になるわけか。まさに自首のタイミングだな」
 もしもここが巨大なスケートリングなら、カズバウアーに聴衆は沸いた事だろう。もっともここが野外だったら、観客は家路を急いでいたはずだ。雨が降っているのだ。食堂の窓に水飴の水泡のような雨の滴がいくつも繁殖しながら消えていく。
「ではここでクイズです」伊藤くんが1時間にどれほども出題しない番組を再現するような口調で話す。クリスタルヒトシ君の用意はすでにできている。
「今度は東京高判平成7年12月4日の事案なんだけどー」
「その前にちょっといい?」洋子さんが挙手する様が滑稽だ。
「はい、山口さん」
「さっきからコウハンって言ってるけど、それ何?」
高等裁判所の判決さ。略して高判」カズが当意即妙の答えを返す。
 伊藤くんも焦りながら、その後を追う。
「社会の時間に習ったと思うけど、日本は三審制だからまず始めに地方裁判所で審議して、それが不服なら高等裁判所、それでもと言うなら、最高裁判所で最終決定をするんだよ。他にも訴訟金額が90万円以下なら簡易裁判所、離婚や少年事件なら家庭裁判所で扱うんだけど」
「ああ、何か聞いた事ある」洋子さんがうなずく。
「夫が不倫相手の男を包丁で刺し殺した直後に付近の交番に自首したんだけど」
「それまたすごいな〜。修羅場ランバやん」ヒトシ人形が邪魔をする。クリスタルでも存在は認識できるほどだ。
「したんだけど?」
 良かった洋子さんはしっかり追尾してくれているようだ。ついでに追撃してくれる嬉しいのだけど。
「警察官が不在だったんだ」
「あら」
「どこ行っとんねん!」
「まあまあ、警察官もいろいろと忙しいんだよ」カズがたしなめる。
 そう言えば、伊藤くんも近くの交番で警官の姿を見かけたのは数える程しかない。いつも警ら中の札が出ているのだ。まさか人件費を削減しているわけではないだろう。
「で、律儀にも?かな、10分後に近くの公衆電話から通報して、自分の名前と犯罪行為を告げたんだけど」
「まだ何かあるの?」
「うん。妻もその2分前に通報していて、無線指令を傍受した警ら中の警察官が現場に急行し夫に職質をかけて任意同行を求め、緊急逮捕したんだ。さて、ここで問題です」
「この場合、自首は認められるのかどうかか」カズがステルスレーダーから姿を現す。
 誰か止めてくれ〜。悲痛の心の叫びも虚しく、洋子さんがうなる。
「それは微妙ね」
「でも、夫の方が通報早いんやし、警官は職務とは言え、おらんかったからこうなってしまったわけやから自首ちゃううん?」
「そうね。犯罪行為は非道だけど、情状酌量の余地があるわね」
「で、結局どうなったんだ?」カズがさっきよりも大きく顔を向ける。
 みのもんたなら、もっと溜めるのにと思いながら、伊藤くんが話す。
「じゃあ、高裁の判決を読み上げるね。刑法42条1項の規定は、犯罪の捜査および犯人の処罰を容易にするという政策的考慮から設けられたものであり、実質的かつ全体的に、時間的にもある程度幅をもって解釈されるべきであるとし、捜査員不在により犯人が上記の申告をすることができず、その間に犯人の申告以外の理由により、その犯人の犯罪事実が発覚したとしても、その接着する時間内に、犯人において自ら自己の犯罪事実を捜査機関に申告して身柄の処分をゆだねたと認められる関係にあれば、これらの事情を全体として考察し、「いまだ官に発覚せざる前に」自首したものとして刑法42条1項の自首の成立を肯認することができるとしたんだ」
「えっ?何?ごめん、今寝てたかも」
「俺もようわからんかったわ」
「つまり発覚前に自首したと認められると判決したのさ」絶妙の間合いでカズが解説する。
「やっぱりそうだよね。でも、裁判官は日本語もっと勉強した方がいいと思うな。大体、学説書って何であんなにもって回った書き方してるのかしら?まるで政治家の答弁みたい。記憶にございませんとか前向きに善処しますとか、遺憾に存じますとかいつの言葉って感じ」
 うざい、むかつく、ちょい悪おやじ、バカかわいいも結構いい勝負かもしれないなと伊藤くんは思う。
「学者や裁判官のプライドはエベレスト以上だからな」
 カズのプライドも高そうだともう一人の伊藤くんがささやく。
「逆に認められなかった例は?」カズがボールを寄こす。
「じゃあ、かいつまんで言うけど、例えば、うーん、そうこれなんかだと分かりやすいかな。職質で所持品を見せるように言われたので、やむなく拳銃所持を申告した事例とか、警察で取り調べを受けて余罪を追及されるうちに犯行を自供したというのもあるよ」
「何かこうしてると『ビギナー』みたいね」
「ビギナー?初心者って事?」
「昔やってた月9ドラマだよ」どうやらカズの辞書にはあらゆる情報が毎日更新されているらしい。
「一般公募で選ばれたミムラちゃんのデビュー作なんだけど、落ちこぼれの司法修習生が毎回いろんな法律問題を論じ合うドラマよ。月9には珍しい形式だったわ。ドラマの面白さというよりも議論の楽しさみたいな感じかな。賛否両論だったと思うけど、私は結構好きだったな。我修院のつながった眉毛がバカボンみたいで笑えたし」
 こうしていつものごとく時間は消費されていく。でも無駄な事ばかりじゃないかもなと伊藤くんは思った。窓に目をやると雨足はさらに強さを増していた。

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今、筆者は生駒山の連なる尾根を見ながらこの小説?を書いている。司馬遼太郎がかつてこの山を遠望しながら、数々の名作を生み出し、今なお日本中の人々に感動と人生の英知を授けているのに比べ、僕はちょうどその反対側からこの山を見て、暗がり峠には大助・花子が住んでいるんだな。車だったら10分もないな等と考え、駄文を書き連ねるのが関の山である。その戯言も気がつけば10万字を軽く超えてしまった。
 ここまで来たら、いくらしぼっても汁が出ないレモンのようにとことん書き続けようと思う。そのうち誰も相手をしてくれなくなっても、いつか誰かがかつてここまでどうでもいい事を考えた人間がいたのだと何かの研究材料くらいにはなるのかもしれないと信じて。
 ところで、天才とはどういう人を指すのだろうか。
 頭の回転が速い、判断力がある、注意力がある、集中力がある、計算が速い、観察眼がある、記憶力がいい、機転が利く、博学である、ユニークな発想を持っている、文章力がある、論理的である、造詣が深い、話がうまい、決断力がある、勘がいい、独創的である。
 重複しているではないか。
 しょせん僕の頭の中には消しゴムで消さなければいけない無駄な知識と言葉が詰まっているのだろう。
 我らがヒーロー?伊藤くんは文系か理系かと言われれば、文系である。但し、理系に全く興味が無いわけではない。小学生に算数だって教えているし、そういう話題が嫌いなわけではないのだ。
 ただ、法学部という学部を選択した事からも分かるように、文系コースを進んできたので、理系というものから縁遠いところに位置しているだけだ。世の中の技術を生み出すのは理系の仕事である。
 例えば、伊藤くんの好きなデジタルグッズの数々、携帯やパソコンやゲーム機というのはどう考えても理系である。
 テレビやラジオ、車だってそうだ。しかし、どういうわけか周りで理系人間と言われる人を見かける事はあまり無い。たまに数字に強い人間を見るとちょっと珍しい動物でも見るような感じになってしまう。小学校の時は誰もが当たり前のように算数の問題を解いていたのに、大人になって分数の計算なんかをしているとちょっと変わった人に見えてしまうのは文系だからだろうか。
 もっとも、いくら理系と言われる人間でも大人になって分数の計算をしている人は教員以外ではそういないのではないかと思う。
 論点がずれている。道を戻ろう。
 理系の人間と言えば、なぜかメガネをかけ、白衣に身を包んでいるようなイメージがある。その白衣から薬品の匂いがするようだと想像した時点で文系的な表現だと思ってしまう。
 理系的な表現とはもっと質量や物理現象に重きを置いているような気がするのだ。
 直木賞作家の東野圭吾さんは『さいえんす?』(角川文庫)というエッセイ本の中で、自身の理系ゆえの悩みについて語っている。その内容をかいつまんで言えば、理系に属する人間は科学的整合性にとらわれるあまり、自由な発想ができにくいそうだ。
 しかし、筆者のようにあまりに野放図で飛躍した文章を書きすぎるというのも困りものだろう。
 そして、今日もこのいつ終わるとも分からない物語は続行される。このままずっと座り続けて文章を綴っていけば、ヘルニア国物語くらいは書けるかもしれない。

「この前さ、面白いステッカーを見たよ」伊藤くんの手にはPDAの代わりにおにぎりせんべいがある。マスヤのお菓子はこれだけなのだろうか。ともかくロングセラーである。
「何のステッカー?」洋子さんの手にはキャラメルコーンの赤い袋がある。ピーナッツから先に食べるのが癖のようだ。
「車体に貼ってあるステッカーだよ。ほら、この車には赤ちゃんが乗っていますとか、初心者マークとかさ」伊藤くん、奈良に住むばりばりの関西人なのになぜか言葉は関東弁である。両親は関東の人間ではないかというのが有力説だ。
「ああ、あるわね」洋子さんも関東弁である。
「どんなん見たん?」どこから見ても秋葉系なのにこてこての関西弁を操るのはヒトシである。
「お前、車乗るのか?」最後にやはり関東弁を話すのはカズである。但し、つっこむ時は関西弁である。やはりつっこみは関西弁の方が楽なのだろう。
「ただ止まっている車を見ただけ」
「なるほど」カズはグミを口に放り込む。
「C←これが見えたら近づきすぎですってシールが貼ってあったよ」
「おっ、何かアイデアもんやなあ」
「視力検査みたい」
「…」
 無言かいっ!
 伊藤くんも心のつっこみは関西弁である。
「あとね。ステッカーじゃないけど、葬儀の車の窓に置いてあったことわり書きもへぇ〜ボタンを二回くらい押したよ」
「それ微妙やなぁ」
「どんなの?」
「えーとね。葬儀の為にしばらく停車しております。ご迷惑をおかけしますが、何とぞご理解の程宜しくお願い致しますって感じ」
「違反切符きったら、呪われそうね」洋子さんがブルっている。
「うん、確かに怖いな」言葉とは裏腹にヒトシの口にはどんどんお菓子が放り込まれ、解体されていく。燃えないゴミでも食べてくれれば社会に貢献できるのに。
「初心者ステッカーはいつまでつけるもんなんやろうな〜」そのヒトシが発酵させた匂いを放ちながら疑問を述べる。
「1年くらいじゃない?」
「でも、何年たっても運転うまくならへん奴っておるよな〜」
「じゃ、うまくなるまで?」
「その方が周りのためだ」カズが軽く髪を触りながら会話をつなげる。
「赤ちゃんが乗っていますってのは?」ヒトシがカズに聞く。
「猛犬注意と同じくくらい効果があるからなぁ。ある意味、初心者マークをずっと貼ってるより効果があるかもな」
「家の近所の道路に巨大なトラックが止まってて、いつもびっくりするよ」と伊藤くん。
「いきなり何の話やねん。てゆーかどんな道路やねん!」
「あっ、もちろん車道だけどね。歩道に半分乗り上げた形で止まっているんだ」伊藤くん全く動じる気配が無い。
「真相は?」洋子さんが話を合わせる。
「さあ?」
「うーん何やろな。トラックの運ちゃんで、朝早いから止めてんのかな〜」
「運ちゃんって何か笑える」洋子さんが珍しくヒトシの言葉にうけている。
「アグネスチャンちゃんは?」
「何それ」
 不審火は鎮火も早い。
「他にもね、ここは30階ですと張り紙のしてあるビルを見た事があるよ」
「ここは海抜何メートルですって看板なら分かるけど、意味不明よね〜」
「近くでビルでも建ててたのかもな。高さの目安みたいなさ」
 カズでも分からない事があるのだと伊藤くんはホッとする。しかし、伊藤くんも答えが分からないのでそれが正解かもしれないという気もしてくる。単なるきまぐれという必殺技も人類には残されているのだ。それはウルトラマンと違っていつでも使用可能だ。
 何の見返りも無いのに、こんな地球を身を挺して守ってくれる彼が一番の謎だけど。

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 『街』というゲームソフトがある。来月にはついにPSPに移植される予定だ。この場合、「ついに」という言葉の重みを感じられるのはごく一部の人間だけかもしれない。週刊ファミ通で読者が選ぶTOP20に常に上位ランクインを果たしつつも、なぜか売り上げの及ばない謎のソフト、それがこの『街』だ。このソフトはサウンドノベルと言われるジャンルに分類される。簡単に言えば電子小説だ。
 本を読んでいて、音が聞こえたらなとか目に見えたらなと思った事は無いだろうか?
 通常それは個人の空想力によって補われる。しかし、このソフトはその名の通り、音と映像がついたテキストデータなのだ。
 プレイヤーは同日、同時刻、渋谷という街を舞台に10人の人間が互いに織りなす人生劇場を追体験する。例えば、Aという人が街角でBという人と肩をぶつける。すると今度はBの視点で話を進める事もできる。これをこのゲームではザッピングと読んでいるが、ちょうどテレビのチャンネルを気軽に変えるような感覚で、視点を変えて様々に影響し合うドラマを体験するのだ。
 スクランブル交差点のように複雑にからみ合う人間模様は頭の中で渦を巻き、何十冊分もの小説を堪能した気分になる。読み慣れない言葉にはTIPと呼ばれる用語解説があり、またその説明がユーモラスでストーリーの妨げになる程についつい読み込んでしまう。
 このジャンルのゲームにおいて『街』は最高峰のソフトだ。
 けれども、売れない。謎である。同じ会社のチュンソフト作品と言えば、千回遊べるというキャッチフレーズで有名なトルネコシレンという大ヒットシリーズがあり、我孫子武丸氏が手がけて話題となった推理サウンドノベルかまいたちの夜』もある。
 PSPという携帯機に小説というのは実に相性がいい。何時間もテレビの前に座って画面の文字列を読むのは苦痛だが、電車の中で読む電子文庫としてはこれほどぴったりな物は他には無いだろう。
 個人的には爆発的にヒットするというより、口コミでじわじわとロングセラーになると思っている。やってみなければこの楽しさは分からないのだ。文字スピード、フォントのサイズ、表示位置、ストーリーの巧みさとバリエーションの豊富さは他の追随を許さない。実写画像6000枚以上が作り出す圧倒的な臨場感をその目で耳で感じて欲しい。
 ところで、なぜこんな文章を書いたかと言えば、実はこのはてなダイアリーの構造が非常に似通っているなと思ったからだ。このサイトでは、数々の言葉にアンダーラインが引かれ、どこかの誰かが書いた解説が読める。さらに日記サーフィンをしているとリアルタイムで他人の文章が読める。これぞ『はてな街』である。ブログがなぜ流行るかと言えば、もちろんいろんな原因が考えられるけど、覗き趣味という人間が持つ不可思議な本能が成せる技だろう。本能寺の変である。つまり、人は一体何を考えているかという永遠の謎である。

伊藤くんは慣性の法則に負けないように足を踏ん張りながら、電車の中で携帯に夢中である。さっきまでは、デジタル放送を楽しんでいたのだが、今はメルマガをチェックしている。
 リンク先のサイトでドラマのあらすじメニューを見つける。
 そう言えば、あのドラマを先週見逃したなと思いながら、伊藤くんはそれを選択し、目を走らせる。
 驚いた。
 何だ、これ?
 伊藤くんはしばらく文字を追いかけながら、思わず笑いそうになる。そこにあったのは、あらすじではなくてほとんど実況中継であった。
 まず、文頭に時間の記述がある。
 次に前回のあらすじと記述され、ここでオープニング曲開始とある。
 また時間の記述の後、誰がどのような行動を取り、それに対して誰がどのように話したかが書かれている。但し、台本のように客観的な記述ではなく、ある程度の手書き感がそこにはある。
 これがシーンが変わるごとに記述されているのである。
 普通、この手のサイトはあらすじを書くのが一般的だ。それならば、要所だけをまとめれば済むので大して時間はかからない。
 しかし、このサイトはどう考えても録画した放送を何回も再生した上でないと書けないような記述で埋め尽くされている。その著しくも甚だしい(という位に無駄な描写である)労力に対して、文章が読みにくい。しかもご丁寧に( )書きで、いちいち役者名を記している。
 試しに、以前伊藤くんが見た放送回の部分を読んでみると、全くストーリーに関係ない描写まで、寸分もらさぬ勢いで書いているので、驚きを通り越して、つい笑いがこみ上げる。ここが自室であったなら、大声で笑っていたかもしれない。こち亀両さんの名ゼリフではないが、「うーむ。無駄にすごい!」のである。
 時々、テレビから録画した静止画像を分単位でアップして、コメントしている涙ぐましいファンサイトがある。たとえ、その行為が違法であっても、そこに多大な労力と並々ならぬ愛を感じるので、番組制作者も黙認してしまうのではないかという内容のものだが、こちらはさらに文字のみの構成で、見ていない人向けであるにも関わらず、見ていないと分からない矛盾を抱えた記述が目を引く。
 すでにドラマは10話に達しようとしているのに対して、5話までの更新というのも、いかに手間であるかが容易に想像できる。
 おそらく時間の無い生活の中で、誰が読むとも分からないボランティア精神と愛着のもと、夜な夜な眠い目をこすり、何度も何度もドラマを見ながら、シーンごとに一時停止をかけて、今見た映像を何の感想も交えず(ここもまたすごいが)ただ忠実に描写している姿の方がよほどドラマである。
 世の中には故・ナンシー関のように日がな一日テレビにかじりついている執念の人もいるものだなと改めて人間の奥深さを感じる。

 今、伊藤くんはドアの近くに立っている。車窓に映る自分の輪郭の向こうで街の明かりがぽつぽつと点り、尾を引くように流れていく。雨はすでに止んだようだ。こうして見つめていると、自分の内面まで見透かされそうな当惑感を覚える。この明かりの一つ一つに、人々の生活があり、いろんな思いがうごめいている。
 自分と接点を持った人間は確かに生きていると感じるのに、ピントが合わない人達は、まるで機械のように思いやる事が難しくなる。
 窓に反射する座席の人達を伊藤くんは知らない。逆もそうである。携帯を通じてこの世界のどこかにいる人には親しみを覚えるのに、こんなに身近にいる人には特に感慨は無い。
 伊藤くんは帰ったら、『街』でもプレイしようかなと思った。電車はすでに生駒の山のトンネルを入りつつある。もうすぐ奈良に入るのだ。

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 UFOの略をご存じだろうか?

 正確には、Unidentified Flying Object。つまり、未確認飛行物体である。

ではP.T.Aの略はご存じか?

 Parent-Teacher Association。つまり、親と先生の組合である。確かに両者のとっくみあいは日常茶飯事なので間違いではない。

 ではムックはご存じでござるか?

 別冊宝島などで、怪しい特集が組まれたりする、あの固い本である。

 あれはMagazineとBookの造語でござろう。

 Bookと言えば、誰もが本を思い浮かべるが、bookには動詞で予約するという意味もある。元々は「宿帳に記入する」という意味から派生したらしい。Will you book seats on a ship for me?と言えば、「船の座席を予約してくれませんか」という意味になる。
 何度も訪れるサイトをブックマークしている人は多いと思うけど、あれはbookmark(しおり)という意味だ。マークは目印だから、それを予約や記録するという意味の転用ではないだろうか。このサイトも是非ブックマークして欲しいものである。

 ところで本と言って思い出すのがブックオフだ。瞬く間に古本業界を席巻したリサイクルショップである。一時期、ブックオフと言えば、Yahooの呼び込みと同じくらいアメーバーのごとく繁殖を繰り返していた。
 そして今や全国津々浦々、至る所にブックオフは存在する。もしかすると、沖縄の無人島にも存在するのではないかとさえ思ってしまう程だ。

 残念ながら、伊藤くんのプロバイダーはYahooではないが、ああもしつこく呼び込みをされると絶対に入ってやるもんか等と天の邪鬼を抱いてしまうから人間は複雑である。しかし、ネットの最初に開くのはYahooだったりするのだから、やっぱり複雑である。
 もしも、山奥でYahooの勧誘をしている人がいたら、伊藤くんはその営業努力に敬意を表して入会しようとさえ思っている。
 その伊藤くんがYahooと聞いて思い出すのは、去年の夏の出来事である。
 ある日、バイト仲間で川へ遊びに行こうという計画が持ち上がった。夏真っ盛りの短期バイト先での話である。この話を聞いた親切な先輩がそれならヤホーで検索してやろうと言い出した。この先輩、人はいいのだが少し慌て者なのである。彼は読み方を知らずにYahooをその時までそのように読んでいたのだ。
 誠に人間の思い込みというのは恐ろしいものである。カタカナに弱い人間がチェチュ茶をチャチュ茶と発音して何の事か分からなかったり、信号の青を緑と呼んで不毛な論争を始めたり、いくら言っても「シ」を「ツ」と書いてしまう人がいたりと罪深き業の深さを感じるのが人間である。
 話を戻そう。
 とにかくそのヤホー先輩が親切心から、Yahooで検索してくれる事になった。カチャカチャという軽快なキーの音がして、しばらく画面を見つめるヤホー先輩。阿呆先輩ではない。
 メガネに画面が写り込む程、距離が近い。しばらく、見つめた後で先輩がこう言った。
「該当なし」
「えっ?」
 一同に驚きの表情が伝播する。
「うそー」
 女の子が声を上げる。
 夏の川と言えば、海の次に浮かぶくらい主役クラスの遊泳地である。そこで、一体どう検索したのだろうと画面を覗いた男子が、次の瞬間笑い転げる。
「なになに?どうしたの?」先ほどのチャーミングな彼女がその後ろから覗き、また大声で笑う。
 先輩は何で彼らが爆笑しているのか分からないので、きょとんとした表情で眺めている。
 そこに書いてあったキーワードは何か?
 クイズにしてもいいが、おそらく誰も答えられないであろう。それほどに独創的な検索ワードであった。
 そこには「泳げる川」とあったのだ。
 修飾語句がスペース間隔を必要とするand検索も無しに並んでいるのである。
 ヤホー先輩は、これまでもそう言った曖昧な検索で何度も該当なしの文言にため息をついていたのだろう。何と健気なお働きであろうか。
 さすがヤホー先輩である。繰り返して言うが阿呆先輩ではない。
 彼の手にかかれば、「三丁目の角のかわいい顔をした女の子(実はバツイチ疑惑あり)のたばこ屋」などと検索する事もありうる(ありうるか?)。
 昔、ファジィというものがマイナスイオンナタデココくらいに流行ったが、デジタルの機械には到底マネのできないユニークな発想と使い方を生み出すのが、理系知識に縛られない超文系人間の複雑怪奇な予測不能行為である。

 この話にはまだ続きがある。伊藤くん率いるあるある探検隊は、ヤホー先輩のおかげで吉野の川へ無事遊びに行く事になった。車内の話題はこの先輩の話でもちきりである。何せこのヤホー先輩にはオリエンタルラジオ以上に武勇伝が語り草となっていて、現在も記録更新中という話である。
 仕事先に電話をかけるつもりが、慌ててしまいとっさに兄の携帯に電話をかけ、「頑張れよ」と励まされた先輩である。先輩の話はここまでだが、伊藤くんは旅先でちょっとした経験をした。
 
 その川へ遊びに行く途中、一行はお腹が空いたので弁当屋を探す事になった。しかし、田舎なので容易に見つからない。
 都会では、数メートルごとに自販機が並んでいるのに、ここにはコンビニさえ林立していない。あるのは文字通りの林や森ばかりだ。
 そうして、やっとの事で弁当屋を見つける。
 看板がすすけていて危惧したものの、一縷の望みをかけて引き戸を開けると店内は営業中のいい匂いが立ちこめている。
 しかし、レジと覚しき所に人影は無い。
 仕方が無いので、奥の厨房らしき所へ声をかける。
 やがてエプロン姿のおばさんが出てくる。
「俺、何にしようかな〜」
「あっ、私これがいいな。ダイエット中だし」
「僕は肉がいい」
「すみませんね〜。それはもう売り切れです」
「えっ、そうなんですか?じゃあこの豚肉弁当で」
「ああ、それもさっき売れたわ。残念ね〜」
「じゃ、これは?」
「それも・・・」
「おばちゃん、これはある?」
「それはありますけど、お昼時なので時間がかかりますよ」
「そう。じゃ、やっぱこのサラダのやつで」
「あっ、それなら大丈夫ですよ」
 こんな感じで注文はおばちゃんの巧みの話術?で誘導されてしまった。
 かなりの時間を待たされて、ようやく弁当が出来上がる。
 その間につなぎの作業着を着たおじさんが20個ほど頼めないかと訪れたが、おばちゃんは少し気色ばんだ後、断った。
 狭い店内はどう考えてもおばちゃん一人しかいる気配が無い。
 ひょっとして時間がかかるとか選べるメニューが少ないのはそのせいではないかと伊藤くんは思ったけど、黙っておく事にした。
 車の中で食べる弁当には手作りの匂いがする。ご飯が涙で塩味になったというのは嘘だけど、作った人の顔が見える弁当は都会には無い味がした。どんなに設備が整ったプールよりも川にはいろんな表情があって楽しい。泳げる川では見つからなかったけど、検索では見つからないものがそこにはあった。

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 伊藤くんの利用する駅には、面白いサービスがある。駅の一角に書棚が備えつけてあるのだ。傘の貸し出しというのは、最近よく見かけるようになったけれども、そこにはいろんなジャンルの本が所狭しと並んでいる。おそらく始めは遺失物の本ばかりだったのだろうけど、そのうちブックオフ並みに本が集まり始めた。電車で読み終えた本を並べている人がいるようだ。実際、鞄の中から本を取り出して本棚に並べている姿を見かけた事もある。
 伊藤くんは本を愛する人を見ると何だか嬉しくなってしまう。こういう光景を見ていると、デジタル書籍にはない本のぬくもりも感じられるようになってきた。
 この駅の窓にはカーテンが掛かっている。ただそれだけの事なのに、誰の為というわけでもない心配りに駅員の優しさを感じる。
 警視庁に集まる拾得物は年々増加の一途をたどり、管理費だけでも膨大なものになっている。そこでネットで簡単に検索できるように今後はサービス形態を変えるという。
 電車の中にも毎日のように落とし物がある。
 雑誌や本はホームレスのみなさんが生活の糧に回収するようであるが、中にはどうすればこんな物がという物が落ちているそうだ。しかし、脂肪だけは落ちていないという話である。
 落ちているのかこの話。

 ところで電車の座席というのはなぜあんなに眠れるものなのかと伊藤くんは常々疑問を抱いている。
 小気味良い揺れと疲労の蓄積が睡魔を誘引するのか、気がつくと寝てしまう。読みかけの本が落ちる音で目が覚める。慌てて拾うと周囲の注目を受けるので、緩慢な動作でそっと拾う。
 しかし、自分は寝ていたのではないぞ光線を発するため、本を再び開く。すでにどこまで読んだのか分からないが、ページを激しくめくって探すような野暮な事はしない。さもうっかり八兵衛でございましたとばかりに、とにかく本を開いて凝視する。やがてまた眠りが訪れる。
 そして、白河夜船の航海を繰り出す。
 まるで食べかけて眠る赤ちゃんである。
 その昔、笑福亭つるべが名物トーク番組ぱぺぽテレビで、床屋のイスはなぜあんなに眠れるのか、買いたいくらいやと語っていたが、確かにあのイスも謎である。催眠ガスが吹き出るのでもないのに、なぜか気がつくと眠っている。頭を触られる隔靴掻痒感と心地よいハサミのリズムが眠りを誘発しているようだ。
 電車と言えば、絵の下手な伊藤くんは車体の下に車輪を二つ描いておしまいである。しかし実際は、非常に複雑な装置がまるで内臓器官のように張り巡らされている。
 考えてみれば電車というのは電気で動いているわけであるから当然設備も精密機器の集合体である。あんな重い物が電動で走るなんて蒸気機関車を発明した古人には想像もつかないだろう。そりゃそうか、だって電気なんて見た事も無いのだから。
 電車男の例を出すまでもなく、電車というのは公共の社交場であり、そこで繰り広げられる人間ドラマは小説よりも奇なりである。
 携帯電話がきら星のごとく隆盛を極め、その電磁波が心臓のペースメーカーに支障をきたすというのは車内アナウンスで嫌という程聞かされたけど、伊藤くんはすごい人を知っている。何と車内の端から端まで携帯を注意して回っているおじさんがいるのである。
 ちょっとした注意というのなら分かるが、このおじさんの場合は始めから逆ギレしているのだ。どうやらペースメーカーをつけているとの事で生命の危機を覚えての行動だとは理解するが、いきなり何の理由も告げすに怒鳴り散らし、傍目にはケンカを売っているようにしか見えない。それをこの人は毎日のようにやっているのである。
 そもそも伊藤くんがこのおじさんの事を知っているのも、どうも帰りの電車の時間帯が同じようなのである。健常者よりよっぽど元気ではないかと思ってしまう。
 物には言い方というものがある。座席を譲っても意地を張って座らない老人も言い方一つできっと座ってくれるはずだ。
 駅の階段でベビーカーを手伝う人間を見ると、もう少し人に対していたわりを持つべきだなと思う。
 伊藤くんは前にも書いたように荷物が多い。何でも予備を持っていないと不安なのだ。デジタルグッズの数々にもそれぞれ予備の電源を持ち歩く程の念の入れようである。
 関西で一、二を争う規模の蔵書数を誇る大学図書館もまだまだデジタル化には程遠い。リュックの中身は常にパンパンである。
 美輪明宏でなくても彼の後ろにはもう一人分の空間が必要である事くらいは理解できる。
 だから伊藤くんは吊革を持って立つ時はリュックを前に回す。まるで中学生の鞄持ちである。ビール腹のような大きなリュックが前に回ると、座っている人が迷惑ではないかとは思わないのが伊藤くんの天然である。
 天然と言えば、洋子さんも少し天然が入っている。自動改札機にお金を入れてしまったというのだ。
 そんなバカな、とこれを聞いた伊藤くんは思った。
 何でも切符を買ったお釣りをもう一つの手に持っていて、間違ってそちらの方を投入してしまったのだそうだ。
 駅員曰く「こんな人は初めてだ」と言われたそうである。
 このような人々が見聞きする電車にまつわるよもやま話を集めたら、一冊の本が簡単に出来上がるのではないだろうか。そして、今日もまたどこかで誰かが電車ドラマを繰り広げている事だろう。

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 伊藤くんの近所で最近大きなスーパーが立て続けに(建て続けにか)二軒もできた。これは風光明媚な田舎にとっては一大事である。なぜこんな辺鄙な場所にそんな物が二つもできたのだろう。駅前にはコンビニさえ無い田舎である。
 まるで砂漠に突然浮上したラスベガスのように真っ暗な田畑を煌々と明かりが照らす。原因は高速道路をつなぐ脇道が舗装され、交通量が増した事にあるらしい。
 この二大スーパーが日曜日ともなると互いに宣伝カーで呼び込みを始める。さて、この闘いの終止符を打つのはどちらだろうかというのが最近の伊藤くんの関心事の一つである。
 
 そのスーパーの駐車口に看板が立っている。
 そこに書いてある文句はこうである。
 
 本日は混雑が予想されますので、こちらの通路は出口専用とさせて頂きます。
 
 伊藤くんはこの看板を見て全く別の事が気になる。
 
 この看板は普段どうやって文句を替えるのだろう?
 
 というのも、この看板は実に大きくて立派な物で、おまけに根元はどっしりとしたコンクリートの塊で覆われているのである。
 つまり、簡単に付け替える事はできそうにない。
 森 博嗣の『笑わない数学者』の消失する巨大な銅像とまでは行かないが、いくら風に飛ばされない為とは言え、この入れ替え作業は非効率ではないだろうか。
 ちらっと通り過ぎる程度なので、その時はこの謎が解けなかった。
 平日に通ると、その看板は入り口表示に変わっていたから、やはり入れ替えている事は間違いなかった。
 伊藤くん、今度はわざとゆっくりと歩いて横目で看板を見た。なぜ横目なのかと言えば、そこにはいつも仏頂面をした警備員が立っているからだ。
 
 すると謎が解けた。
 
 その看板にはわずかにつなぎ目の跡のような物が見えたのである。
 
 暗転と共にあのテーマソングが久々に鳴り響く。奴がやって来たのだ。そう、新畑任二郎の登場である。

「え〜、みなさん本当にお久しぶりでございますぅ。ご無沙汰しております、新畑です。先日、何者かに襲われましてやっと退院したばかりだというのにまたまた難事件に遭遇したようです。つなぎ目と言っても看板ごとすげ替えるような代物ではございません。今日はちょっと早めの登場ですからCMはありません。従ってヒントもありません。いじわる?んふふ、答えはこのすぐ後に出てきます。ちょっと考えてから読んで下さい。新畑任二郎でした」

 登場する意味があったのか?

 単なる字数稼ぎではないか?

 いよいよネタが尽きたのではないか?

 きっとこれをお読みのあなたの頭の中には様々な疑惑がよぎっている事だろう。

 ところで疑惑と言えば、邦画屈指の名作法廷劇『疑惑』を紹介しなければ今夜は眠れない。このような作者の不躾とも言える展開を読むみなさんは、本当にこれは小説なのか、単なるブログではないか、伊藤くんとお前は同一人物ではないか等、マジ疑惑が沸いてくるのは当然である。

 しかし、その問いに答えはあっても価値は無い。それは瑣末的な事象だ。この小説にはそのようなミスディレクションブービートラップが作者の意図しない所で縦横無尽に張り巡らされている(ほんまか)。

 さて『疑惑』の話である。この映画は松本清張の原作を基にした法廷バトルである。疑惑の渦中にいる悪女を演じるのは名女優・桃井かおり、彼女の弁護を務めるのは容姿端麗、才色兼備のこれまた名女優・岩下志麻である。その他にも加賀丈や柄本明等々の名優が脇を固め、非常にクオリティの高い仕上がりになっている。
 特に二大女優の対決は鬼気迫るものがあり、見ている者の目を釘付けにする事受けあいである。
 
 女優魂極まれり!
 これを見ずして日本人を語るなかれ。
 あれかし。
 
 勢いである。
 
 言ってみたかった。
 
 みなさんも声に出して言って欲しい。
 
 あれかし!
 
 そんな素直なあなたが僕は好きだ。愛してます。
 だから、とにかく見て欲しい。

 看板の謎?
 確かそんな事を書いていたような気がする。
 そんなに引っ張るほどのネタでもない。
 もしかしたら書かない方がいいかもしれない。
 
 つまらないとか言われないだろうか?
 
 段々、自信が無くなって来た。
 
 このブログは深夜に書いている事が多い。ふと時計を見るとすでに0時を超えている。次の日にこのブログを見ると何だこれは!とか何しとんじゃ君は!とか自責の念に捕らわれる事が時々、いや頻繁にある。

 頑張れ電車男!否、ブログ男!

 自分で自分を鼓舞しながらも老体にムチ打ち、こつこつと書いているのだ。このような実体を書くと、実に地味でつまらない。
 せっかく日頃の煩悩を癒しに来ているのだから、公開ブログである限り、もっと夢を持った表現を試みるべきだろう。
 
 広いリビングにはクラシックが流れ、ハーブティの香りが心をゆったりとした物に変えてくれる。窓から見えるプールは、間接照明で彩られ、水面に現れるわずかな水のさざめきさえ宝石のように輝き演出に花を添える。
 軽い目の痛みを覚えて、パソコンから目を離すとメイドがちょうどいいタイミングでサンドイッチでもいかがですかと運んでくる。
 んなアホな。メイドカフェじゃないんだから。
 深夜の戯言である。
 妄想である。
 メイドがカフェを作ったら、メイドインカフェか。
 自分でもよく分からない。
 何となく文章がたゆたっている。
 看板の謎は至って簡単である。
 それはマグネット製なのである。
 つまり、看板の文句の部分だけ磁石で看板にくっつくようになっているのである。
 だから、くだらないとか言っちゃダメだって。
 所詮、素人の書くブログなんてこんなものである。
 そして今日もまた夜は更け、僕も老けていくのだ。