<小説のお時間>〜今週の伊藤くんのひとりごと
44
「対比って大事だよな」
「えっ?」洋子さんがきょとんした目つきでカズを見る。
きたぞ、きたぞと伊藤くんは思う。カズワールドが今まさに幕を開けようとしているのだ。
「例えば、この塩アメはまさに味のコントラストだ。辛いものが甘いものを引き立てている。スイカに塩を振るのもそうだ」
知らない人が見たら、新興宗教にでも傾倒しているのかと思うかもしれない。しかしそれがカズなのだ。
「黄色に青が映えるみたいなもんかな」伊藤くんも塩アメを口にしながら話す。
「背の高い人ばかりの中にいると普通の背丈の人が低く見える。逆もしかりだ。つまり人間というのは自分と周りを対比しながら基準値というものを決めている」
「まるで洗礼みたいだね」
「洗礼?キリスト教?」
「あっ、分かった!楳図かずおやろ?」
「おっ、ヒトシすごい!」
自分の思考と瞬時に結びついたヒトシに伊藤くんは感心する。
「わけわかんない!」
洋子さんの中で二人は一つだったりするようだ。青春アネーゴにはそう見えても仕方がない。
「最後のセリフだろ」カズも気づいたようだ。
「あれは確かに名文句やわな〜」
「私ホラーって苦手」
「えっ?サスペンスは好きやのに?」ヒトシが西川きよしの顔をして聞く。この男、確かに小さな物をコツコツと集めてはいる。
「特に楳図かずおは子どもの頃見て以来、トラウマなの」
「何を見たのか覚えてる?」
「多分『ママがこわい』とかいうタイトルだったと思うわ。お母さんがヘビなの。で、主人公の女の子を見るとじゅるじゅると舌なめずりするのよ」
「うわっ、こわ」何が怖いって擬音が怖い。
「でしょ?」
「楳図と言えば、赤ん坊少女かな」
「何よそれ。赤ん坊なのに少女なの?」
「まあな。タマミという醜い顔した少女の話さ。でも楳図は決して異形の作品ばかりを書いているのではない。初期の頃はモンスター的な物が多かったけど、段々人物の心の内へと対象を変えていく。このタマミも実はかわいそうな少女の心情を軸に描いていて、意外にも泣ける話さ」カズの口調が評論家のようで洋子さんも聞き入っている。
「僕もそう思うな。特に漂流教室はホラーというより感動巨編だよね」伊藤くんが自分の意見にうなずきながらしゃべる。
「ドラマや映画に何度もなったけど、どれもあかんかったもんな〜」 ヒトシも激しく首を縦に振る。バネが壊れているようだ。
「あんなにしっかりした小学生がいたら、僕は迷わずついていくね」
伊藤くんが笑いながら言う。
「高松翔か。あいつは確かにすごいな〜」
「でも俺が驚いたのはむしろ小学校っていうのも一つの社会だなって事だな」カズが感慨深げに髭をさする。
「小学校って何でもあるもんな〜。図書室かて給食室かて」
「関谷のおじさんも対比だな」
「えっ?」洋子さんが何とか話に滑り込む。
「関谷という給食を運んでくるおじさんがいるんだけど、普段はとっても優しいおじさんなのに実は内に狂気を秘めていて、それが極限状態で一変しちゃうんだ。ドラマではなぜか女性になってたけど」
伊藤くんはその豹変ぶりを思い出してまた笑ってしまう。
「それが何の対比なの?」
「つまり、大人と子どもの対比だ。大人が不可解な事象を理詰めで考えるのに対して、子ども達はいろんな仮説を立てて自分達の力で生き抜いて行こうとする」
「ちょっと待って。他の人達はどうしたの?先生とかいないの?」
「いるよ。いるんだけど、まあそこは読んでのお楽しみってとこかな。小学生という人間形成の途上にある設定がなかなか憎い。あの世界はドラゴンヘッドみたいに高校生がメインになると成立しにくい。マンガならではの世界観が独特の筆致と相まって読者を一気に作品世界へと放り込む力技だ」
「ドラゴンヘッドは最後どうすんねんって感じやったもんな〜。絶対無理みたいな」ヒトシが口からツバを飛ばす。こいつの頭ならそれに近いかもしれない。
「神の左手悪魔の右手もすごかったよね」伊藤くんがさらに洋子さんをおいてけぼりにする。マンガの話になると体温が火星に近くなるのだ。
「あれは究極のホラーだな」カズも当然のようにうなずく。
「影亡者なんてもう言葉で言えない怖さやもんな」
「そんなに怖いの?私、絶対ダメだと思うな」
「まっ、あれは本当にホラー好きでないとダメかもしれないな。でも、漂流教室は感動するよ。バトルロワイアルの先駆けだな」
「あっ、私あれも苦手〜」
「林真理子が選考会で生理的に受け付けないと拒絶した問題作やもんな」
「まあ荒唐無稽で、残酷な描写が悪趣味ととられても仕方ないけど、あの話のテーマもそこには無い。生への冒涜とはむしろ対極に位置するものだ。国会議員の意見が逆に宣伝になったというのは笑えるけど」カズがまるで国会答弁のように語る。
「そうなんだ。読んでみようかな〜」思わず洋子さんが同意する。
「元々、楳図さんはベルヌの十五少年漂流記に着想を得たそうだ。蝿の王も読むといいかもね」
「何でも知ってるのね〜」洋子さん、すっかり感心している。
元々は伊藤くんの話だったのに、気がつけばいつもこうだ。本当にこの二人は付き合っているのではないかと伊藤くんは勘ぐってしまう。
伊藤くんの対象もついつい二人の内面へと及んでいく。ここで対比されているのは、お似合いのカップルと二人のオタクである。
もちろん当の本人はそんな対比が隠されているなんて思ってもいないのだけど。
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