<小説のお時間>〜今週の伊藤くんのひとりごと

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 映画館というのは全くもって不思議な空間である。
 そこは大勢の人が一つの画面を見つめる広場。
 しかし、だからこそいろんな人間がそこにはいる。
 マナーを知らない人が多いと思うのは伊藤くんだけだろうか。
 
 先日も映画館でいろんな人間を見た。映画がつまらないというのもあったけど、画面を見ているどころではないくらいだったのだ。
 まず上映が始まってもべちゃくちゃしゃべっているおばさん達。しかも食べている臭いがすごい。お菓子なら許せるが、漬け物を食べているのだ。ここは寝台車かとつっこみたくなる。
 端の席にいる老人もすごい。
 とにかく10分に1回は席を立ってトイレに行くのだ。指定席ではあったけど、平日の昼間で空席も目立つのに律儀にも元の席へ戻る。伊藤くんの席は真ん中の一番いい席でXYの座標軸が共に0というベストポジションだったため、ついに最後まで動く事ができなかった。生理現象だけに何とも言えないのがつらい。
 また暗闇でメールしてる奴もいた。何をそんなに懸命にメールする事があるのだろう。レビューでも書いているのかというくらいずっと画面が光っていてとにかく気になった。
 座高が高い人に限って前に座るのもつらい。
 それも上映中にである。
 何でわざわざ前に座るかなと思う。
 伊藤くんは背が高い方ではない。従って座高も低い。もしも座高が高かったら、胴長短足ではないか。少なくともドラえもんには勝ってるはずだ。
 貧乏ゆすりをする客も気になって仕方が無い。いくら前の席が空いているからと言って足を乗せているのはどうかと思う。
 
 昔、上戸彩主演という事で話題になった『あずみ』を観に行った。
 これまた平日の昼間だったので、学生気分を満喫して上映を楽しみにしていると、怪しい集団がやってきた。親父1人に明らかにお水の姉ちゃんが3人。この奇妙なちょい悪軍団がとにかくうるさい。
 映画そっちのけでいちゃいちゃしているのである。
 画面の向こうでは稟とした立ち居振る舞いの上戸彩扮するあずみがバサバサと人を斬っているが、伊藤くんはよっぽどこの親父達を斬ってくれと心の中で願ったものだ
 子ども連れというのも困る。ろくに分かりもしないお子様が泣き叫ぶ。そういう時に限ってシリアスな話だったりするから困る。
 もしも託児所付きの映画館があれば少しはましなのかもしれないが、この辺りになると人件費との兼ね合いが難しいのだろう。
 
 初日というのは大抵混んでいるものである。舞台挨拶もあったりするので、少し得した気分だ。そして、意外にもマナーを守る率が高い。それはおそらくどうしても観たい人が観に来るからではないだろうか。伊藤くんは決して笑うところで手を叩き、驚くところで歓声を上げるのは嫌いではない。
 
 映画館の良さは巨大なスクリーンである事は間違いないけれど、臨場感というのも大事な要素だと思う。観客がいない映画館は観ていてもいまいち盛り上がらないものだ
 しかし、臨場感というのはマナー違反とは違う。
 大げさなリアクションがかえって邪魔になる時もある。やたらにため息をつかれるとこちらが疲れる。
 映画館の観客を題材にした映画があったら、意外に面白いかもしれない。映画が好きな人であればあるほど、そのような原体験をしているに違いないからである。
 飲み物ホルダーは右を使うべきか左を使うべきか。伊藤くんはまだ経験が無いけど、もしも隣におすもうさんが来たらどうするだろう。
 あるいはニューハーフだったらどうだろう。とても画面に集中できないに違いない。怖い人も困る。なかなか難しいものだ。
 
 伊藤くんは甥っ子と映画に行った事があるけど、子ども向けの映画というのは想像を絶するくらいうるさい。泣きわめいている子はもちろんだが、走り回る子もそこらじゅうにいる。
 歌は歌うし、はしゃぎ回るのも当たり前。これでは画面の向こうとどちらが主役か分からない。しかし、興行収入は異常に高い。子ども料金は安くても家族で行けばバカにならない。
 極端な話、短編アニメを何回も上映する方が回収率は高い。今でこそタイタニックもメガヒット作品として認知されているが、リピーターによるロングランが無ければ、あれほどの巨額の収益は見込めなかった。
 長ければいいわけではないのは、巨大猿の話を出すまでも無いのだ。映画会社からすれば、制作費用が少なくて長期上映というのが理想なのである。
 
 映画とはつくづく不思議なものである。
 たった2時間の映像で何が分かるというのだろう。長編ドラマの方がよっぽど深く描く事ができる。
 しかし、人はなぜか映画に引かれる。しかもこれは世界的な事業と言える程に人口に膾炙している。
 2時間という制約の中で工夫に工夫を凝らした言わば人生の縮図のような作品が人の心を引きつけてやまない。おそらく2時間という時間は人間の集中力の持続する時間としてはちょうどいいのだろう。
 いい映画を観た時、その時間は永遠の物に変わる。
 過ごした時間に充足感を得る。そして、その作品がたまらなく素敵な物として心に残る。
 苦悩の末に生まれた作品が傑作に変わる瞬間を観客と共に味わえる監督はきっと最高の気分だろう。
 そう考えるとどんなにつまらない作品でもカメラ越しに覗いている熱い思いがあるのだなと思える。
 そして、伊藤くんも何だかんだ言っても映画館で観る映画が一番だなと思う。ホームシアターがどれだけ普及してもやっぱりそれは変わらないだろう。映画館とはやはり人間だけに許された不思議な空間なのだ。