小説のお時間しか更新してないよな〜伊藤くんのひさびさのつぶやき

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「閉店セールとうたいながらいつまで経っても閉めへん店ってあるよな〜」
「あっ、あるある。うちの近所のケーキ屋さんにね、いつ行っても半額のブランデーケーキがあるんだけど、それと同じね」
「スーパーなんかで値札にわざわざ訂正してプライスダウンするようなもんだね」
「中には原価を割ってる物もあるだろうけどな」
 
 というような不毛な会話の発言主が特定できる人はこのブログを読み続けて下さっているありがたい方である。
 古典の時間で習った方もいらっしゃるだろうが、ありがたいとは元々「ありがたし」という古語に由来するもので「有り難し」つまり、有る事が難しいというところから、めったにない、珍しいという意味になり、そのような大層な物を頂く際のお礼の言葉として「ありがとう」という言葉が生まれたとされる。
 つまり、ここで言う「ありがたい方」というのは「レアなお客様」という事であり、そのような奇特な読者の皆さんに対する感謝の意味も込めている。
 
 相変わらず話が回りくどい。
 
 時々、壊れっぱなしのラジオのように一方的に話し過ぎて、あきれを通り越して感心さえされてしまう僕である。
 どうやら僕は電波を拾いやすい体質のようで周りの怪電波を次々にキャッチしては口から言葉を発してしまうようだ。
 知らない事以外なら何でも知っている僕である。
 そして伊藤くんもまた話の長さでは万里の長城を超えるギネス並の記録を誇るのである。
 国語の記述問題で毎回、違う意味で字数に悩まされるのが伊藤くんである。
 その代わり、作文は得意である。
 得意というか単に長く文章が書けるという事だが、この能力が大学では意外に役に立つ。
 同じ内容でも短い文章と長い文章では何となく長い文章の方が勉強しているように見えるのだ。
 冗漫な文章より簡潔な文章が好まれるのもまた事実だけど、それらしく文章にトッピングを施す職人芸はこの学生の窮地を救ってくれる。
 同じ主張も形を変えて繰り返す事で説得力が増すのは、論理的な文章では定石だ。
 特に伊藤くんは小学校や中学校では作文で誉められる事が多かった。しかし、伊藤くんにとってはそれがなぜ誉められるのかがよく分からなかった。もちろん誉められて悪い気はしないけれども、例えば友達に作文を写させて欲しいと言われた時は、そんな面倒な事をするくらいなら自分で書けばいいのにと思ったものだ。
 もっとも書けないからすぐに盗作と見破られるような暴挙に出るのだろうが、もしも伊藤くんが他人の文章を転用してもそこから想起される妄想が全く異なる文章となって紙の上をのたうち回るだろう。
 作文が苦手な人というのはそもそも文章に対して無防備なので、そのままコピーバンドのように再現してしまう。
 ところが文章というのは転記するだけなら誰でもすぐにマネできてしまうのだからやっかいだ。
 時に巷を騒がす盗作疑惑も傍目にはなかなか気づきにくいものなのである。
 しかし、思想だけはマネる事ができない。
 大学の授業でレポートの提出を求めたところ、大学教授さえ舌を巻くような詳細な内容のレポートがあったが、論旨がめちゃくちゃでコピー&ペーストが一目瞭然であったという笑えない話がある。
 加工技術があるという事は内容を理解できるだけの能力が無いとできない。ただ接続詞や語尾を変えても分かる人には分かるのである。模写のようなものだろうか。
 大学の授業で求められるものは新しい学説ではなくて(そもそも習いたての学生が思いつく事などとっくの昔に誰かが考えているものだ)、いかに他人の意見に賛同し、否定するか、その論理能力を見るものなのである。
 アイデアも同じだ。新しいアイデアが突然変異で生まれる事はめったにない。
 何かの発明品は何かの応用であり、既存の商品の対極にあったりするものだ。
 以上、全くありがたくない話であった。
 話を巻き戻してみよう。
 リピートアフターミー。
 ついてきてどうする。
 いや、ついてきて下さい(懇願・哀訴)

「でもそれだけで購買意欲が刺激されるのよね〜」
「そうそう、ワゴンセールってだけで買いたくなるのは不思議やな」
「うん、分かる分かる」
 お前の場合は中古ソフトの事だろうと伊藤くんは心の中でヒトシにつっこむ。
「今時、定価なんて本くらいのもんだよな」カズが思いついた口調で話す。
「ほんまやな」
「たまにオープン価格の本もあるけどね」
「でも本の場合はブックオフとかあるじゃない」
「俺、古本は苦手。図書館も好きじゃないし。作家泣かせだしな」
「僕も古本屋は苦手かな。本の墓場みたいな感じがするし」
「マンガは立ち読みできない店が多いけど、本の立ち読みは可能なのも珍しいな」
「何で?」洋子さんがカズの顔を見る。
「だって商品を開封してるようなもんだろ。速読できる人ならロハで読みまくれるじゃん」
「イロハ?」
「ロハだよ。漢字で只って書くだろ。つまり無料って事さ」
「何それ、今作ったの?」
「いや、辞書にも載ってるよ」
「うそ〜。漢字で凹むって書くのと同じくらいチャーミングね」
「チャーミング?うわっ、久しぶりに聞いたな。ずっこけるとかすっとこどっこいといい勝負だ」
「じゃあじゃあ、おうとつを漢字で書いてテトリスって読ますのはどう?」
「てゆーか、テトリス自体もう死語の世界やん」
「ヒトシまた温度下げたな」
「そうかな」
「そうだよ、今は数独らしいぞ」
「あっ、僕持ってるよ」
 その言葉に洋子さんが反応する。
 伊藤くんが鞄から取り出したのはやっぱりお気に入りの任天堂DSだ。
「これってどうやるの?」
「縦と横の列に1〜9までの数を重複しないように記入するんだよ。さらに太線で区切られた3×3マス目の中に同じ数が入ってもいけないんだよ」
「うわっ、難しそう」
「欧米では大ブームらしいよ。脳を鍛える大人のDSトレーニングの海外版には収録されるんだってさ」
「イラストロジックの数字版だな」
「これって何問くらい入ってるの?」
「300問だよ」
「1問にかかる時間はどれくらいなん?」
「最低でも30分くらいかな〜」
「かなり遊べるやん」
「本なら見かけた事があるけど、DSならではの利点とかあるの?」
「あるよ。消しゴムがいらないから手も台紙も汚れないし、何より四隅に候補数字を仮置きできるよ」
「えっ?このマス目の四隅って事?」
「そう」
「こんな小さいマス目の四隅に?」
「うん。でも実際この仮置きが無いと判断の手がかりが少なすぎて解けないんだ」
「へ〜、そういうものなんだ」
「やってみれば分かるよ」
「ちょっと借りていい?」
「いいよ、やり出したらとまらないかもね。でもプレイしすぎると頭が痛くなるからほどほどにね」
「数字アレルギーの克服に役立ったりして」
「計算能力は必要無いけどね」
 実際は300問も解かないうちに飽きる人が多いだろうなと伊藤くんは思う。きっとそれも計算の内だろう。

Puzzle Series Vol.3 SUDOKU 数独

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