<小説のお時間>〜伊藤くんのひとりごと

59
 駅のホームに立っているといろんな人間がいる事に気づく。
 柱の両側に吸い殻入れが立っている。
 その両側からちょうど同時に吸い殻を捨てようと身をかがめる人がいる。
 この時偶然にもMという人文字ができた事は多分伊藤くんしか知らない。
 そんな偶然が伊藤くんは好きである。
 日常のちょっとした瞬間に垣間見る不思議空間。
 きっと伊藤くんが気づいていないそんな空間がいくつも存在しているのだろう。
 このブログでも何回か紹介しているだんご三兄弟で有名な佐藤雅彦さんは『毎月新聞』というエッセイ本の中で不思議な感覚について語っている。
 それはゴミ袋の入っている袋の中から最後のゴミ袋を取り出した瞬間、今まで入れ物であったゴミ袋袋が(ややこしいな)ゴミに変わってそのゴミ袋の中に捨てられるという内と外が逆になる感覚について、である。
 これと似たような経験を伊藤くんもした事がある。
 
 先日、財布を買った時の事である。
 その不可思議な感覚はレジに向かった時に起きた。
 財布を買おうとレジに差し出し、財布を取り出したのだ。
 つまり、今この空間には財布が二つ存在している。
 財布を持っているのに財布を買うというのは、鞄を持っているのに鞄を買うようなものである。靴を履いているのに靴を買うような違和感。
 さらにこの違和感は中身を移し替える時に増大する。
 お金を右から左に移し替える行為そのものに眩暈すら覚えそうになる。
 今まで毎日のように使っていた財布が、途端に「古い」財布に変わってしまうのだ。
 さっきまで「古い」とも「新しい」とも思っていなかった感覚が急に浮上する。
 特に意味を持たなかったものが、ある物と相対されると明確に意識される。
 止まっていると思ったのものが、実は同じスピードで併走していると分かるにはズレというものを認識しなければいけない。
 隣接している電車がズレた時、動き出したのはこちらか向こうか。
 その立ち位置を認識した瞬間、感覚や意識が変わる。
 そんな刺激にいくつ出会えるか、そう思いながら伊藤くんはいつも心のアンテナを立てている。
 
 改札口で切符を入れてはしゃいでいる子どもを見かけた。
 大人がはしゃがなくなるのは羞恥心よりも、物事に対して刺激を覚えない事にあるのかもしれない。
 では刺激を求めるにはどうすればいいかと伊藤くんは考える。
 それは考え方を変える事ではないだろうか?
 年を取れば物事に対して自然と予測を立ててしまう。
 もちろんそれが悪いというわけではない。
 時と場合によるだろう。
 あくまで危険が及ばない範囲で、の話である。
 いろんな人の気持ちや視線で見てみるというのが大事かもしれない。
 
 例えば、町にある広報の掲示板。
 至るところにあるこの掲示板には様々な催し物が貼られている。
 この掲示板は一体いくつあるのだろう?
 少し町を歩いてみると思いの外、いろんな場所に点在している。
 そこで伊藤くんはふと思う。
 この一つ一つに仕事とは言え、貼り変えている人がいる。
 例えば、その人の気持ちや視点に立ってみる。
 もちろん担当している人は複数かもしれないが、その人は点在する掲示板の位置を地図にでも書き込んで巡回している。
 きっと初めは掲示板の位置を覚えるのが大変だっただろう。
 そのうち、その掲示板のキズやよくいたずらされる場所など、段々自分なりに見る範囲が広がっていくに違いない。
 伊藤くんが見る掲示板はどれもただの掲示板だけど、見る人によっては全く違うかもしれない。
 自分の知り合いがそのポスターを貼っていると知ったらきっと剥がれていないか毎日そばを通りながら気にするだろう。
 
 物の見方が変わった時に感じるのが刺激である。
 初めて見たり、触ったりした物から受ける感覚。
 慣れというものは恐ろしい。刺激の天敵である。
 携帯電話を初めて触った時、人から初めてメールを受けた時、ブログを初めて公開した時、その感覚を人はいつしか忘れてしまう。
 常に新しい物に触れるというのも大事な事かもしれない。
 但し、「新しい」というのは何も最新の物という意味ではない。
 正確には自分の知らない物に触れるという事だ。
 「自分にとって新しい」という意味だ。
 そして、自分にとって新しいと思えば、たとえそれがよく見知った物でも違って見える。
 先ほどの掲示板もそうだし、昔読んだ本が全く違った意味に解釈できたりする。
 例えば若い頃に読んだ時は、若い主人公に感情移入していたのに、年を取るにつれ、自分の年齢に近い者に急に親近感を覚えるのも一つの新しさだろう。
 伊藤くんの心の独白は長い。
 ほとんど理想―いや、妄想ではないか。
 大体、そんな事を考えてホームに立っている奴など伊藤くんの他にいるだろうか?
 
 そう、伊藤くんはまだホームに立っている。
 駅というのは通過点である場合が多い。待ち合わせや時間つぶしでもしない限り、なかなか長時間いる事は無い。特に朝のホームというのはその傾向が強い。
 人の入れ替わりが激しい。
 毎日、乗車する位置は大抵決まっている。
 乗る時間も、見る顔ぶれも大体似通ってくる。
 慣れだ。
 だから、たまには乗車位置を変えるのもいいかもしれない。
 伊藤くんはホームに入ってくる電車を眺めながら、慌てて列から離れたりするのだった。
 きっと周りには不思議な感覚を与えた事だろう。

毎月新聞

毎月新聞