伊藤くんのひとりごと
62
二日後。
「いらっしゃいませ、ご主人様〜。」ロビー中に聞こえるような大音量で勢揃いした女性陣が出迎える。もちろん全員メイドの格好だ。エプロンにふりふりのついた黒と白のコントラストが目にまぶしい。
伊藤くんは一種の気恥ずかしさを感じながらも、顔がにやけている自分に気づく。横のアキバオーはさらに顔を赤くしながら、あからさまににやついている。
「ご主人様はお二人ですか?」これ以上に無い甘ったるい声で受付の女性が笑顔で聞く。
家に主人が二人もいたら大問題だなとくだらない事を考えつつ、伊藤くんがうなずく。
「ご主人様お二人で〜す!」受付の女性が周囲に聞こえるように大きな声を出す。と、同時に一斉に「ありがとうございます」と声が上がる。
二人でこの恥ずかしさなら一人ではとても耐えられないかもしれないなと思いつつ、受付用紙に名前と電話番号と利用時間を記入する。
「はい、ありがとうございますご主人様。では、お部屋の方が707号室となっておりますのでご案内します、ご主人様。つきましてはお好きなメイドをお二人までお選び下さい、ご主人様」
いちいち語尾にご主人様とつけないといけないのだろうかと思いながらも、突然のメイド選択に戸惑う。
ヒトシはすでに端から順にガン見している。
「どうするご主人様?」
「お前がご主人様って言うなよ。お前もご主人様じゃん」
「ごめんごめん。でもご主人様的には右から二番目と五番目がええな」
すっかりご主人様気取りなヒトシである。
「僕は左から二番目がいいな」
「それって右から五番目やん!」
くだらない、実にくだらない会話である。
「お決まりですか?ご主人様」
「ええっと」
「ご主人様、すでにご利用時間は含まれておりますのでお気をつけ下さい」
ええ?そうなの?親切なのかそうじゃないのかよく分からないな。
「じゃあ、この人とこの人で」ヒトシが選んだ二人を指さす。お前が決めるんかいっ!って、さっき選んだメイドか。
「ありがとうございま〜す、旦那様」
えっ?今、呼び名間違ってなかった?
「ご主人様、こちらになります。照明が暗いので足下にはお気をつけ下さい」
そう言うとメイドがサッと前を早足で歩く。
はやっ!
てか、暗っ!
まるでお化け屋敷のような暗さである。
「うわっ、何これ」
「そこはスポンジ仕立てになっております、旦那様」
今確かに言った旦那様って、確かに言った。
「何でスポンジなの?」伊藤くんが思わず聞き返す。
「お連れ様は大丈夫ですか、ご主人様」
あっ、話そらした。意図的にそらした。
「そちらは?」
「こちらは大丈夫でふ、ご主人様」
今、かんだ。かんだよ、絶対。
しかし、そもそももう一人のメイドの姿はおろか、目前のメイドの姿さえおぼろげである。どんなとこだよ、ここ。
「おい伊藤、さっきから何ぶつぶつ言ってんだよ」
「ごめん、ご主人様」
「お前も言ってるやん!」
「ご主人様、無駄口叩いてる暇はありませんよ、まだまだ道は険しいのです」
だからどこだよ!
お前誰だよ!
「私、山田イネと申します」
そんな意味じゃねーよ。えっ?おばあちゃん?すりかわってる?てか、つぶやき聞こえてる?
と不毛なやりとりをしているうちに707号室に着いた。
あっ、ナナだな。そう言えば、メイドの数も7人だったな。
「ご主人様、お飲み物は何になさいますか?ウーロン茶が人気ですが」先ほどの声の主、イネが腰をおろした二人に注文を聞く。
「うーん、じゃあジンジャエールで」
「ウーロン茶が人気ですが、ご主人様」
おいおい。
「ええやん、伊藤、ウーロン茶にしようや」
「ウーロン茶、二つ入りま〜す」
入り口からさきほどカウンターで選んだ二人のメイドがウーロン茶を持って来る。
すでに決まってんじゃん。やっぱりすり替わってたんだ。どう見ても別人だもんな、イネ。
「ではイネはこの辺で退散して、後はお若い方達で楽しんで下さいね、ふふふ」
旅館かよ、ふふふって何だよ、ふふふって。布団ひけよ!いやいや。
「はい、15分経過〜」イネがそう宣言した瞬間、ドアが閉まる。
ええっ、もうそんなにたってんだ。もしかして道が険しいのはそのため?
「ねぇねぇ、ご主人様、何歌いますぅ」
マイクでしゃべるなよと思いつつ、天使のような笑顔に顔がほころぶ。
「う〜ん、どれにしようかな〜」
「そちらのご主人様もまだですかぁ?」今度はもう一人のメイドちゃんが聞く。こちらの子はさっきの子と違って茶髪で少しエロかっこいい感じだ。
ヒトシの場合はきっとアニメソングが歌いたいのだろうが、こんなシチュエーションが初めてなのでためらっているのだと伊藤くんは推察する。
「お二人ともまだお決まりでないのなら、あたしたちが入れてもいいですかぁ?」
「あっ、いいよ、いい。なっ、伊藤」緊張のせいか大阪弁でないヒトシである。
「うん」
「やったぁ〜!じゃ、これとこれとこれとこれ」
おいおい、入れすぎじゃないか。てか、メーラー並みに入力速いんですけど。番号覚えてる?
「じゃあ、私はこれとこれにこれ」
いや、あなたも速いんですけど。てか、名前聞いてない?
音楽スタート!
最新曲のオンパレードである。
やっぱかわいいな。伊藤くんもヒトシも合いの手を入れながらメロメロである。メロメロメンである。季節外れに粉雪である。
電話が鳴る。携帯ではない。室内電話だ。
ちょうど側にいる伊藤くんが受話器を取る。
「イネでございます」
イネかよ。
「イネでございます」
二回も言わなくても知ってるって。
「お時間の方が参りましたがいかがなさいますか?」
えっ?もう?まだ歌ってねーよ。
「え、延長とかできるんですか?」
何でイネごときに緊張してるんだ。
「延長は、10分単位で可能でございます」
こまかっ!2曲ぎりぎりじゃん。
「料金はいかほど?」
「10分500円でございます」
たかっ!
「30分できますか?」
何、勝手に決めてんだ、俺。
「本日あいにく満席でございまして、延長はできません。ご主人様」
説明だけかいっ!てかとってつけたようなご主人様呼ばわりもういいよ。
「申し訳ございません、若旦那」
絶対、意図的。俺たちからかわれてる?
「分かりました」
「では、レジにてお待ちしてます。なお10分遅れますと延長料金を頂きますのでお気をつけ下さい。残りのお時間は8分と55秒を今すぎました」
細かいよ。もしかして引っ張った?
電話が切れる。
えっ?あの険しい道を?
「イエーイ!レモンちゃんちょーうまいい!」
おいおいヒトシもう終わりだぞ。この子レモンちゃんなんだ。
「うそうそ、そんな事なぁい。でもでも次は自信あるんだ〜」
えっ?
伊藤くん、素早く予約曲数を確認する。
10?
増えてるよ、確実に増えてる。
「ちょ、ちょっと待った。もう終わりだそうです」
「ええーっ」
「やだやだ、まだ歌う」
歌うな!
「伊藤、延長でええやん」
こいつすっかりくだけてる。
「延長ダメなんだってさ」
てか、高いぞヒトシ。
「ええー、そうなの。残念。でもじゃあ次、最後にしましょ」
イントロスタート。
曲タイトル『すきま風』
「誰これ?」思わず聞く伊藤くん。
「すぎりょうですぅ」
「すぎりょう?」
「杉良太郎ですよぉ。杉様」
えっ?流し目?なんで?おはこ?
しかもうまっ!
かくして、初めてのメイドカラオケは一曲も歌う事なく終了したのであった。ちゃっかり延長料金とられたけど。やっぱメイドの引き留めも戦略かなと思いながら。