伊藤くんのひとりごと?

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 すごいのはガチャピン、である。
 ムックではない。

 ガチャピンというのは、フジテレビの人気番組ポンキッキーズ21に出ている、あの緑の恐竜もどきの生物である。

 ちなみにムックというのは、MagazineとBookが合体した、あの堅い冊子の本の事を指すのではもちろんな・く、モップを赤く染めたような得体の知れない生物で、通常はガチャピンの横でおたおたしている役立たずの生物の事である。

 そのせいか影が薄く、公式サイトにもガチャピン日記の写真にチラッと載っている程度である。

 さらにそのせいかは定かでないが、頭にプロペラが付いている事を知っている人は少ない。

 そもそもあの程度の羽で、上昇するだけの揚力が生じるかはタケコプター以上に疑問である。

 ムックに違和感を覚えるのは、「手」である。あのもさもさした風体に不釣り合いなほどよく動く指は節足動物並だ。赤い体に不釣り合いな程白い手は、まるで手術に挑む財前教授のような生身の人間を思わせ不気味である。

 いつも口の中に手を入れてオロオロしている挙動もマクドナルドのピエロのようで気持ちが悪い。一方のガチャピンには指に当たる物が無い。というかよく分からない。無意味なブツブツがまるですりこぎのようにくっついている。

 ところでガチャピンを一言で表すなら、「挑戦」である。ある時は、スキューバダイビング、またある時はパラセーリング(ヨットでパラシュートを引っ張るアレ)、またまたある時はやぶさめ(馬に乗りながら的を射るアレ)とそのチャレンジの内容たるや、千差万別。ロッククライミングをするガチャピンを見ていると、これは罰ゲームかと思えてしまう程だ。まだ5歳という年齢を考慮すれば、児童虐待、もしくは動物愛護団体に訴えられてもおかしくない。

 何でもこなすのがガチャピンである。おそらく彼がこのブログを書けば、もっと面白いものができるはずだ。東大にだって入れるに違いない。

 ガチャピンの凄さはその厚みにある。仮面ライダーだって、ウルトラマンだって結構すごいが、彼らはスマートで、アクションヒーローだからいかにも出来そうである。もしもクラスに転校してきたら、間違いなくモテそうだ(そうか?)。

 しかし、ガチャピンはどうだろう?

 いつ見ても寝ぼけまなこで、実にさえない。

 お世辞にもイケメンではないし、何か面白い事が言えるわけでもない。だから彼はある時考えたのだろう。僕にはチャレンジしかないと。

 そんな彼の数々の偉業を目にすると、苦笑はやがて感嘆に変わる。ウェイクボード(ヨットでサーフボードを引っ張るアレ)で、思ったより水の抵抗が大きいみたいと失敗する彼を見て、そりゃそうだろっ!と心の中でつっこみつつ、空中回転する華麗な姿を見せつけられては、あんぐり開いた大口に手を入れて狼狽するのも分からないではない。スキージャンプの空気抵抗なんて、考えるだけでおぞましいではないか。

 しかし、水をさすようで悪いが、我々は彼の中身を同じ人だと考えてしまってはいないだろうか?

 同じ人間だと思うがゆえにスポーツ万能なガチャピンというイメージが固定されているのではあるまいか?

 けれども、伊藤くんは思うのだ(ここまで伊藤くんの考えだったのか)。

 あれは中身が種目によって入れ代わっているのではないか?

 もちろん、吉田戦車の名ゼリフを用いるまでもなく、中の人などいない。

 こんな屁理屈に付き合っているチビッコは大人の話なので、ここからも、これまでも、これから先も君の人生にとって何一つ得るものは書いていないから、さっさとここから退場すべきだ(そんな子どもは読んでいまい)。

 このブログが難解なのは、このような年齢制限を考慮に入れての事である。日本語がおかしいのではない。こんな屁理屈を読もうとしているあなたがおかしいのだ。でも、そんなあなたが僕は好きです(主語が変わっとるゾ)。

 伊藤くんが考えるガチャピンとは、その道のプロがかぶっているという事である。

 例えば、かぶりものオリンピックなるものがひそかに開かれていて、あたかも加藤あいと不気味なタケノコが権利を奪い合うような、涙ぐましいどうでもいい大会が開かれているはずなのである。

 熾烈な争いの後、権利を獲得した各界のアスリート達が浜ちゃんにいじられながら、交代で待機しているのだ。

 ではムックは誰でもいいのか?

 伊藤くんの答えはNOである。NOと言える日本人である(年齢クイズも入れてみた)。

 一見、何もしないムックであるが、意外にもガチャピンと共にアクションを行う時がある。ランドヨットと呼ばれる陸上を走るヨットでは併走し、あろう事かガチャピンを抜いてしまう活躍ぶりだ。自転車だって器用に乗りこなす。スキーも可能だ。

 そこで伊藤くんは考える。

 設定上は師弟関係にある二匹(生々しい表現だ)だが、実のところはムックはガチャピンの師匠ではないか?

 正しくは、ムックの中身はガチャピンの中身の先輩筋に当たるのではあるまいか?

 おそらく楽屋では毎回、ムック師匠による反省会が行われているはずである。

 ドアを開けるとそこにはあのしなやかな指でタバコの煙をくゆらせたムックが、小さなパイプ椅子に不釣り合いなほどの巨体で座っている。

「ムックさん、お疲れ様でした」

「お疲れさん。ガチャピンちょっとええかな?」

「はい、何でしょう」

 この時、ガチャピンの目は緊張と不安で血走っており、パッチリおめめである。

「今日のジャンプ、あれ、あかんわ〜」

「そ、そうですか」

「ほんまやで。わしの時はもっと跳べたもんや」

「はぁ」

「大体な、わしらの商売は子どもに夢売らなあかんねんで!」
 
「は、はい」

「わしらの時は常に先輩から、それを頭に叩きこまれたもんや」

「ええ」

「近頃の若いもんは何でも楽しようとするからあかんわ。ええか−」

 と、説教が始まっているに違いない。

 ガチャピンに入っている時点で十分に苦難の道を選択していると思うのだが、ローマの道は一日してならず、郷に入りてはヒロミに従えという事だろう。モンローウォークなんかお手のものである(年齢クイズ第二弾開催中)。

 それにしても、この挑戦は誰に向けて作ったものだろうか?

 一見すると、子どもの為のように思えるが、まだ現実と仮想の区別がつかない幼児にとっては、単にガチャピンというキャラクターがスポーツ遊びをやっているようにしか見えないはずだ。

 ガチャピンが凄い!と思えるには、それなりに成熟した人間でないと無理である。

 具体的には、幼児向け番組を見ている親という事だ。

 つまり、これは大人へのエールなのである。

 まだ学生の伊藤くんにとっては、世の中にはこんな仕事もあるのだという社会勉強である。

 きっと撮影の舞台裏では数々の涙ぐましい努力があるはずだ。

 これは涙なしには見られない、人類の、いやガチャピンの記録である。

 BGMは中島みゆきの『地上の星』で。
 
 

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