制限行為能力者って何?

「行為能力」という言葉をご存じでしょうか?『法律用語辞典(有斐閣)』によれば「法律行為を単独で行うことができる法律上の資格」とあります。

 これは例えば、お店に行って「これください」と商品を選び、お金を出せば売買契約が成立するという事です。売買契約って堅苦しいな〜と思われるかもしれませんが、法律的に表現するならばそういう事になります。

 「契約」というからには双方の意思が必要です。つまりお客さんからすれば「買いたい」、店員からすれば「売りたい」という事です。相対立する立場の間で意思の往来があるわけです。そんなの考えた事もないでしょうが、確かにそうですね。

 この意思を「意思表示」と呼びます。

 だから、僕には意思表示をしてお店の品物を一人で買う事のできる資格があり、それが「行為能力」という事になります。

 ものすごく当たり前の事を難しい表現で言い換える必要があるのか?と思う人もいるでしょう。だから、法律って嫌いだと思う人がいてもおかしくありません。

 答えはもちろん「必要がある」のです。

 先ほど「僕には」と表現しました。もちろんみなさんは僕の事を知らないでしょうから、念のために書きますと、一般的な成人男性です(こんなブログを書いているので、一般的でない気もしますが)。

 ところで「法律」とは誰に向けて使われるものでしょうか?

 もちろん国民ですね。法律の中には憲法のように国家の側を規制するものもありますから、ここでは民法に話を限定しましょう。つまり、日常のもめごとに法律を持ち出した場合に使われるのが民法で、それは普通誰にでもあてはめられます。

 だから実際の法律問題は「誰の」問題なのかを考えないといけません。この場合であれば、「僕には」という表現がそれです。「僕」は一人で物が買えます。でも、未成年はどうでしょう?あるいは本人に判断を任せられないような精神上の障害を持った人の場合はどうでしょう?

 「法律を考える」というのは実は「人間を考える」という事でもあります。人にはそれぞれ事情があり、立場も異なります。みんなで生活する場を社会と呼び、だからこそそこには一定のルールが必要です。信号を守らなければ危なくて外にも出られません。

 それでもルールを守らない人は、国家権力で罰するしかありません。逆にそうしてもらわないと秩序ある社会など生まれませんよね。

 話を戻しましょう。欲しくもないのに「買いたい」と言ったり、小さな子が欲しいと言ってマンションを買ったらどうなりますか?(すごい子どもですね)やっぱりそれはキャンセルする方法がないと理不尽な感じがしますよね。

 つまり、意思表示が満足にできないと判断される人には何らかの制限をかけて保護してあげようというのが「制限行為能力者」なのです。民法4〜21条に規定があります。家にもし眠っている六法があれば叩き起こしてみて下さい。昔の民法はカナ表示なので見づらく、また改訂前ですので異なる条文もありますから、ネットで検索してもいいと思います。

 例えば、未成年者が法律行為をするには法定代理人(普通は親ですね)の同意が必要なので、それに反した行為は後から取り消す事ができます。でも、文房具やマンガ一冊買うのにも同意が必要で後から取り消されてしまうというのはどうでしょう?

 本人も困りますが、店の人も困りますよね。

 今の話は法律を持ち出すまでもなく、みなさん経験がある事ではないでしょうか?ちょっとご自分の経験で考えてみて下さい。これどう思います?

 ちょっと納得できませんよね。それにもしこの条文通りだとすれば、違反しまくりです(笑)

 もちろん、法律はそんな理不尽な取り決めにはしません。何より理不尽すぎれば誰も従わないでしょう。だから但し書きがあります。

 「第1項の規定(さっきのあれです)にかかわらず、法定代理人が目的を定めて処分を許した財産は、その目的の範囲内において、未成年者が自由に処分することができる。目的を定めないで処分を許した財産を処分するときも、同様とする」

 小遣いはこの「目的を定めないで処分を許した財産」に該当するので、僕も含め誰も間違っていないわけです。

 こういうのが「法律で考える」という事です。

 さて、ここまでは今日の事例を考える予備知識に過ぎません。今日の議題は、現在の制限行為能力者とされる「未成年者・成年被後見人被保佐人・被補助人」よりも以前の話です。しかし、議題の論点としては特に変わるものではありませんので、考察していきたいと思います。

 
 <制限行為能力者の黙秘はどこまで認められるのか?>民法判例百選(最高裁昭和44年2月13日第一小法廷判決)

 Xは、知能程度が低いうえに浪費癖があったので、昭和12年禁治産宣告(現・保佐開始審判)を受け、その妻X’が保佐人に就任した。Xは昭和30年1月22日、本件土地110坪を代金41万2500円でY1に売却し、同年7月6日に所有権移転登記がなされた。Y1は同年11月10日に本件土地をY2に売り渡し、同月12日所有権移転登記がなされた。Xから、保佐人の同意がなかったことを理由にXY1間の上記売買契約を取り消し、Y1Y2のためになされた上記各所有移転登記の抹消を求めたのが、本件における事実の概要である。

 何じゃこりゃ?

 そう思う人も多いのはないでしょうか?そもそも何が書いてあるのか読むのが面倒臭いというのは僕が初めて判例を読んだ時の率直な意見です。誰が誰に何をして、どこが問題になっているのかがさっぱり分からないのです。

 それは一つに法律文書の独特の言い回しが原因だと思います。例えば、全部が間違いとは言えないかもという表現も「全ての論拠を否定するものではない」とか「肯定しうるだけの因果関係は認められなかった」とまるで「記憶にございません」「前向きに善処致します」という国会答弁の政治家のような言い回しは関西人の僕にとっては「だからどっちやねん!」とつっこみをいれたくなるような文章のオンパレードで、いらいらします。

 でも、そうやって難解な言い回しにつっこみを入れつつ、法律用語を調べていくと、身近な話に感じたり、とかくおかしな裁判例ばかりが取りざたされるわりには、案外まともな結論だなと思ったりする事も結構あります。また、何と難しい判断が求められる事例だろうと一緒に考えたりもするのです。

 書いてある文章がさっぱり分からない場合、誰が誰に何を訴えているかを図にするのが一般的です。

 X→Y1→Y2の流れが見えますか?

 →は売られた土地の流れです。つまりXがY1さんに土地を売り、それをY2さんに売り渡し、最終的に所有権も移ったわけです。

 これだけなら特に問題が無いように見えます。でも、このXさんは制限行為能力者だったので、単独では契約が結べないのですね。つまり、保佐人の同意が必要なのです。そこで、Xからその事を理由にキャンセルさせてくれと訴えがあったのです。

 だったら認めるべきだと思いますか?

 確かにXさんの側から見れば当然のように思えます。でも訴えられた側はどうでしょう?法律で決まっているからといって、「はいそうですか」と納得するでしょうか。土地の売買はお菓子を買うのとは違います。それなりの理由があって、納得の上で購入したはずです。そこで何とか法律を使って対抗できないだろうかーこうして裁判沙汰になるのでしょう。どこにも書いていませんが、何らかの事情で保佐人である妻から夫に取消請求をさせたというのが実際のところだと思います。

 では、反論に使われた法律とはどのようなものだったかと言えば、

 民法21条「制限行為能力者が行為能力者であることを信じさせるため詐術を用いたときは、その行為を取り消すことができない」

 というものでした。ここで「詐術(さじゅつ)」というのは簡単に言えば、「人をだます」という事です。

 つまり、Xさんが自分が制限行為能力者ですよと言わなかった、もしくはあたかも自分は単独で契約が結べますよと見えるように装ったからこそ、それを信じて契約したのに、後から無効ですと言われても困りますよとYさん側は主張したのです。

 これが論点ですね。

 さて、これ以上は条文には書いてありません。つまり、この判例が出るまではこの文言をどういう風に解釈するかは決まっていなかったのです。

 これが人を裁くという法律の限界です。でも逆に言えば、あらゆる事を想定して条文を作る事など不可能です。ネットが無い時代にはまさか自宅にいながらにして銀行振り込みができるなんて想像すらできなかったはずで、それに対する犯罪を取り締まる法律を考えられるはずもありません。

 といって、頻繁に法律を変えるわけにもいかないですし、いろんな人が勝手に解釈しても結論が変わるのであれば不公平です。そこで、最高裁判所の出した判決例が今後の類似事例で重要視されるのですね。

 日本の裁判が三審制というのは小学校で習ったと思います。こういう場合、もめれば三回文句を言うチャンスがあるわけです。

 地方裁判所高等裁判所最高裁判所という流れです。では、同じように流れを見ていきましょう。

 第一審の京都地裁昭和35年6月20日)では「いわゆる『詐術』とは積極的術策を用いる場合はもちろん、単に相手方の誤信を誘起しまたは誤信を強める行為あるをもって足るものと解するべきである」と述べ、Xがだましたと判断し、Xのキャンセルを認めませんでした。

 続く、大阪高裁(昭和42年2月17日)ではこの一審を取り消し、以下の理由でXの請求を認めました。

 「無能力者が同意を得ずして法律行為をなす場合、相手方に自己が無能力者であることを黙秘するのは、むしろ当然のことで、いわば世間普通の状態であり、もし単なる黙秘が詐術になるとすれば、無能力者であることを善意の第三者に対抗し得ないというのとほとんど同じ結果になり、無能力者を保護するために取消権を与えた法の精神を全く滅却するに至ることになるのであるから、黙秘が具体的状況のもとにおいて詐術としての積極的意味をもつものと評価すべき特段の事由がある場合は別として、一般的にはこれに該当しないものと解するのが相当である」

 どうしてこんなに婉曲的な表現なんだろうと思うのですが、まあこれが判決文なんですね。

 つまり、Xさんが自分は無能力者だと言わなかったとしてもそれはむしろ普通であって、それを認めないなら、全く事情の知らない他人と結んだ契約を取り消せず、保護するつもりで作った法律の意味が無い。特別な事情があるなら別だけどね。と言ってるわけで、つまりXさんの行為は取り消せますよとしたのです。

 もちろんYさんはこれに文句を言って最高裁へ上告しましたが、棄却されました。つまり、Xさんの行為はやっぱり取り消せるとしたのです。

 では、実際にXさんとYさんとでどのようなやりとりがあって、どこが決め手となったのかが分からなければ納得できませんよね。つまり、どの程度Xさんがだまそうとした(とみえた)のかです。以下も判決文です。

 本件においては、まず準禁治産者であることを黙秘しただけでは詐術を用いたといえず、次にXは代金額の決定、登記関係書類の作成、知事への許可申請などにある程度積極的に関与しているものの、これをもって詐術を用いたとはいえず、そして仲介者の「畑(本件土地)は奥さんも作っているのに相談しなくともよいか」との問いに対して、Xが「自分のものを自分が売るのになぜ妻に遠慮がいるか」と答えている(第一審ではこれが詐術とされた)が、これはXの能力に関しての発言ではないから詐術を用いたとはいえない。

 どうでしょう?実際の判決とはこういうものなのですね。平たく言えば、きちんと証拠を出して、いかに説得力のある結論を出すかという事でしょうか。でも逆に言えば、証拠が無くて(出せなくて)裁判官を納得させられなければ負けるわけです。この辺りに弁護士の手腕が問われるのですね。

 こうしてただ出された結果を一読すると気付かないかもしれませんが、京都地裁から最高裁の判決まで約10年もの年月がたっています。実際、Xさんは京都地裁の5年後に他界し、その奥さんと子ども2人が共同相続し、本件訴訟を引き継ぎました。きっとYさんの側にも事情はあるでしょう。

 裁判というのは実に労力がいりますし、費用も負けた方が負担となります。漫画『カバチタレ!』などを読むと何かと裁判沙汰にならないように当事者同士の理解を求めますが、それも賢い選択かもしれません。

 ただこのブログで僕が伝えたい事は、新聞記事やニュースで目にした事件に対して、ちょっと法律的な根拠を考えてみる。もしくは自分でも類似事件を調べてみる。というとっかかりになればいいなと思います。少なくとも問題と答えだけを紹介するものを見るよりは、その方がよほど自分のためになるのではと思うのです。

 例えば、先日甲府市英会話学校が幼稚園に派遣する外国人の条件を「金髪、目は青か緑色」と限定した求人ポスターを半年間掲示し、人種差別として抗議を受け、謝罪のうえ撤去したという話がありました。みなさんはどう考えますか?

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カバチタレ!(1) (講談社漫画文庫)

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