<英語のお時間>「目」にまつわるエトセトラ

英語を勉強している人なら結構、有名な話だと思いますが、訳し方に迷ってしまう表現の中に「目」にまつわる表現というのがあります。

 例えばroll one's eyes

 みなさんなら、これをどう訳しますか?

 はい、そこ、横の人に教えない!

 キミ、辞書をひかない!

 ちょっと考えてみて下さい。

 よくある答えが「目を回す」ですね。直訳ですが、日本語にあるんだな、これが(笑)

 意味は何ですか?

 そうですね、「気絶する」とか「忙しい」というような意味です。

 しかし、これ実は「驚いている」とか「あきれている」という意味なんですね。

 このように外国と日本では使われる意味が違う言葉というのがあります。

 それは文化の違いがあるからです。

 もう少し例を挙げますと、「情けは人のためならず」

これは、情けをかけるとその人のためにならないという意味ではなくて、情けをかけておくと、いずれ自分にラッキーな事が起こるという、人のためより自分のためになるという意味が語源です。元は中国でしょうね。

 こう聞くと、何だか冷たいなという感じがするのは僕だけでしょうか?

 これもまた有名な文句ですが、先ほどのrollを使ったことわざに A rolling stone gathers no moss.というのがあります。ローリングストーンズですね(笑)

 これは日本語で言うところの「転石苔を生ぜず」であり、アメリカでは苔のつかないほど転がり続けるのが新鮮で、美徳とされ、転職はキャリアの肥やしのように思われます。しかし、日本では「石の上にも三年」や「桃栗三年柿八年」というように一所懸命に一つの所で一生懸命に働くのがいいとされ、ここでの苔はプラス評価されているという違いがあります。

 ところで、こういうちょっと一言いいですか話は誰でも持っているものです。矛盾というのは昔あるところに〜みたいな、聞かなくても知ってるよみたいな語り手と聞き手の本当の矛盾話とか(笑)

  四面楚歌というと項羽と劉邦の話を始めて、リアル四面楚歌状態になってしまうとか(笑)

 だからこれを読んでまた始まったよ〜みたいに思っている人もいるかもしれないですね。

 常套文句の多用には気をつけようと思います、ハイ。

 ところで、僕が英語と日本語ひいては文化の違いについて面白いなと思い始めたのは、鈴木孝夫さんの名著『ことばと文化』(岩波文庫)を読んだ事から始まります。鈴木さんと言えば、言語学の重鎮で、僕のような下っ端人間とは雲泥の差もしくは月とすっぽん、銀河系と砂粒くらいの差があるのですが、この本にはいろんな文化の違いが書かれています。

 その中で僕が興味をひかれたのは入試現代文の問題としても引用されまくった「言葉は氷山の一角」という話です。

 これは僕の他のサイトでも書いたことですが、例えば、「神」という言葉は日本とアメリカでは神様の種類が違います。だから、GODという言葉を「神」と訳すことは簡単ですが、それは単なる言葉の置き換えであって、その背景にある文化までを伝えたことにはなりません。まさに「言葉は氷山の一角」なのです。

 頭を縦にふるか横にふるかという日常よく使うボディランゲージが全く日本とは違う意味を持つ国だってあるのです。

 日本人は何かと「すいません」を連発しますが、アメリカのような自己主張の激しい国だと簡単に自分の非を認める弱い人間だと思われてしまうそうです。

 だから、すいません=Excuse me. や I'm sorry.と置き換えても正しい使い方をしなければ、思わぬ誤解を受けかねません。

 但し、これはどちらの国が正しいかという話ではありません。

 「郷に入りては郷に従え」ということわざがあるように、その国にはその国の習慣やしきたりがあるよというだけです。

 家庭にもそれぞれの習慣があります。自分の家では当たり前の事でも他人の家では非常識という場合だってありますよね。

 僕が英語を勉強する時に面白いなと思うのは、このような言葉の裏側にある「はてな?」です。

 何でこういう言い方をするのだろう?という素朴な疑問です。

 そのさらに奥には人間の考えがあります。

 その考えの違いを学ぶのが楽しいのです。

 例えば「room」という言葉があります。これを「部屋」だけだと思っている人は、きっと一つの英単語に一つの意味だけ機械的に覚えた詰め込み式のしんどい勉強をした方だと思います。当然ながら、英語は苦手な方でしょう。

 しかしこのroomには「余地」という意味があります。おそらくこれを話すアメリカ人の頭の中には「スペース」や「空き」のようなイメージがあるのでしょう。そこから派生してある文脈に放り込むと意味が変わるわけです。しかし、部屋という具体的なものも抽象化すれば空間と似ています。

 ちなみにみなさんがよく知っているコンクリートには(concrete)「具体的な」という意味があります。コンクリートは硬いですが、抽象的な(ちなみに英語ではabstract)意見やアイデアはコンクリートのように叩けばコンコンと音がするような固さを持つと具体的になるということでしょう。

 その根底には同じイメージがあるような気がしませんか?

 よく多義語、多義語と言われますが、言葉は生き物です。生きた人間が毎日使っているから当たり前です。

 関西弁で「えらい」には二つの意味があります。標準語で言う「偉い」と「大変」という意味があります。今、「大変」と読んでさらに「はてな?」が増えませんでしたか?

 そうです、日本語ではveryという程度の副詞を表す意味とtroubleやpainのように苦労という意味があるからです。ここでは「大変しんどい」の意味です。

 ねっ?やっぱり言葉は生き物でしょう?(「目を回す」に二つの意味があるように「すみません」だって、実は二つの訳があるのです。)

 話を戻しますと、型通りの日常会話集には興味がありません。

 例えば、「天気がいいですね?」とか「元気ですか?」というのは会話の導入部としては必要かもしれませんが、やっぱり会話が進めば、結局はその人間が持っている考え方や話の幅・深さによるわけです。

 日常会話ができれば生活には困らないかもしれませんが、自分の意見を磨くことも同じくらい大切だと僕は思います。

 会話をする相手は型通りの基本例文を返してくれるロボットではなく、生きた人間です。

 その事を大切にしている英会話学校なら通っても損は無いでしょう。

 少しは英語に対する考え方が変わったでしょうか?

 あるいは僕が変わっているのでしょうか(笑)

 では、今日はこの辺で。
 

ことばと文化 (岩波新書)

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