<法律のお時間>〜デスノートにおける刑法学的考察〜

 デスノート。突如彗星のごとく現れ、少年少女たちを知的興奮の渦へと誘ったサスペンス漫画の金字塔。少年漫画誌における胸ときめかす記念碑的作品の誕生とも言える(これをときめきメモリアルと呼ぶ)。

 少なくとも飢えた猿の檻にバナナを投げ込んだ状態、あるいは快楽を奪われた男性に煙草や○ロ本をーこれ以上の表現は私の高潔なる品位を著しく損なうのでやめておこうーと、とにかくこの稀代まれなる作品が私にある種の回春効果(何だそれ)をもたらした事をここに素直に認めよう(相変わらず回りくどいな)。

 さて、今回の課題はすでにタイトルにも掲げられた通り『デスノートにおける刑法学的考察』である。久しぶりの開講ということで本日はロングバージョンなので覚悟して欲しい。しかし、話としてはそう難しいものでもない。

 筆者としては今日のタイトルを『法律の素人が少年コミックスに大人げなくいちゃもんをつける暇つぶしブログ』と読みかえても一向に差し支えない。

 むしろここに公開する稚拙な言いがかりが、出版界の中心で快哉を叫ぶ集英社として何の差し支えも無いことを切に希望するものであり、このようなネットの隅っこでどうでもいいような些末的事項をあーでもないこーでもないと考察(精確に表現するのであれば思考のルービック状態に近い)してみても、象が蟻に刺される程の痛みも感じないはずだからありだぞうなどと自らを鼓舞し、邁進する所存である(みなさん寒くはないですか?)。それどころか逆にいちゃもんがつかないことを祈るのみである。

 さてさていつものごとく、どうでもいい前フリを長々と始めてしまうのは懐古趣味に浸る老人のようで、どうにも面はゆい(お前さんはいくつだい?)。

 では早速(やっと?)、考察に入ることにしよう。

 ここでデスノートを未読の方に作品のあらましを紹介する(まだかい!)。

 主人公・夜神 月(やがみ らいと)は高校生。常に全国模試でトップの成績を維持し、今はやりのイケメンである。もちろんスポーツも万能。まるで少女漫画から抜け出してきて少年漫画に移行してきたような文句のつけようのないキャラである。

 分かりやすく言うなら速水もこみち(しかしこの名前はいつもながらインパクトがあるな〜)と首席の東大生を足して2で割って5分と5分、チョーヤの梅酒のような存在である(黒木瞳たまらんな〜)。

 かなり酩酊気味な文章だと自認はするが、少しでもキーワード検索にヒットするようにというせこい努力をどうかくんで頂きたい。このあたりセコイヤチョコレートチロルチョコのような庶民感覚がただよう(思いっきり庶民だけど)。

 で、そのライトくんなんだけどぉ、死神から死のノート(つまりデスノートね)を拾っちゃうわけ。あ、どうもはじめまして、ミサミサで〜す。ミサミサを知らない人もいると思うけどぉ、ミサはライトの彼女でぇ、何と現役アイドルなんですよ。まっ、あたしたちのラブラブを嫉妬して、片想いだって言う人もいるけど、ライトは絶対ミサミサの事を愛してくれてるわけです。ライトってモテモテだからいろんな女性がとりまいているのは仕方ないんだけど(その分萌えるし)、最後にはいつもあたしの元に戻ってきてくれるので全然心配してませ〜ん。じゃなきゃ、ミサも命がけであんな事できないよぉ。あっ、詳しくはコミックスを見てね。文字通りの意味だから(笑)

 さて(笑)、このデスノートに本人の顔を思い浮かべながら名前を記入すると当人に死が訪れるというのがこの漫画のキーポイントである。

 この行為を犯罪にあてはめるとするなら、誰もが思い浮かべる法律が殺人罪だろう。

 これを条文でみるなら、

 刑法第199条
 「人を殺した者は、死刑又は無期若(も)しくは三年以上の懲役に処する」

 およそ日本において、どんなに法律に疎い人間でもこの条文が規定されていることを知らない人はいないだろう。それどころか世界中で表現こそ異なれど、生きとし生けるもの(BGMは森山直太朗で)として倫理や道徳上容認される(では食人族はどうかなどと言ってはいけない)守るべきルールである。

 さて法治国家の日本において法律で定められていないことは罰せられないというのは国の最高法規である日本国憲法で規定されている。

 憲法第98条€
 「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」

 憲法第31条
 「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」

 何だかとても当たり前のことのように思うかもしれないが、国の最高ルールとしてわざわざ規定されているということは当然ながら重大な意味があるはずである。

 では、もし法律に定めが無いのに刑罰を科せられたらどうでしょう?ちょっと考えてみて下さい。

 怖いですよね?

 例えば道を歩いていたとします。石につまずいた途端、いきなり現行犯逮捕されたら、「はぁ?」と思うでしょう。マイクを投げたくなりますよね(誰やねん!)。ちなみに現行犯に関して言えば、誰でも犯人を逮捕することができます。

 憲法第33条
 「何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となってゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない」

 これを令状主義と言いますが、つまり現行犯以外は令状が無いと逮捕できないと言っているわけですね。裏返せば、現行犯は令状が無くても逮捕できる=一般市民でも逮捕は可能なのです。法律が一見ややこしいのは言い回しがスッと頭に入りづらくて、意味がすぐに分からないと錯覚してしまうことにあると思います。

 それにはいろんな経緯があるとは思いますが、時代の流れに対応
するためにはある程度解釈の幅をもたせ、柔軟に解釈できるように意図されているからだと思います。

 みなさんも経験があると思うのですが、およそルールというものは厳格に決めすぎると決める意味が無い状態に陥ります。
 
 しかし、あまりに抽象的すぎても標語のようになって効果が薄い場合もありますよね。

 法律というのは違法行為を取り締まる社会のルールですから、甘い文言でも困るわけです。

 そして我々は法治国家に生まれ、日々生活しています。

 つまり私たちは法律の下で暮らし、言い換えれば法律に守られながら生きているのです。しかし、普段の生活をしていて法律を意識することはあまり無いかもしれません。

 せいぜい未成年の飲酒はダメだとか、違法駐車で減点されたとか、そういう程度のものだと思います。法律の中で一番身近ではないかと思われる日常のもめごとに関する法律と言えば民法ですが、その民法の規定のほとんどは任意規定です。つまり当人同士が納得していれば多少のことは許されるのです。決して強制ではありません。

 隣の木の枝が塀を越えてこちらの庭まで来ている時どうするか?なんて問題が民法の典型的な事例としてちょくちょくテレビでも取り上げられますが、もしも当事者同士がとても仲がいいのであれば問題にはなりません。これを私的自治の原則と言います。
 
 みなさんも近所や友達の間でちょっとしたもめごとを経験したと思いますが、簡単に言えば訴えない限りで法律の出る幕は無いのです。逆に何かあるたびに法律が出てきては大変ですよね?

 アメリカの訴訟問題でマクド(関西ではマクドナルドをこう呼びます)の食べすぎで肥満になったから訴えたとか(詳しくは映画『スーパーサイズミー』を見ましょう)、電子レンジに濡れた猫を入れて乾かそうとしたら死んだけど、説明書に書いてないのが悪いとか、オイオイみたいな話がありますが、何でも訴える社会って大変そうです。

 しかし、法律が無ければ逆に訴えようと思っても訴えられないし、制裁することもできません。もしも法律が無ければ、力ずくで物を奪い合うような無秩序な社会になってしまうでしょう(これを放置国家と呼びます、ウソです)。

 だからある日、自分ん家の自転車が無くなって探していたとしまして(忌野清志郎状態か)、ふと通りかかると自分の自転車が他人の庭先に置いてあったとします。ここでその家の住人と話し合って、(例えば傘の取り違えのような事情があって)お互いが合意の上で取り返すのであれば問題はありませんが、怒りに任せていきなり庭に入り、そのまま自転車に乗り込んだところを通報されたりするとやっかいなことになります。

 下手すると住居不法侵入や(自分の物だとしても)窃盗罪を科せられる場合もあります。この事を自力救済の禁止と言いますが、自由だと言っても何でもしていいわけではありません。それでは結局、無秩序になってしまうのです。

 さてさて長くなりましたが、実は憲法というのもそういう側面があります。法律になじみが無い方は憲法も守らなければいけないものだと何となく思っていると思いますが、実は憲法は我々一般国民に強制を強いるものではなく、むしろ国家の側を規制する法律(しかも最高法規なので、これより強い法律は無い)なのです。

 先ほどの話から続けますと、もしも国家に規制が無かったら、我々の生活は極めて悲惨な状態になります。独裁者が現れて、財産を奪われたり、したくも無い労役を科せられたり、住みたくもない所に住まわされたり。でも我々には職業や住居選択の自由があります。もちろん多少の但し書きはありますが、最高法規である憲法がこれを保障しています。宗教を信じるのも信じないのも自由ですし、言論の自由もあります(無ければブログを好き勝手に書くこともできないはずです)。

 こういったことは、あまりに当たり前のことなので普段は意識をしていないと思いますが、戦前の軍事国家を考えれば、その恩恵がよく分かるはずです。今の憲法は日本の歴史に関係しているわけですし、また日々、改正案などが検討されることも当然のことだと言えます。つまり法律というのは目には見えないけれども、我々の生活に影響を与えているわけです。

 話を刑法に戻しますと、どのような行為が犯罪となり、どのような刑罰が科せられるかをまえもって法律で決めておくという考えを難しい言葉で罪刑法定主義と言います。字を見れば、犯「罪」と「刑」罰という文字が見えますね。それが「法」律で「定」められているわけです。ここまで読んで頂いたみなさんなら、その意図するところが分かりますよね?

 もし、法律で定められていなければ逮捕されても納得できないし、何をしたらダメなのかも分からず、おちおち外も歩いていられません。

 この事を逆に言いますと、誰にでも納得できる取り決めでなければ刑法に定める意味が無いということになります。だからみなさんは刑法をじっくり見るということは多分無いはずですが、何をしたら捕まるかは分かっているはずです(笑)

 もう少し言いますと、知ってるからこそ悪いことをしない。つまり、犯罪防止の抑止力としても法律の存在意義があるわけです。考えてみれば私たちは幼い時から道徳教育によってそれを学んできたと言えるかもしれません。他人に迷惑をかけてはいけないよとか人をなぐってはいけないとか。

 罪刑法定主義の根拠としては前出の憲法31条に加えて、もう一つあります。

 憲法第39条
 「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」

 つまり、一度判決の出たものについては後からやっぱり間違いでした。この前、それは死刑という法律に変わったので、あんたは…みたいなことにはならないよという事です。確かに法律が変わったからと言って過去にさかのぼってほじくり返されてはたまったものではないですよね。この事を遡及(そきゅう)処罰の禁止と言います。ちなみに遡及の「遡」とは「遡(さかのぼ)る」という意味です。

 だからコンピューター犯罪が出た頃というのは、結構大変だっただろうなと思います。規定がありませんから、何とか現行の法律に解釈を求めなければ処罰できないわけです。その昔、電気が盗まれた事件でこの行為がいわゆる窃盗罪の規定にある他人の財物を盗むという表現の「財物」がそれにあたるかという事で物議をかもし出しましたが、現在では有体物(空間の一部を占める有形的存在)に限らず、可動性と管理可能性があれば足りるとされ、電気も財物とされます。

 これに該当する刑法は

 第235条
 「他人の財物を窃取(せっしゅ)した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役に処する」

 というシンプルなものですが、いくら時代に対応すると言ってもしょっちゅう法律が変わっては困りますよね。だから解釈の方を変えて幅を持たせるわけです。もちろんこの幅は、みなさんが納得できるものでないと意味が無いわけで、この辺りが法律というルールを決める難しさでもあるわけです。

 様々な記憶媒体に記録されるコンピューターのデータが文書にあたるのかとか、未成年による犯罪をどこまで取り締まるのかとか犯罪の形は日々変化していくので、法律にぬけ穴が生じるのも仕方の無いことだと言えるでしょう。またそうした例外や特殊な事例(たとえばえん罪とか)ばかりがマスコミに取り上げられ、人々の興味を引くのも、裏を返せば、あまり無いからこそ話題となるわけで、ほとんどの犯罪は現行法制度の中で、きちんと納得のいく判決が出ているとも言えます。

 さてさて、デスノートの話はどこへ行ってしまったのでしょうか?

 今回の論点(大げさな)としては、デスノートに書き込んで人を殺すという行為(どう見ても犯罪だけど)が、果たして殺人罪にあてはまるのかということです。

 法律問題となるためには、当然のことながら違法行為が無ければいけません。ところで刑法における違法行為を「実行行為」と呼びますが、ではこの実行行為とはどのような行為のことを指すのかと言いますと、「人の生命・身体などの法益が侵害される行為」を指します。しかしながら処罰されるのは人間ですから、のら犬が急にかみついたとしても刑法の対象にはなりません。駆除という方法はあるかもしれませんが、訴えることはできないのです(そんな奴は居ぬか)。但し、飼い犬であれば民法718条により、飼い主が賠償責任を負う事になります。

 また、「人の意思に基づいた動作」でなければいけません。つまり、殺そうと思って、ナイフで人を刺したという誰が見てもそれと分かる行為が必要とされます。だから、心の中でいくら殺してやろうと念じてみたり、丑の刻参りやシャーマン行為をしてもしゃあないわけです(一応、ここ笑うところです)。

 さらにその行為が危険な行為でなければ対象となりません。もちろんこの場合の判断基準もみなさんによります。つまり誰が見ても危ない行為でなければ、それとはみなされません。

 従って、ヘリコプターに乗ると必ず墜落すると信じて乗るようにすすめたり、砂糖を10個入れたら死ぬと考えて仮に希望通りになったとしても、それが客観的にみて、実行行為と結果の間に明確な関連があると認められない限りは犯罪行為とはみなされません。

 このことを相当因果関係と言いますが、要は誰が考えてもナイフで人を刺したら命が危ないというような、社会通念に照らし合わせて相当である因果関係が無ければ罰せられないのです。

 こうしてみるとデスノートというのは、漫画ではありますが、明らかな犯罪行為にも関わらず、現行の法律で処罰するには非常に困難な事例であると言えます。

 簡単に言えば、前例が無いため法律に規定が無い行為であり、だから罰することもできないのです。ノートに当人の顔を思い浮かべ死の行為を考えて書くというのは内心で殺人を願う行為に似ていますし、意思に基づいた行為と言えますが、直接それと分かる行為で人を殺しているわけではありません。

 このノートのすごいところ(別に褒めているわけではありません)は、どんなに遠方にいる人間でもよほど無茶な設定でない限り闇にほうむることができ、さらに死ぬ前の人物の行動をある程度操ることができる点にあります。

 詳しくはコミックスを見て頂くとして、恐喝や脅迫に似た教唆(きょうさ)行為(他人をそそのかして犯罪実行の決意を生じさせること)や幇助(ほうじょ)行為(犯罪を手伝わせること)、自殺幇助という行為もみられます。自殺幇助とはたとえば精神的に弱っていて自殺を考えている人に、何か傷つけるような事を言って自殺するようにし向けるような間接的な行為のことです。ミサミサに至っては共同正犯や間接正犯(いわゆる共犯)の疑いもあります。

 これらの行為もやはり誰もが見て分かるような証拠が必要ですが、現存する証拠と言えばノートしかありません。しかし、そこに書かれている事が実証されなければ、因果関係を認めることはできません。そうするには殺害の対象となる人間の死を確認できる環境でノートを試すしかありません(実際、漫画の中でもそういうシーンがありますが)。しかし、これは誰が考えても道徳的に許される行為ではありません。

 但し、あそこまで話の規模が広がると、全人類の生命にまで危険が及ぶ可能性があるので超法規的処置を取るしかないでしょう。そもそも死神という存在の証明すら困難であることは明白ですが、ノートに書けば確実に人が死ぬという行為が実行行為と死という結果の間において、相当因果関係であると認められるのであれば、処罰の対象(当然日本においては死刑でしょうが)となるというのが素人ながらの私の結論となります。

 ところで、もしも処罰の対象になった場合、ノートで殺害した人間の数は半端ではありません。その一つ一つに判決を下すのはどう考えても効率が悪いですよね。このように一人の行為者(この場合はノートそれぞれの所有者ということになるでしょうが)に複数の犯罪が成立している場合を犯罪の競合と呼びます。これを刑法では併合罪とし、一定の要件にあてはまるものを科刑上一罪とします。

 刑法第45条
 「確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定判決があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする」

 刑法第54条
 「一個の行為が二個以上の罪名に触れ、又は犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは、その最も重い刑により処断する」

 禁錮(きんこ)とは、刑務所に留置するけれども労働は強制されない刑のことです。つまり、そんなに重い犯罪ではないのですね。デスノートは?と言えば(笑)まぁ、これは誰が考えてもあきませんわな〜。人殺してるんやから(なぜに関西弁?)
 
 今ここにあげた条文を簡単に言うと、二個以上の罪は一緒に裁き、その最も重い方で処罰するということになります。

 だから当然、死刑ということになるわけですが、デスノートの所有権を放棄するとノートに関する記憶が一切無くなり、もしも死神がそのままノートを持ち去り、死神界に戻れば、ノートは人間界に現存しなくなるわけで、最終的にノートを所有している人間だけを処罰するというのも理不尽ですし、所有権を放棄されたら手の打ちようがないと思われます。

 法律問題に限らず、善悪の問題にまで踏み込むとデスノートと言うのは、なかなか深い作品と言えるかもしれませんね。以上、どうでもいいけど、ラストはどうするねんという一読者のつぶやきでした。お疲れ様デス(笑)

 

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

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